宗教と罪悪感
さて、家の話に戻ろう。
母が当時どハマりしていた新興宗教を祖父母は嫌う一方、母の宗教への熱は更に高まった。
〝家から家へと伝道する″活動も積極的にしており、私も何度か連れて行かれた。信仰心もないのに連れて行かれるのは心外だった。それに友だちに見つかる事が何よりも恥ずかしかった。
高校1年になってしばらくすると大好きなおばあちゃんから
『レナが集会に行ったり、アレ(母の事)に付き合うのなら、もう私はレナを守らない、孫だけれど縁を切る。うちにも来るな。それが嫌ならもう集会へ行くな。自分で考えて自分で決めなさい』
突然祖母からそう言われ、大ショックを受けた。私だって本当は集会なんか行きたくない!縁を切るってどういうこと?もう二度と口も聞いてくれないってこと?
初めて祖母から言われた〝冷酷な言葉″で涙が溢れた。祖母のその時の冷たい表情は今でも忘れられない。頭が混乱した。
恐るおそる母に小声で言ってみた。
母はそれを聞いて私を引き連れて祖父母宅に乗りこんだ。祖母しかいないから、大喧嘩でもするのだろうと思っていた。
運悪く祖父が帰宅してきた。祖父は激昂して母に拳を握りあげた。とっさに私は母の上に覆い被さった。
『もう集会なんか行かないから、お母さんを殴るのはやめて!』と泣き叫んだ。
中1の時、祖父の暴力で母は複雑骨折をし、全治2ヶ月の大怪我をした。(過去記事:宗教戦争参照)
あの時怖くて先に逃げた私は卑怯者だ、同じ事を繰り返してはならない、今度こそ私がお母さんを守らなくちゃ…泣き叫んだ私を見た祖父は悔しそうな顔をして拳を下ろした。祖母はびっくりした顔をしていた。
よかった…誰も殴られずに済んだ…母は私の下敷きになりうつ伏せになっていた。
私は母が複雑骨折をした時の事をずっと後悔していた。私が逃げたからだ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…母を暴力から守れなかった私が悪い、その時の罪悪感をずっとずっと引きずっていた。よかった…とりあえず今日のところは誰も怪我せずに済んだ。ピーポーも来なくて済んだ。
それから私は集会に行かずに済むようになった。母は何も言わなかった。まさか私が覆い被さって自分を守るとは思っていなかったんだろう。
祖母は『まさかレナがアレを庇うとは思わなかった、でもよくやった』と私を褒めた。
これで大好きなおばあちゃんに縁を切るなんて言われない、ついでに集会や〝夏の大会″にも行かなくてよくなった、そして母への罪悪感からも少しだけ解放された。
勇気を出せば、私でも守れるかもしれない!
浅はかだった。
祖父は私の前でこそ何もしないが、私が祖父母宅から帰ったあと、祖母を殴り続けていた。
おばあちゃんが胸の辺りが痛いとしばらくの間言っていた。病院へ行くと肋骨が折れていた。
それでも佳子ちゃんの世話を毎日せねばならない。できるだけ手伝うようにした。
暴力をふるう男なんて死ねばいいのに。
初めて人に対してそんな感情を抱いた。
しかも自分の身内に。
でも死なれたら困る。
皮肉な事に私の家だけでなく、祖父の兄妹ほぼ一族全員が祖父の稼いだお金で裕福に暮らしたり学校へ行かせてもらっていた。
祖父は私に暴力はふるわない、けれど大好きなおばあちゃんや母への暴行は続いていた。もしかしたら障がい者の佳子ちゃんにも…?考えたくなかった。佳子ちゃんの髪の毛は白髪が半分くらい生え、ストレスで髪の毛を抜くので、以前よりも広範囲で〝フランシスコ=ザビエル″化していた。
早く大人になりたい。早くこの家から出たい。早く自分の力で働いて自立して自由になりたい。そして私をいつも助けてくれるおばあちゃんを、佳子ちゃんと一緒に引き取って面倒みてあげたい。暴力の巣窟みたいな家なんか捨てて楽をさせてあげたい。
矛盾だらけの混沌とした家ではひたすらピアノに逃げた。ピアノを弾いている間は家事労働も免除され、間違えたら母から怒鳴られるが殴られずに済む。
学校では美妃たちとバカ騒ぎ。本に逃げ、夜中にCDを聴きながらテレクラに電話をしてみたりタバコを吸う。それくらいしか自分の心を保つ事ができなかった。
タバコの数本が日に日に増えていく。気づいたらイッパシのチェーンスモーカーになっていた。
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