【閉鎖病棟入院⑥〜部屋移動&心地よい仲間編】
願い叶って個室から4人部屋への移動となった。
4人部屋の住人は、小柄なおばあちゃんただひとり。
ガランとした4人部屋の窓側を選び、小さめのロッカーに荷物を入れていく。
これで今日からやっと寝れる…
昼食は他人丼風…
デザートにヨーグルトが小さな皿に入っている。
他人丼風??まぁいいや…
ヨーグルトを口に入れた瞬間、違和感を覚えた。
ヨーグルトなのにザラザラとした舌ざわりがする…変なの…
とりあえず胃に全部流し込み、同室のおばあちゃんに声をかけ、おばあちゃんの食器も一緒に返却した。
おばあちゃんは『ありがとうございます、すいません…』と小さな声で答えた。
なんでこのおばあちゃん、4人部屋にひとりなんだろう…?
朝、凛ちゃんやターバンのお姉さんから聞いた噂が気になったが、今のところ何もない。
しばらくすると、カーテンの向こう側から、か細い声で
『どうしよう、どうしよう…』
と聞こえてきた。
何か不安でもあるのだろう。
声も小さいし、聞こえないフリをした。
『橋本さん、ちょっといいですか?』
若い主治医、Dr.Mが現れた。
『はい、お部屋変えていただいてありがとうございます。』
『気分はどうですか?
いくつか質問があるのですが、思い出せる範囲内で答えていただければ良いです。』
Dr.Mから、自身の幼少期について尋ねられた。
覚えている範囲の事を答える。
母や祖父母のこと、母が離婚してから一度も会う事ができず腐乱死体で発見された父親のこと、佳子ちゃんのこと…
話しているうち、また涙が溢れてきた。
『これまでかかられた病院で、何か病名は聞きましたか?』
『はい、最初の権先生のクリニックでは神経症(昔で言うノイローゼのこと)と言われ、その後、持続性気分変調症と診断書に書いてありました。
今の杉浦先生のところでは発達障がいが根底にあるかもだから、水野先生のところで検査受けてきて、と言われ、5/31に受けに行きました。
検査結果は、AD/HDと自閉症スペクトラムがみられると言われました。不眠や鬱は、環境による2次的な被害だと言われました。』
ありのままを答えた。
『そうですか、そちらのクリニックに発達障がいの数値を見るため、資料を取り寄せてもいいですか?』
『はい、構いません。』
『わかりました。それと…
小さい頃から“貧乏ゆすり″はありましたか?』
『いいえ…ないと思います。』
なぜ、貧乏ゆすりなのだろうか…
『皆さんにお尋ねしているのですが、小中学校のとき、学力は上•中•下とどれくらいでしたか?』
はて困った…。
どれくらいを中とするのか…
偏差値50が普通だとしても、日本国内で偏差値50以上の人口は上位38%しか居ないと、某YouTuberが言っていた。
中の尺度が分からない…
医学部を出た医師からすると全員中か下だろう…
『おそらく中の中、良くて中の上くらいだったと思います。苦手な教科もありました。』
いや、中の下かもしれないと思った。
『わかりました。趣味や娯楽は何がありますか?』
『娯楽??趣味は読書です。
娯楽は…人さまに言えるような娯楽はありません。。強いて言えば、飲み歩き、夜遊び…くらいかな…ゲイバーやホストクラブです。
高額は使いません、身が持たないですから。
飲みに出るとスカッとするんです…』
『何か健康的な方法の娯楽はありませんか?』
それきた、
夜遊び飲み歩きは健康的ではないらしい…
『運動は嫌いです…そう考えたら健康的な娯楽はありません!!』
キッパリと言い切った。
『好きなYouTuberとかはいますか?』
『YouTuberですか…?まぁいますけど…
ひろゆきと岡田斗司夫、かんちゃん住職、ゆとりーまん…あとみきてぃやですかね…』
何でYouTuberなんだろう…
『住職?のはどういったものですか?ゆとり…?どういう類のものですか?』
『住職さんのは、早く言えば説法です…ここに入院するまで、気持ちを落ち着かせるために毎晩聴いてました。
ゆとりーまんは、ブラック企業出身の4人組が世の中の様々な仕事をリアルに再現していて面白いんです。
みきてぃや…高須幹也さん、先生知りませんか?』
『存じ上げません…。』
『先生と同業者ですよ、高須クリニックの…息子さんのほう…!』
『あぁ!分かりました、美容外科の?!』
『それです、それそれ!』
思わず笑みが漏れた。
というかYouTuberまでカルテにメモするのだろうか…
先生も笑っている、初めてみた顔だ。
よく見るとDr.Mは高須幹也をグッと若くしたようにも見えてきた。
『なんで泣いているんですか?何か辛い事がありましたか?』
指摘されて気づいた。顔が涙で濡れている。
『わかりません…』
『何か我慢していませんか?大丈夫ですか?』
『我慢?…あぁ、昨日眠れなかったのが辛かったですが…ココに居る人たちも皆、何か辛くて入院しているのだと思いました。
自分くらいのことで…と思って、感情を抑えていました。
先生に言われて今気づきました…』
涙が滝のように溢れてきた。ダメだ…
『あなたは今入院中ですから、何も我慢しなくて良いのです。涙が出るということは、辛いのです。我慢しないでゆっくりしてください。
頓服出しますから、日中涙が出てしんどい時はすぐ頓服飲んでください。』
『…わかりました…』
嗚咽に変わった。
何も我慢しなくていい…初めて言われたその言葉に涙が止まらなくなった。
私はこれまで何を我慢していたのだろう?
わからない…
『もう少し落ち着いたら、開放病棟の見学に行かれますか?僕も居たほうが良いですか?』
『はい、お願いします…先生、私は売店、1人で行ってもいいんでしょうか?』
『いいですよ、さっき病棟内のスタッフに許可を出したところです。
それでは売店へ行かれたあと、開放病棟へ一緒に行きましょうか?』
『ありがとうございます…』
何て礼儀正しい人だ…
パッチリとした目、色白のDr.Mは、白いスピッツに似ている。
あ…高須幹也をグッと若くしたような雰囲気だな…ものごしの柔らかさといい…
物怖じしないあの目で見られると、全てを見透かされている気がしてならない。
彼に嘘は通用しないと思った。
13時半から15時までの1.5時間が売店へ行く時間と決められていた。
1日1回、15分以内。
私は初めての“単独外出″が許された。
時間になり、詰所へ向かうと売店へ単独外出できる数人の患者が待っていた。
単独外出の表に名前と行き先、時間を記入し、いざ、外出だ!!
ピピーッと看護師が持っているセキュリティカードが鳴り、ガチャリと鍵が開いた。
『15分以内ね〜!行ってらっしゃーい!』
笑顔で見送られ、晴々とした気分になる。
下の売店まで徒歩3分もかからないが、改めて病棟の大きさに驚いた。
廊下には、患者がOT(作業療法)で作った作品が飾られている。
その完成度の高さに驚いた。
売店に着くと、同じように単独外出を許された患者が数名おり、商品を選んでいる。
ポカリスエット、ジャスミンティー、むき栗、ストロベリーチョコレートに白いノート、耳かき…
あ!アイスも食べれるんだ。
種類は少ないが、ココではどれも贅沢品だ。
クッキーサンドのようなアイスを選び、レジへと進む。
『お小遣い帳ですか?』
『いえ、現金です…』
売店でもお小遣い帳を使用する人が多いようだ。
千円札を取り出し、釣り銭をもらう。
このまま病棟へ引き返してはもったいないので、しばらく売店の中の商品を見た。
雑誌、パジャマ、下着類、スイーツにお弁当、カップ麺に駄菓子、普通のコンビニと違う点は、ハサミが置いていない、それくらいだった。
売店は外来患者さんも利用するので、接触を避けるため、閉鎖病棟の患者の利用は午後からの時間に設定されているようだった。
中庭でアイスを食べている人がいる…
きっと開放病棟の人だろう。
この後見学に訪れる、開放病棟が楽しみになってきた。
病棟へ戻り、インターフォンを鳴らすとピピーッっと例の音と共にガチャリとドアのロックが外れる音がした。
もう一つ扉がある。
看護師が出てきて、荷物とポシェットを全て出すよう言われた。
売店に行っただけなのに…
全ての荷物チェックを受けたあと、今度はボディチェックだ。
手を横に水平に伸ばし、ポケットの中身ひとつまで残らずチェックを受けたあとは、金属探知機で全身のチェックを受けた。
『はい、いいですよー。』
毎回、毎日コレを受けるのだろうか…
不快だが、看護師もそれが業務なのだ、仕方ない。
逆に、ココに何をどうやって持ち込むのか、聞きたいくらいだ。
4人部屋に帰り、溶けそうなアイスだけ先に食べた。
残りのお菓子は引き出しの中へ。
冷たい飲み物も冷蔵庫がないのでぬるくなるが仕方ない。テーブルの上に置いた。
『失礼します。病棟見学そろそろよろしいですか?』
Dr.Mが現れた。
『はい、大丈夫です!』
嬉しくて胸が高鳴る。
開放病棟へ移れるかもしれない!!
いつものドアを出る時、Dr.M同伴なので、看護師からのチェックは受けずに済んだ。
南側の3階が、これから向かう開放病棟らしかった。
明るい上の階。
Dr.Mと病棟へ入ると、病棟管理者の男性が待っていた。
あいさつもそこそこに、私は周囲を見渡す。
閉鎖病棟と何が違うのか…
Dr.Mは私を残し、閉鎖病棟へと戻った。
開放病棟の病棟管理者の男性から色々と説明を受ける。
入院患者は半分ほどしか居ない様子だ、皆売店などに“外出″しているのだろう。
詰所の前にある広間に居る患者を見渡した。
ツンの鼻をつくトイレのニオイ…
15時になり、患者が広間に集まり皆でラジオ体操を始めた。
閉鎖病棟の住人たちで、ラジオ体操をする者は居ない。
何かが違う…
意思疎通ができそうな人が居ないことに気づいた。
分かった!!!!
ココは開放病棟と言っているが、自らの意思で外に出ようとする人がいないんだ…
ウチの実家に居た佳子ちゃんをふと思い出した。
そうか、こっちはベクトルが違う患者さんが多いんだ…だから脱走もしないんだ…
トイレからの汚物のニオイが、生暖かい病棟全体に広がっている。
素足で歩き、そのままトイレに入る患者も居た。それを気にする人もまた居ない様子だ。
ダメだ…話せる人がいない…開放病棟だけれど、患者の層が違う…
だから開放病棟なのか…
病棟管理者の男性に礼を言い、閉鎖病棟へ戻る途中、涙が出てきた。
何の涙か分からないが無性に泣けてきた。
ヒナタ姉さんが、『あっ!オツカレ!』と声をかけてくれたが、泣き顔を見られたくない私はそのまま病室へ戻り、ベッドにうつ伏せた。
19歳の頃にボランティアで行った精神病院及びそれらの施設を思い出した。
“中度さん、重度さん″が入居している施設は、いつもトイレが汚れ、そこを素足や素手で這う人たちを見て当時の私は泣きそうになった。
それと似ている。
おそらくだが、あちらの開放病棟は、今居る閉鎖病棟の住人と全く方向性が違う疾患がある人が多く居るような気がした。
佳子ちゃんを重ねた。
閉鎖病棟の住人は、ある程度意思疎通ができる人が居る。
もちろんそうでない人も多く居るのだが、何かが違うことは直感で分かるものだ。
あまりに障がいや疾患のベクトルが違うと、話せる相手がいない。
何より不衛生だった。
それを改善しようとする人も見られなかった、それを見て勝手に悲しくなった。
せっかく開放病棟に連れて行ってもらったのに何て言おう…
泣きながら言い訳を考えた。
夕方になり、重い足取りで広間に出ると、昨日のメンバー5人がテラスに居るのが見えた。
京極がこちらに向かって手を振るのが見えたので、急いでジャスミンティーを持ってテラスに出た。
『オッスー!今日昼間どこか行ってたの?』
『お部屋変わってたね!よかったじゃん!』
『主治医どんな人〜?』
京極をはじめとしたメンバーが次々と声をかけてくれた。
やっぱり閉鎖病棟でもこっちの仲間がウマが合う…
部屋が4人部屋になったこと、開放病棟の見学に行ったことなど皆に話した。
『昼間すれ違った時、泣いてたからどうしたのかと思ってたよ…』
ヒナタ姉さんが心配そうな顔をして言う。
『なんかね…開放病棟なのはいいんだけれど、居る人のベクトルがまるで違うのよ…参ったわ…』
『あ…あそこはね、病棟あんまり綺麗じゃないでしょ…』
“センセイ″こと月夜さんがポツリと言った。
月夜さんは、10代後半からこの病院に入退院を繰り返している“大ベテラン″の人だ。
彼女の口から聞く様々な情報は、とても参考になる話ばかりだった。
ヒナタ姉さんの方からフイにいい匂いがした。
『何かいい匂いする…そのカチューシャも可愛い…何の匂い?』
『ゲンキングが監修してるシャンプーだよー!コスパ良くて最高だよ〜!』
ヒナタ姉さんは、長い髪の毛を指先でクルクル回しながら、香りの秘密を教えてくれた。
今日はクロムハーツではなく、GUCCIのパーカーを着ている。
『ねぇねぇ、その眉毛、アートメイクしてんの?』
綺麗な眉毛の秘密も聞いてみた。
『そうそう、日本と韓国で1回ずつしたよ!
色薄くなってきたけど…』
美意識高いなぁ…
ヒナタ姉さんは、病院だからスッピンだけれど、外で普通に見たらものすごくオシャレで美人なんだろうな…
私とひとつ違いで、すごいな…
感心してヒナタ姉さんの眉毛アートをじっと見つめた。
『あ!今日ふりかけ買うの忘れた〜!!』
『ココはふりかけないと、ゴハン食べられないよ〜!ふりかけはマジ必須!!』
京極や凛ちゃんも声を大にして言う。
やっぱり同じこと皆思ってたんだ…
明日買いに行こ…
気がつくと私もいつの間にか皆に混じって笑っていた。
やっぱりこうして話せる人が居ないとたまらんわ…私はココ(閉鎖)に居よう。
隣に居た色素薄い系男子にふと尋ねてみた。
『答えたくなかったらいいんだけれど、もしかして大学生?
何かODするキッカケがあったの?』
『いやぁ…僕大学生なんですけど、心理学専攻してて…早い話、ミイラ取りがミイラになった的な…』
クシャッとした笑顔で答える彼は、現役の大学生であり、心理学専攻との事だ。
大学3回生の彼の事を“心理学生クン″と呼ぶことにした。
『なるほどね!ミイラ取りがミイラね…!』
私も笑い返した。
話してみたら面白いメンツばかりだなぁ…
21歳の凛ちゃんは、入院するまでバリバリの金融レディだった。失恋がきっかけで不調を起こし、入院したと言う。
皆、お互いの病名や背景には深く触れない。
ふんわりとしたニュアンスで相手の話の中から想像して答える。
誰しもが何らかの事情で深く傷ついている事は、なんとなく想像がついた。
“入院初日は錯乱状態で覚えていない″、皆同じことを口にする。
何だかホッとして、いつの間にか昼間の事を忘れていた。
夕食が終わり、広間に出ると5人のメンバーがテレビの前のテーブルに座って雑談をしている。
凛ちゃんに手招きをされ、私も仲間に入れてもらう。
ふと見ると、“センセイ″こと月夜さんがイラストを描いている。
近くに寄ってこれまでの作品を見せてもらった。
驚くほどイラストが上手い。
プロのクリエイターさん??
何なに…すごいんだけど…
月夜さんは『暇つぶしに描いてるだけ、そんな、プロじゃないから…』と遠慮がちに言う。
初めて見た彼女の絵は、全て女の子で、天使のようだ。
その女の子は全て月夜さんのような、大きく透き通った目をしており、彼女そのものに見えた。
女の子は、笑っていたり様々な表情をしているが、半分近くは涙がこぼれ落ちる女の子の姿だった。
鼻の奥がツンとしてきた…
ダメだ…また泣きそう…
こんなに絵が上手い月夜さんは、どれだけ辛い思いをしてきたんだろうか…
口数の少ない彼女とまだそんなに話していないが、彼女の描く涙目の女の子から、悲しみとも嘆きともとれる何かが伝わってきた。
20時半の夜のお薬タイムまで、私たち6人は、パリオリンピックを見ながら、あーでもない、こーでもないと他愛のない話をして、それぞれの夜を楽しんだ。
私の主治医であるDr.Mは、高須幹也に似ていると私が話すと、いや…山本耕史に似ている、とも言われた。
閉鎖病棟で何が楽しいのか?と思う方も居られるだろうが、それくらい時間を楽しく過ごせる仲間に出会えたことに違いはない。
22時の消灯になっても、眠気がこない私は、詰所で頓服をもらい、口に放り込んで飲み干した。
部屋を訪れたベテラン男性看護師に
『橋本さん、Dr.M先生で良かったね…あの先生まだココに来て新しいんだけれど、僕らにも、とっても腰が低くて、真面目で熱心な先生なんだよ…良かったね…』
と言われた。
そうか、患者だけでなくスタッフにも腰が低い先生なんだ…
真面目で熱心か…当たってるな、、
良かった…
若い先生で初めは不安だったけれど、めちゃくちゃ丁寧な人に変わりはない…
それに私の好きなYouTuberにもほんの少し似ている…
明日の応診が楽しみになってきた。
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