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【閉鎖病棟入院②〜部屋の不思議と病棟探索編】
入院初日の事は断片的にしか覚えていない。
それくらい錯乱状態だった。
閉鎖病棟の個室にぶちこまれたあと、
『コロナの検査結果を待つためです、入院初日は皆個室なのですよ、後で先生が診察に来られるからお部屋から出ないでね』
とベテラン看護師に言われ、そのまま1人ぼっちになった。
部屋を見渡す。
胃腸も子宮もキリキリ刺すような痛みを抱えながら、部屋の真ん中にポツンと置かれたシーツも枕カバーもかかってないシングルベッドに腰掛けた。パサパサのゴワついた毛布が一枚だけ。
2日前からお粥とポカリスエットくらいしか口にすることができなかったので、寒気がしてきた。
個室は8畳くらいあり、トイレと洗面所が室内にある。
大柄な私には小さすぎるようなシングルベッドだが文句は言えまい。
真夏なのに寒さで震えた。
ベッドの横に小さなテーブルがひとつだけ。
不思議なことに、総合病院などの一般病棟にあるテレビや冷蔵庫が見当たらない。
荷物もそのままに、簡素なベッドに横になった。
ナースコールは壁に埋め込み式だ、初めて見たぞ、変わってんな。
思い出したようにスマホを取り出すが、Wi-Fiが繋がらない。“携帯電話は原則として持ち込み禁止です″と書面に書いてあった事を思い出す。
しばらくして生理用品を個室内のトイレに持っていき、用をたす間不思議な感覚に陥った。
トイレのドアがやけに重い。ドアノブがなく、鉄の重いドアだ。
杉浦先生の言葉を思い出す。
新しい建物で綺麗なのだが、何かがおかしい。
室内を観察する。
窓は東向き、磨りガラスで外は見えない。
窓はお慰み程度に10cmくらいしか開かない。薄く白いカーテンが1枚のみ。
患者が飛び降りないようにするためだろう。
入り口付近に洗面所があり、隣にロッカーがある。
そしてなぜか二重扉になっているが今は閉まっていない。
何で二重扉なの?
部屋をぐるりと見渡す。
やはり部屋のバランスの何かがおかしい。
自分の頭がオカシイからココに入っているくらいの事は百も承知だ。
お腹が痛くてもう一度トイレに入る。
分かった!!!!
トイレも部屋も、広さに対して天井が異様に高いんだ!!
おお!!なんという新しい発見!
そうか、首つりができないような高さなんだ!
電気もナースコールも全て埋め込み式なのは、首にひっかけるものがないよう、極力全てのものに創意工夫がなされてるんだ!
と感激しているうちに、部屋がノックされた。
白衣の上から防護服を着た男性医師と、濃紺のユニフォームを着た若い助手みたいな男性、2人が部屋に入ってきた。
『どうですか?お熱はありませんね。内科医ですので少しお腹の様子を見せてね。
いつから痛い?血液検査もCTも特に目立った異常はなかったよ。生理になった?
ふんふん…そりゃあココに入院してくるくらいだから、ストレス性の胃腸炎にもなるよね…』
と防護服を着た年配のベテラン内科医が、お腹に聴診器をあてながら、ゆっくりと穏やかな口調で話しかける。
良かった…さすが精神科に在中している内科医だ、患者の扱いに慣れている。
『今朝から生理になってお腹が痛いんです、いつも酷いからロキソニン飲んでるんで、痛み止めください…』
『そうねぇ…生理痛酷いなら本来ならロキソニンなんだけれど、君胃腸炎起こしてるっぽいから今日はカロナールの処方箋しか出せないね…』
『カロナール2錠では効かない痛みなんです…』涙目になりながら内科医に訴えた。
『と言っても今日はロキソニン出せないよ…カロナールを4時間おきに出しておくから、痛くなったら看護師さんに言ってね。
それと今日の夕食はおかゆにしておこうか?』
『おかゆでお願いします。』
内科医の後ろから、濃紺のユニフォームを着た助手のような若い男性がひょっこりと顔を出し、私の言動を観察していることに気づいた。
研修医だろうか?
カロナール2錠ね…とブツブツ2人で話しながら私の様子を見ている。
診察はすぐに終わり、2人は部屋をあとにした。
カロナール2錠なんて効かねぇんだよ!!と心の中で悪態をつき、それでも何もないよりはマシだ…と自分に言い聞かせた。
その後女性看護師が2人部屋に入ってきた。荷物検査とボディチェックだそうだ。
きたきた。
精神病院は色々と持ち込めない物が多いと聞いていた。ネットで調べた必要最低限の物をキャリーと大きめのバックに詰め込んだ。
タバコはもちろん禁止なので相方に持ち帰ってもらった。
『荷物を全部出して中身を見るので一緒に確認してねー!』と明るい口調で、テキパキと2人の女性看護師がキャリーとバックの中身を取り出し、内ポケットのひとつまで、もの凄いスピードでチェックしていく。慣れた手つきだ、素晴らしい。
その様子を呆然と眺める自分。
『ごめんねー、薬は全部預からせてもらうね。あ!ガムもダメなのよ…鏡もね、靴ひもと…』
なんでガムがダメなのか分からなかったが、仕方ない。
参考書と一緒に持ち込んだ筆記用具と、アルビオンのコンパクトファンデーションについている小さな鏡ひとつだけ許された。
『次ね、身体に傷がないかボディチェックするから立ってもらえる?そう、手を横に水平に伸ばして…ごめんね、衣服おろして触っていくね!』
もうなすがままだ。
悪いことなんてひとつもしてない、薬ひとつ、ライター1本、何も隠してない、好きなだけ見てくれ。
ここで抵抗したり、暴れると大ごとになると何かで見た事がある。
看護師さんたちもこれが業務なのだ。好きで人の持ち物を細かくチェックしたり、身体検査をしているわけではあるまい。
大変な仕事だ。
昔刑務官や警察官になりたくて、それらの本を読んでいた時、身体検査の内容をふと思い出した。
肛門に何やら隠す者もいると書いてあったが、ここは刑務所でも拘置所でもない。その検査は間逃れた。
履いていたズボンをおろされ、靴も脱いだ。
2人の女性看護師は、ふんわりと、だが確実に私の体を目視しながら触れ、傷がないか異物を隠していないかチェックしているようだ。上のTシャツも捲り上げ、細かくチェックしていく。
ぬかりがない。完璧だ。
『はい!もう大丈夫よ!何もないね、ごめんね。預からせてもらうもの、旦那さんに持って帰ってもらうからね。』
『スニーカーもダメなんですか?』と問う私に
『そうなのよ、紐系は原則ダメなのよ…ウエストの紐もダメなんだけれど…あなたは大丈夫そうね!』
そうか、私は首をつるようには見えないんだ、その通りだ。
こういう時は大人しく身を任せておくのが正解だ。
2人の女性看護師は、バスタオルや衣類を次々とロッカーへ入れてくれた。
『ありがとうございます。』と礼を言う。
最後にスマホ没収となり、電源を切り充電器と一緒に透明の袋に入れて差し出した。スマホについては後日先生から説明があるらしい。
売店でテレフォンカードを買っておいて良かった。
小銭入れの中に、売店へ行く時のための千円札が数枚あるがどうするか聞かれたが、自己責任のもと自身で管理できると主張し、許しを得た。
テレフォンカード、洗濯カードも小銭入れに入れ、小さなミニポシェットに突っ込んだ。
寒いと告げると、エアコンのスイッチを切ってくれ、明るく元気な女性看護師2人は部屋を出て行った。
ベッドの横の小さなテーブルの上に、持参した安っぽいピンクのプラスチック製のコップを置く。
ガラス製や瓶類は禁止。
普段歯磨きの時に使っているものだ。
テーブルの引き出しには、小さい櫛と入院の書類、売店で買ったクッキーの箱を入れた。
しばらくして、男性看護師がシーツや枕カバー、布団一式を持ってやって来た。
やっとお布団がきた!
『コロナの結果陰性でしたよ、良かったですね。シーツと布団をセットしますね。もうお部屋から出て、病棟内を自由に見て回ってもいいですよ。お茶は詰所の前の広いお部屋にあるから、好きに取りに行って下さいね、あ!“男性ゾーン″には入らないようにね!もうじき夕食だからゆっくりして下さいね。』
とても明るくハキハキした、中年のベテラン男性看護師だ。
『お部屋暑くないですか?』
『いや、何も食べてなかったんで寒くてエアコン切ってもらいました…』
『わかりました、エアコンのスイッチココね、わからない事あったらナースコールか詰所で聞いてくださいね。』
『ありがとうございます。』
入院期間が全く読めない、世話になる医療従事者に礼儀正しく接しようと腹をくくった。
時には患者の嫌がる事をしなければならないのも業務のうちだろうが、同じ人間だ。言動ひとつで待遇が変わるかもしれない。
こういうところだけ昔から冷静になる。
18時になり夕食が運ばれてきた。
胃腸炎も起こしていたのでおかゆになっている。胃腸炎用の食事なのかなぁ…クタクタに煮た野菜と白身魚の煮付けだった。
味はほとんどしなかったが、2日ぶりに完食した。
生理痛が本格的になってきたのでナースコールをし、カロナール2錠をもらってすぐに飲む。
4時間おきに出してもらえると聞いたが、生理初日から2日目にかけての夜が1番キツいので心配で仕方ない。
ようやく自分の置かれた立場を再認識した。
自宅から持ってきたラデュレのブランケットを枕カバーの上に敷き、マリーちゃんのタオルを置くと、何となく自分の部屋のような気分になってきた。
フジコヘミングの本と手帳も引き出しに入れた。
さて、病棟内を一周してみようとポシェットをぶら下げて個室を出た。
私が入院している閉鎖病棟の中に何があるのかこの目で確かめておかねばならない。
“女性専用ゾーン″を出ると、詰所の前に大きな広間があり、そこで食事をとる人たち、両端に設置された2台のテレビを見る人たちがまばらに居る。
若い人からお年寄りまで年齢も性別もバラバラだ。
私は本棚を見つけてすぐに駆け寄った。
本の種類を見ると、過去の入院患者が置いていったと思われる雑誌類やマンガ、文庫本がある。
自宅の本棚と同じ本がいくつもあったが、シェイクスピアなど今は読む気ににもならない。
ここはお手軽に読める本を…と思い、林真理子の赤い本、ヤクザの生き方みたいなノンフィクションもの、ELLEジャパンとクラッシーの雑誌を手に取り、近くの椅子に座った。
気分を落ち着かせるため、ELLEジャパンとクラッシーに目を通していると勝手に涙が出てきた。
“雑誌の中のキラキラした人たち、欲しかったネックレス、オシャレな洋服…今ココに居る私にもう用はない″…悲観的になり、心が張り裂けそうになったので、2冊の雑誌をすぐ本棚に戻した。
すると様子を見ていたのか、看護師が私に近づいてきて『雑誌や本は自分の部屋に持ち込んで読んでもいいからね』と言った。
まずはヤクザモノの本を自室に持ち込んだ。
これなら気分転換にサクサク読めそうだ。
ヤクザの生きざま〜のような本をパラパラめくりながら、カロナールで生理痛が治るのを待った。
消灯は22時らしいが、入院初日で気分が高揚し、不眠のキツい私は23時まで部屋の明かりをつけておく事が許された。
それまで何時間もあるので、カロナールが効いてきたところで、院内探索を再開することにした。
テレビは先ほどの大きな広間に2台、“女性専用ゾーン″の奥のソファのところにもう1台ある。
共同のトイレと洗面所がある横に、洗濯機と乾燥機を発見した。
入院中は、家族が衣類を取りに来ない限り自分で洗濯をしなければならない。
(自分で洗濯ができない人は有料で業者に依頼する)
下の売店で購入した洗濯カードは1枚1000円。洗濯機が1回200円、乾燥機が30分100円…どこかのホテルと全く同じだ。
洗濯洗剤もスティック状のものを購入した。衣類は30分では乾かないだろうから60分で200円、1回洗濯をする度、最低400円ほどかかる計算だ。
毎日はできないから2日か3日に1度しようか。
携帯電話は基本的に使えないので、病棟内に公衆電話が2台あった。使用時間は1回10分以内。
数十年ぶりに購入したテレフォンカードを差し込み、事前にメモしていた相方の携帯電話にかけてみた。
『もしもし、公衆電話からかけてるからすぐ切るけど…』
『大丈夫か?あれからどんな?』
『生理でお腹が痛いけど、カロナールしか出してもらえなかった…』
『院内はどんな感じ?ご飯は食べれたか?』
『今探索してる、ご飯はおかゆだった…おかずは味がない』
『何かいるものあるか?』
『テレフォンカードがすぐなくなりそうだから、叔母と博士に余ってるのないか聞いてみて。それと紐付きのスニーカーダメなんだって、玄関にある黄色いサンダルもお願い。公衆電話から携帯にかけるともの凄い速さで数字が減ってくよ、もう切るね…』
『分かった。テレフォンカードとサンダルね、聞いておくわ。猫たちは2匹とも元気よ、面会行くからな。きちんと寝なさい。』
最初“105″と表示されたテレフォンカードの数値が恐ろしいスピードで減るので、そのままガチャリと切った。
病棟内では、許可された者しか携帯電話を持つ事ができないらしい。時間制限もあるようだ。
外部からの電話は、病院は誰であれ一切取り継がない。
なので患者の方から公衆電話で連絡をしなければならなかった。
私は携帯は没収されてしまったので、用事がある時や誰かの声を聞きたい時は公衆電話を使うしかない。
テレフォンカードがすぐになくなることが分かった。
確か叔父の“博士″がたくさんテレフォンカードを持っていたような記憶があった。
そもそもテレフォンカードなんて使うのは、高校生の時以来だ。公衆電話も然り。
令和から一気に昭和にタイムスリップした。
それだけ現代の生活が便利だったということだ。
短い電話を済ませ、病棟内をぐるぐる探索していると、今度は自分の居る場所が分からなくなってしまった。パジャマを着た私自身が不審者そのものだ。
『姉ちゃん!ココは男性ゾーンやから入ったらアカンで!』突然同年代くらいの男性に、大きな声の関西弁で話しかけられビックリした。
その男性患者は長く伸びたロン毛に髭という出立ちで、お茶のコップを持って私の前に立ちつくした。
『すみません…今日入ったばかりで気づきませんでした…ココ“男性ゾーン″なんですね…ナースステーションはどっちの方向でしょうか…』
『…そうかいな、姉ちゃん新入りか!ほな連れてったる。俺はオカモトや!オカモトな!』
オカモトと連呼する男性患者の後をついていくとすぐに詰所に着いた。
『看護婦さん!この姉ちゃん、男性エリアに入っとったで!ちゃんと説明したらんかい!』
男性看護師が慌てて出てきた。
『すみませんでした。』
『おう、俺はオカモトや!よろしくな!』
オカモトさんはそのまま立ち去り、出てきた看護師に軽く病棟案内をしてもらい、自室に戻った。
唐突に話しかけられてビックリしたが、オカモトさんは悪い人ではなさそうだ。
そもそも“男性ゾーン″に迷い込んだ私を詰所まで連れて行ってくれた、親切な人だ…
ちょっと声が大きくて馴れ馴れしいけど、よろしくな!と言ってくれた。
それにしても人の事を新入り呼ばわりとは、ここは刑務所か拘置所かよ…
にしても、なんであんなロン毛に髭なんだろう…
ハッ!!もしかして昔、men's egg読んでた系の人なのかなぁ…
なんてアホなことを1人で考えた。
バリバリの関西弁を話すオカモトさんは、それからも唐突に話しかけてくるが、適切な距離を保つ人であった。
入院して初めて私に話しかけてきた、第一号の男性患者であった。