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夏と秋

夏菜子には好きな人がいる。そんなことは百も承知している。         
しかし、彼女は今日も俺の隣に座りウトウトと眠っている。こんなことができるのなら、もっと積極的にアピールしていけば良いと思うけど。
彼女に言わせればそれは違うらしい。
「千秋はわかってへんな。好きな人にはこんな姿見せられへんで。かわいい女の子でおらんと。すっぴんで髪の毛ボサボサなのを見せられるのは家族だけ。」
いやいや。俺は家族でも幼馴染みでもないねんぞ。心の中で突っ込みながらいつもこの関係に甘えてしまっている。
俺と夏菜子が出会ったのは2年前の冬だった。大学の講義でたまたま同じグループになり、同じ専攻だったことから話すようになった。気づけば、土日は一緒に遊び、愚痴りたい時はどんな時間だろうが家にやってきてやけ酒を浴びて彼女はスヤスヤと眠りにつく。一度も一緒に寝たことはない。端から見れば変な関係なのかもしれないが、この大都会の中で、独特の話し言葉と距離感を持ち合わせている俺たちは唯一の仲間なのだ。もうすぐ桜の開花予想が始まる。空気が少しずつ熱を帯びていく。少し寒いけど、この季節のベランダでのタバコは気持ちが良い。

開花宣言がなされてからあまり夏菜子を見なくなった。理由は大体わかる。ずっと気になっていた彼と上手くいき、夜な夜な遊んでいるからだ。彼女がどうなろうが関係ないが、最近よく教授に注意される。
「卒業研究は君たちの将来がかかっているんだよ。きちんと出来ないんだったら帰りなさい。」
先週は二回ぐらい帰らされた気がする。あまり覚えていない。卒業がかかっている今回の研究は毎日夜遅くまでやっても進んでいる実感が湧かない。昼間は履歴書を作り、着慣れないスーツで希望に満ちた目をした人と、毎日の絶望に負けそうで光を失った目をした人たちが行き交う街を歩く。家に帰ったのはもう一週間も前か。そんな事を思いながらタバコを咥える。しまった。ライターを忘れてしまった。この時間は構内にあまり人がおらず喫煙所も自分一人。諦めて帰ろうとしたら、「はい。これやろ」と少し丸みを帯びた手が目の前に。「ありがとう」そう言って百円のライターを受け取る。
「何しとん?」
「卒業研究や。全然進まんから居残り」
「えらいやん。休憩?」
「まぁそんなとこ。自分こそ何しとんねん。こんな時間に大学おった事ないやろ」
「私文系やし全然ゼミとか行ってないわ。それは失礼やで。四年日間で一回ぐらいあるわ」
二ヶ月ぶりにあったくせに前みたいに眩しい笑顔を俺に向けてくる。何がそんなにおもろいのかと思うけど、アホみたいに大きな声で笑う。
この大都会に身を潜めて四年。心から笑い、それを恥じる事なく表現するのはこいつぐらいだ。生まれ育った地が恋しくなる。
「それでほんまに何してるん?彼氏のとこ行かんでええんか?」
何も答えようとしない。気づけばタバコの火は消えている。
「なぁ、、、、、。今日千秋の家行ってもいい?久しぶりにあの汚い部屋に行きたい」

どう返事をしようか迷う。夏菜子から部屋に行きたいと言われたのは初めてだ。勝手にやってくるが行きたいと言ったことはない。
目の前にある見慣れた顔には小さな傷が付いている。言葉にならない距離を感じ、胸の奥がキリリと痛む。
気がつけば夏菜子の左手を握っていた。
彼女は何も言わず空を見上げる。
僕の右の袖口が少しずつ湿っていく。
新しくタバコに火をつける。
「なぁ、、、。ちょっとだけ聴いて欲しい。俺はな毎日朝起きたら『今日が最後の日になる。何しよかな』と思って顔洗うねん。人間ってそんな大した生き物じゃないからいつこの世から消えるのか分からん。それでも生きていたいし、何があっても失いたくないもんがあんねん。それは家族と家族もどきやねん。」
「家族もどきって何かきもいな。」ってクスッと笑う。
「どこに行っても、何をしても、、最後にはここに戻ってくると思うねん。俺もお前も。家族もどきやから。それで良いから。どんだけ時間が経っても、どれだけ遠くに行っても心だけはいつもそばにあって手を繋いでたいねん。」
「らしくないわー。勉強のしすぎで頭パンクしたん?(笑)」
いつも真面目な話をすると戯ける。それが照れ隠しであるのは最初からわかっている。なぜなら俺も同じ事をするから。だから二年間ずっと真面目な話がいつの間にか笑い話になっていた。
でも、今日は珍しく言葉が少ない。
「今日だってそうやろ。」
答えは聞こえてこないけど、最近切ったのであろうショートカットが揺れる。
「永遠なんてないけど、とうぶんは家族みたいな心が繋がった関係でおろ。   無理もせん。無茶もせん。どんな姿もありやから。」
タバコの火が消えたら・・・。

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