目的と手段

目的意識を持てているか。
これは何事においても大事なことだと思う。例えば、大学に合格するために高校生が勉強すること、大学生が職に就くために専門的な勉強をすることなど挙げだすときりがないほど何事においても目的となるものがある。

一方でこの目的を忘れ、手段となっていることは往々にしてあるように感じる。先ほどの例を引用して考える。高校生がなぜ受験勉強するのか→大学に合格するため。大学生がなぜ勉強するのか→職に就くため。

とどのつまり、高校生が勉強するのは職に就くため。生きるためなのだ。別に大学に行かなくても職に就くことはできるし、生きていくことはできる。だが受験勉強をして大学に行く。大学に行き、卒業すると大卒程度の学歴が得れ収入が上がるなどの待遇の差があるからなのだろう。ということは大学は目的ではなく手段に過ぎないのである。

実際、高校時代からこのように考えている人は多くはないだろう。「みんなが大学に行くから」「大学に行った方がいいらしいから」などの理由で大学受験に臨む人は少なくない。この場合、手段であるはずの大学が目的になってしまう。このようにして入学した大学では何となく単位だけとって、卒業して何を得たのか分からないまま職に就いていく。

なぜでは目的意識を持つことが大事なのか。私が考えるのは、道標となり目的達成が楽になると考えるからである。
このように考えるとわかりやすいだろう。〇をやるべきことがわかっている情報、■をわかっていない情報とすると
目的意識なし:〇+■+■=■(真の目的)
目的意識あり:目的=〇+〇+〇
のようなものであるだろう。目的意識があるだけで、次に何をすればよいのかということを逆算することができるため明白となり、達成が楽になるだろう。(※〇ができるようにするために努力は必須である)

現在、世の中は空前のトレーニングブームである。一言に筋トレと言っても各々目的が違うだろう。痩せたい人、体型を維持したい人、健康になりたい人、ボディビルなど大会に出る人など目的なんて千差万別である。
私も昨年からジムでトレーニングを始めた1人なのだが、私の目的は所属するサッカーチームで活躍できるようにするためだ。この目的をもってジムなど様々な場面で努めている。ジムにおいてはウエイトを増やすことだけではなく、瞬発力を上げるための種目を取り入れたり、食事でも体脂肪を増やさないための節制を心がけるなどだ。ただ、はじめから自分に知識があるわけではないため文献やYouTubeなどを様々みて勉強をするようにした。(1人だけを参考にすると真偽が分からないことがあるため、なるべく多くの人を見て共通認識を取り入れたり実際にやってみて体感で良かったものを取り入れるなどするとよいと思う)

結果としては一朝一夕ではないし、目的が違うなら方法も違うだろう。自分と目指す先が同じ人に聞いてみたりする事が大事なのだ。そのためには、自分の真の目的が分からなければ意味がないのだ。目的が分からないままに誤ったことをしてしまうと全く自分が望まない結果になりかねなかったり、結果がであるのが遅くなって途中で挫折してしまう可能性もある。

これ等の事から何が言いたいのか。自分が何かをやるとき、自分の目的とは何なのか。その目的を達成するためにはどうするのが効果的なのか、目的の先には何があるのかということを一度立ち止まって考えることが結局近道なのではないだろうか。学ぶ意義とはそのようなことではないのだろうか。

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