あと2日
家の前で日の出が見られる。ただそれだけなんだけれど嬉しい。明日も明後日も見られるかな。
カウントダウン
今までの人生でこんなにカウントダウンした事は無かった。最初の結婚する時にも、亡くなった彼のもとに着替えと身の回りのものだけ持って下道をロングドライブしてくるときも、カウンドダウンなんてしなかった。今の私のどの感情がカウントダウンさせているのだろう。
新しい生活が始まるのだから門出なんだろうけれど、ちっとも門出な気持ちではないし、しっかり暖簾を下ろして墓前に「ご苦労さま。ちゃんと片付けたよ」と報告して帰るつもりが、参るお墓がない。
なんとも宙ぶらりんになっている気持ちがある。私の顔を知らない彼の友人が私を葬儀に付き添ってまで参列させようとしたのは、この宙ぶらりんにならないためだったのかしら。
実家に泊まる事や外出が多い人だったので、私の気持ちはまだお留守番のままなのかも知れない。忠犬ハチ公というより「待て」のコマンドが入っている犬だったらどうしよう。
リスペクト
亡くなてしまうと、嫌な部分が足切りされて評価が上がるのか尊敬していた部分だけが残る。もったいながって冷凍しておいて「何」かわからなくなった物を捨てるときに普段ならプンプンしていただろうに、ゴメンね!と思いながら捨てる。
私はこれから、彼のように万人に自分をさらけ出して受け入れるような人間になれるだろうか。親友/旧友/顧客まで泣いてもらえるような人間に近づけるだろうか。三歩後ろを歩くようなこともなく、並んだり前に出たり、一歩だけ後ろだったり彼の周りを勝手気ままに歩いていたのに、いつのまにか尊敬する人になっている。
人生観
またゴミ捨て場の写真だけれど、コレが私の使っていたアイロン台。コンパネの半端にボロくなったタオルかバスタオルを畳んで包み彼の汚れが落ちなくなったワイシャツを表布に縫い付けただけのもの。
彼の洋服ダンスは、私のダンボール細工の3段の引き出しだったし、縫って直せるものは適当に繕って着ていた。流石に実家に行く時と買い物に行く時には「着替えて!」と言って着替えさせていたけれど、数回に一度は「これでいい」とそのまま出掛けたし、もちろん私が見ていない時にはそのまま出掛ける。
一度目の結婚の失敗から「お金にだらしない人と結婚しても失敗する」「愛があってもお金がなければ愛は続かない」と教訓として学んだつもりだった。なんとも不思議である。私は貧乏を楽しんでいた。
アマゾンの欲しい物リストにはいろいろ詰め込んであるし、彼と海外旅行の行き先をいろいろ話したことも何度もある。ヨーロッパの燻製を食べに行くところから始まり、最後はTボーンステーキを食べてゴムのような硬いステーキも食べてホットドックも食べるあたりで落ち着く。
金銭的には私は窮地に追い込まれているのに責める気にもならない。反省する気にもならない。まったくもって自分が何を考えているのかわからない。人生観そのものがどこかで上書きされてしまったかのようだ。
明日の予定
彼のご家族が明日から一泊でこちらにお見えになる。近くの旅館にお泊りになられるので、夕方も早くに引き上げられると思うのだがダンボールベッド生活がバレるのではないかとヒヤヒヤしている。
明日は梱包済みの荷物を発送して、残りの荷物を息子の車に本当に乗るのか悩む。もう1箱荷物を作ろうか。
午前中:工場の壁掃除/デスクマットの片付け
午後:荷物発送/冷凍庫の床の掃除の相談/止水栓の相談
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