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ちょっと参ったな

 昨日保健所まで犬の転居の届けを出しに行った。保健所は日赤の真ん前。
この前日赤に行ったのは、彼が救急搬送された伊勢の日赤だった。
もしトラウマという言葉を自己判断で使っていいのなら、「病院」がトラウマになってしまっているのかも知れない。

自己分析


 私はたぶん基本的には臆病者だと思う。しかしビクビクしながら考えて後がないと腹を括り踏み出す事はできる。だけど、臆病なので人に臆病者だとバレるのも怖い。それゆえに傍からは一歩を踏み出すところからしか見えないので「強い」と言われる。確かに、トンデモナイ!と思っていた事を踏み出した自分は、自分から見ても強いなと思うけれど。

就職活動


56歳になった私の就職先は限られているようだ。検索して豊富に出てくるのは介護施設・看護助手等がほとんどである。とりあえず、自分の車を確保して維持できるところまでこぎ着けないとならないので職を選んでいる余裕はないのだけれど。
 日赤の赤十字マークや救急車を見ると、目の前で苦しみ始めた彼を思い出してしまう。ご遺族が彼に会ったときには心臓を機械が動かしていたので、彼の苦しむ姿を伝えていない。
そして彼の葬儀に参列された方が「だいぶ苦しんだみたいだな。いい顔はしていなかった」と私に伝えた言葉を思い出す。
 参ったな。一歩を踏み出すのに躊躇している。腹を括って一歩を踏み出し
たら乗り越えられるのだろうか。何かキックバックがありそうな予感がする。

ワタリガニのクリームパスタ

食事

 トラウマは何も病院のみならず、小さい事なら日常に溢れているのかも知れない。彼が最後に作ろうとしていたパスタはこれから先食べることはないだろうと思う。日常的に食事を作ってくれていた彼の定番メニューはどれも躊躇してしまうし、人生賭けていた燻製となるとまず食べてはいけない気すらする。
 この定番メニューというのが曲者で「簡単・手早い・有りものでイケる」という三拍子なので避けて通れないものを避けている。
避けきれずに食べてみれば食いしん坊なので「美味しい」と素直に感じるのだけれども、何も克服されておらずに避けたい気持ちは残ってしまう。

病院に勤務したり救急隊員だったり、どうやって気持ちを整えるんだろう。今度、誰かが私の目の前で具合が悪くなった時に、私の思考は一直線に死を連想したりせずに対処できるのだろうか。そんな不安な気持ちを抱えたままで介護施設や病院で働くなんてアリなのかとグルグルと考えているような気持ちになるけれど、実は何も考えられていないのだとわかっている。

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