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死別を受け入れるまで 1.疫病神

 彼が亡くなった事は勿論、工場閉鎖のお手伝いをお願いをした先の社長さんやら別の依頼先の二代目さんやら相次いで事故や急病で手術を受けられたり、彼が譲り受けて実家で飼っていた犬が亡くなったりして、すべてが私と関わったせいではないかと真剣に悩んでいた。
 親身になってくだされば、くださるほどに「この人に何かあったら」と私は心配になり、しかし相談相手なしには解決できないことばかりで、自分を呪い、これ以上誰も死なないでと追い詰められていった。

期間にして3~4ヶ月ほど、2ヶ月で引越したので、引越しをしない生活だともっと長引いたのかも知れない。

 引越す前は取引先等お世話になった方々が弔問にいらしてくださった。これがまた、悪意のない呪いの言葉の連続だった。そして弔問を受けた数と同じ回数〈どうなって、それからどうなって、彼が死に至ったか〉を説明させられた。どうしてソコを詳しく聞きたいのだろう。私は何度も彼が苦しむ姿を思い出した。
 そもそも〈一緒に生活をしていて、同じものを食べ、同じ仕事をして、一緒に寝る〉同じ結果が出てもいいハズなのに自分だけが健康に生きているだけで罪の意識がある。「もっと私が運動に連れ出せば、食生活に気をつけていれば、彼の負担を軽減できていれば」ありとあらゆる事を後悔して自分のせいで彼が亡くなったと思っていた。

彼は亡くなる3週間前から1週間を福岡に単身で出張していた。愛車に商品を積み込み自分で運転していった。出張が決まった時に「一人じゃ無理かなぁ?お前も一緒に行くか?」と聞かれたがわたしの返事は「犬と猫どうすんの?」だった。「そうか。そうだな」それ以上の話はしないで、お互いにどうするかを悟った。

  • あの出張は一人では無理だったんだ

  • 予兆とか前兆とかあるハズなんだよな

  • また寝る時に寝ないで仕事したりしてたんでしょ

  • 太り過ぎだよね。あの太り方は異常だよ

  • 旨いもんばっかり食べてるから

どの言葉も「お前のせいだ」「一緒にいて気付かなかったのか」としか聞こえなかった。彼と同じ病気になられた知人の親戚のお話を聞かされても、皆さん一命を取り留められていらっしゃるお話だった。

必死になって、自分の中で理屈を探した。私が彼を殺めていない理屈を。

  • もし私が彼を殺める事ができるなら助ける事もできるはずだ。

  • もし私が人さまの身体をコントロールできるなら消費カロリーは莫大だ。

こんなレベルで考えているから、生の横にはいつも死はあるという真理にはたどり着かない。

引越して息子と同居になるにあたって、真剣に息子の命に何かあったらどうしようと思っていた。この悩みに限っては以外に早く答えが出た。そうなったら生きている意味を見いだせないのだから、悩む意味すら無かった。

私のせいでひと様の命が~という部分もゆっくり解消していった。簡単な話、ココを離れて暮らしていた間に多くの友人と疎遠になって、近隣の住民は転居やら他界やらで知り合いが少なすぎることと、私が戻って来たことを伝えていないので、知人の病気の話が私の耳に届くことが無いのである。

そして、1つ悩みが消えた分だけ新しい不安に駆られる心の隙間が出来上がる。

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