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あ然
納骨
知らせはLINEで届いた。
3回忌を終えた彼が納骨されたのは、私の誕生日だった。
因果なのだろうか
御縁なのだろうか
まあ、土日休みの前の祝日。3連休の初日で皆んなの都合がつきやすかっただけだろうけれど、私の頭は自分を落ち着かせる理由を探して迷走を止めなくなってしまっている。
記念日反応
2年目の記念日反応は1年目とは違っていた。1年目は記念日が近づくと時限爆弾を抱えているかのように怯えて日付が変わるのが怖かった。
今年はGWあたりで「今年も彼の誕生日プレゼントを選ばないでいいんだ」と早々落ち込み、お盆だ、命日だ、私の誕生日だと落ちたまま過ごして復活した。一番身近で祝ってくれた人がいなくなったダメージが一番大きかったのだと復活してから実感した。
ついでに復活してから〈落ちっぱなしだったんだ〉と気がついた。半年も落ちているなんて。これから私の人生は2期制なのか!と…
そしてこれから私の誕生日は彼の納骨日に置き換えられた。
あ然
正直、どう受け止めていいのかわからない。
ぶっちゃけ、死別した事をどう受け止めるのか、立ち直るのか、受け入れるのか、などと悩みもしたが、月日が立って何かが薄れる訳でもなく、愛しさが少なくなる訳でもなく、ただ〈死別〉という重荷を抱え続ける事で筋力アップしているに過ぎない気がする。
だから、「暖かくなったら泊まりにおいで」と誘われても、彼が微笑む仏壇がある場所に行く勇気は出ない。
彼がいつもそばにいてくれる。私の中には彼がいる。それだけを信じているのだから。