死別を受け入れるまで 4.まとめ
こうすればいいという答は無いのだと思う。間逆な話だけれど〈誰かを好きになる〉のと似ていると思う。
ある人の笑顔や仕草、行動で恋に落ちることがあっても、自分と一緒にその人を見ていた人が恋に落ちると限らない。それと同じで〈故人とその人〉の心の動きはとても繊細で個別であって参考書は無い。
受け容るとは?
〈死別を受け容れる〉〈死別を乗り越える〉〈死別から立ち直る〉
どれもピンと来ない。受け容れる/受け止めるという言葉の違いを気にしてみたこともあるが、どうでもよかった。
喪失によって深く落ちてしまっている人以外は、この言葉達から〈どうなる事〉をイメージしているのだろうか。そして、私は今までどのように思っていたのだろうか。この記憶は全く無い。
もし〈以前と同じように〉と思っているならば、それは絶対に無い。
過去の黒歴史を無かった事にできないのと同じだ。喪失の場合、一緒に過ごした日々が自分の人生で一番幸せで輝いていた大切な部分なので、無かった事にしようとすると今日を生きるすら辛くなる。
彼と出会う前の自分がどんな生活だったのかという記憶もほぼ無い。彼と共にその日までの自分も葬ってしまったかのように。
二人の間にある愛情は永遠に続くという確信がある恋人兼親友兼同士である相手を失った。〈亡くなる/いなくなる/見えなくなる/会えない〉
言葉選びの違いはあるが、亡くなるという言葉が悲しすぎて使えないだけで抱えている痛みは同じだった。使う言葉の変化で立ち直りは判断できないだろう。
自分が諸悪の根源だ、故人に対する罪悪感、これからの自分の人生に対する虚しさ(故人の努力を知っているために故人の無念を引継いでしまい、自分がこれから努力しても突然閉ざされるという思いがする)を1つ1つクリアしていく方もいらっしゃるだろう。
私は、心の表面を覆っていた〈悲嘆や虚無感〉が、2層目にあった〈感謝〉の気持と入れ替わった今を〈受け容れた〉と表現している。
〈伝えられなかったありがとう、ごめんねの気持ち〉も大きな哀しみの一部だったのを分けられるようになった時に、一歩目が踏み出せたのかも知れない。今、流れている涙は何の涙か感じて、感謝の涙につながると信じて、
何よりも、感謝の気持は毎日彼に届くと確信している。
心にぽっかり空いた穴が、彼で埋め戻されたような気持ち。故人の記憶を消し去ったり遠ざけたりしようとするのは逆効果だったと思う。引きずるのではなく共に生きていく。
何年もすれば誰かしらとの出会いがあるかも知れない。しかし、そんな事は今考えることではない。来るかどうかわからない未来の不安は断ち切る。今は一緒に歩んでいく。
時系列
彼がいなくなって一ヶ月後からnote書いたのを読み返してみた。
初めの2ヶ月は留守番気分で亡くなった事は知ってるけど理解できてない。パニックで月日が流れるのが早かった。
3ヶ月目の前半もまだパニック。行き場のない大好きが暴走して、気分が落ちて時間が止まったように遅くなる。
3ヶ月目の中盤、心の中で小さい彼が見つけられるようになった。思い出し涙する感じじゃなくて、同じ部屋にいる時のような普段の感覚で。 私なりの人生を送って「ただいま」って彼のもとに帰る。それまでの待ち合わせ中なんだと思うようになってから変わったのかも知れない。しかし心が乱れるとすぐに消えてしまい大好きは暴走して落ち込む。
4ヶ月目、何の進捗もない1ヶ月だった。 コレ好きそうだな。 興味ないだろうな。 何につけても価値感が君が喜ぶかどうかで判断してる。 自分だけの価値感で物を考えられるようにならないといけないのかな。
5ヶ月目が過ぎて受け容れたと感じた日の記事
やっていたこと
古いメールや写真、LINEを全部見返して保存
日記
読書(グリーフ~スピリチュアル)
買い物途中で見掛けたお寺や神社でお参り
自己分析(涙の意味等、嬉し涙、感謝の涙、寂しい涙)
ミディアムさんに相談
目的があってやっていたわけでもなく、ただ彼が私を愛していたという確証を拾い集めて安心したかっただけだと思う。他者から見れば一日中何もしないで過ごしているという事かも知れない。
周囲の方へ
私が恵まれていたのと思うのは、Twitterの#死別のタグで知り合った皆さんや、寄り添って気にかけてくれる友人と、彼のお母さん、娘さんとのLINEの繋がりがあった事だと思う。頻繁に連絡したりする訳ではないけれど、会話の中で自然に彼の名前が出せる。彼の話をしてもいい相手の存在は絶対的に必要だったと思う。彼がどんなに私に必要で素晴らしい人だったを営業マンのように思いっきり語れる場と相手が絶対に必要なのだと思う。
人の死をタブー視して、故人の話をタブーにしてしまうと身の置き場がない。
あくまでも私の感じ方ではあるが、死者を弔うための宗教がこれほどまでに助けにならないとは思わなかった。数々の法要は必要ではあるのかも知れないが、遺されたものに負担になっても助けには程遠く感じてしまった。
立ち直って欲しいという善意であっても、今後のおつきあい、心の開き方に影響するような傷つく言葉がたくさんあります。
元気だして
彼はあなたが泣いている事を望んでいない
運命だった/寿命だった
しょうがない/諦めなさい/折り合いをつけて
何を言われてもダメなんじゃないか?というのが素直な気持です。掛ける言葉が無いというのが無難なのかも知れません。
立ち直ったと言っても、月命日やらお彼岸、彼の誕生日、初盆、一周忌と今の私が怯えている日がたくさんあります。その日が近づくのが怖くてざわつきます。
助けが必要な人がつけるヘルプマークがあるように、死別者がつけるマークがあってもいいようにすら感じてます。笑顔の仮面の下で折れそうな心を抱えたままに今日一日をやっと過ごしている人が安心して泣ける場所がありますように。心が折れずに今日が過ごせますように。