あと1日が終わる
明日のお昼にここを発つのでもう24時間ないんだな。
この時期のココは雨も降らず晴天が続いている。道路脇に無造作に柑橘類が実っていて、緑色で目立たなかった果実が黄色く色を帯び始めて存在感を増していく。5月に鯉のぼりが泳いでいたポールに干物かごが昇るのも好きだ。犬を散歩させていても「ここは人のうちの玄関前だから!」と慌てて犬を引っ張らなくても気兼ねしないでいい場所が続いている。
東海地震がくれば市の3/2が水没するであろう場所なので、戦々恐々としていたが、立ち去るとなると名残惜しい。やっぱり充実して楽しい毎日で満たされていた。
彼の弟さんがパソコンを処分しに出掛けている間、掃除の手を休めてお母様と事務所でお話をしていた。お母様は繰返し「(結婚を)反対されるの思ったのかしら」とおしゃっる。私達の判断は随分と独りよがりだったのかも知れない。相手が故人になってしまうと反省するのが難しい。反省を次に活かせる場面が想像できないので、自分を責める方向に向かいがちになりパワーを削がれそうになる前に切り上げる。今日、ご家族で旅館に泊まられることも、一緒に(息子さんも)いたらと思うとと、涙されていた。
片付け終わり
写真を見て自分でびっくりした。結構広かったんだ。一応一通りの掃除を終えて郵便ポストも外した。荷物も出した。
後は残った処分してもらうものリストを作成して終わり。明日大家さんに見て貰えば問題になる部分もないだろう。無いと願う。大家さん綺麗にしきれないとこあってごめんなさい。
出会い
明日はPCできないから、思い出に浸ってみる。
15年前のあの日がいつだったか思い出せないけれど、現在は一家離散状態の実家の家業を手伝っていた私は人生に行き詰まっていた。何の気なしに結婚したいと思っている男性ってどんな人だろうと婚活サイトみたいな所を覗いていた。
写真館で渋く決めた写真やら自撮りでカッコつけている写真が並ぶ中で、会社で同僚とふざけているのか、大笑いしているような写真が目についた。写真の雰囲気は大学生の飲み会のスナップに近かった。
「いい笑顔ですね」とコメントを残しただけで、彼からしっかり自己紹介のあるメールが届いた。当時、お付き合いする男性の基準に年下が無かったので戸惑いはあったけれど、楽しいメル友ができた感じだった。
ある時、彼が聞いてきた。「どんな男性が好みですか?」
当時の私は答えに窮し「怒った時に女を殴らない人」と答えた。
彼は「僕は至って穏やかですよ。」と返事をくれた。
穏やかな男性というのが想像できなかった。表向き穏やかな人でも怒ればどうなるかわからないと警戒してしまうので、穏やかな人というのがすでに良くわからない。
子供の頃から母に叩かれ、父は躾は母任せでノータッチ。2つ上の兄は「親がいない時には俺が親代わりだから叩いてもいい」と変なライセンスを持っているかのようだったし、初婚の相手にも叩かれているし、料理の乗った皿を投げられたこともあった。みんなそれなりに世間受けは良かった。
どこか行きたい所ってありますか?----流れ星見えるところ!
愛車は何ですか?----バイクですか車ですか?
こんな噛み合わない会話が、彼の好みに合っていたようで、海好きバイク好きの彼と山を眺めて夕飯の食材を調達しバイクで1日300㎞単位でツーリングしていた私が出会った。
本当に穏やかは人っているんだなと思った。喧嘩はしたけど怒られたことはない。大声を出すこともあったけれど、そのときは私も大声だ。私が大声で自分を主張できる事がすでに、殴られない安心感があるからできたことだ。
あと25年位は一緒に仕事するつもりだったので、文句を言われるのをわかっている彼は私のプンプンした気持ちをどう受け止めるつもりなのだろうか。
大抵、分の悪い時の彼は3文字で済ませるかスルーする。
「たのむ」「ごめん」「....」
私は彼のご家族から隠れていたけれど、彼は私の両親にも会っているし、息子が着た時には釣りに連れて行ってくれている。父は彼に「娘をよろしくお願いします」と頭を下げたことがある。そんな父は4年前に亡くなった。
父が彼を見つけたらさぞかし驚くだろう。
「お前こんなに早くここに来てどうしたんだ。俺の娘を頼んだのに!」と。
流石にオヤジの前ではスルーはできないだろう。逃げてw
明日
明日のお昼にココを出て、長野の自宅に深夜に着く。
長野は雪が降ってきたようだ。ここは親父と彼氏のWパワーで安全に帰れるように守って欲しい。荷解きと転居の届け出関係を済ませたら職探し。まだまだ守って欲しい事や力を貸して欲しい事はいっぱいある。お願い仕放題コースでお願いします。
とりあえず、残りの荷物が全部息子の車に乗りますように。大家さんのご機嫌がいい日でありますように。
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