歪なハート
私が子どもの頃には「毒親」という言葉は無かった。親が死んだら長男がすべてを引き継ぎ他の兄弟の面倒を見る。当たり前のように言われて育った。女は嫁に行くものでどこの馬の骨かもわからないところへ行かれても迷惑が親兄弟に掛かるのだから結婚の約束をする前に親に報告をしろ。行かず後家になったら~ etc.
ただし、これは物心ついたときから言われ続けていたので、親がいない時には~のくだりを印籠にして兄に叩かれるのも常だった。
小学校の3年生で祖母が他界した。夜遅くに私と兄はお客さんが来るからこっちに来るなと離れの寝室に追いやられた。翌日は学校を休み服を買いに行った。ただココで座っていろと言われ、結果、祖母とお別れをすることもなくすべて終わった。
結婚していた時に、元旦那と休日に子供と3人で出掛けようかと実家で話をしたら「その日は兄の結婚式だ」と言われ、蓋を開ければ親子3人の席まで用意されていて、ただ連絡がないだけだった。
この頃妹を見かけないなと思い、親父に聞いたら「なんだお前知らないのか嫁に行ったぞ」と言われた。
その頃はオヤジの仕事を手伝っており、保育園に提出する就業届に判子を貰ったら、社長は親父から兄に変わっていた。
その後、なるべくしてなったのかボタンの掛け違いなのか両親と兄は絶縁した。そして、母は名字と墓と仏壇のために私に白羽の矢を立てた。
離婚して私は本籍地を実家に似たものにし、名字は変えずに1文字「澤」の文字だけを「沢」にして旧姓に戻すことはしなかった。
亡くなった彼との付き合いについて一度だけ母に聞かれた時には「今はまだ結婚はしないよ」と2度繰返して伝えた。母は「わかった」とだけ返事をした。
父が他界した後の3回忌の法要の後、家族だけの食事会があった。一緒に暮らしている私と彼に、ご丁寧にそれぞれに招待の案内状が届いた。
食事会の最初、母は乾杯の挨拶の中で、私と息子には長野に戻って旧姓に戻して欲しいと言い出した。同じく招待されていた私の横に座る友達の顔を見ると、声に出さずに「まぁまぁまぁまぁ!押さえて!こらえて!」と慌てている。その時彼氏が「ふっ!」と笑いをこらえきれないように声を出した。
彼が他人に対して失礼な態度をとったことなど私は見たことがない。どんなに寂れた個人商店でも「これだけ長年やってきてるのは凄いことだ」と尊敬するし、差し出した試食を目の前で吐き出されても「お口に合いませんでしたか。すみません」とかわす穏やかな人だ。
私は一言「ごめんね」と謝り、彼は「思わず笑っちゃったよ」と流した。
彼が亡くなり、実家から歩いて数分のココに戻ってきたが、私はまだ母に連絡もとっていないし行く予定もない。毒親との和解の話など読んだこともあたが、もう和解する気も失せた。
高齢の母の事でこれから何度も私の心はかき乱されるだろう。