ホラー映画という安定剤
とにかく息を吸って吐くようにホラー映画を観ていた時期があった。
「彼氏が出来たら、一緒にアイスを食べながらホラー映画観て怖がりたいな」
学生時代友達に言っていたのだが、彼氏がいなくても日常的にホラー映画を観ていた。
怖がりたい。
とにかく無防備に怖がりたい。
怖がっている私に大丈夫だよって守ってくれる人とホラー映画を観たい。
と思っていたのに、
なかなか「ホラ-大好き」な男子が身のまわりにいなかった。
そしてよく考えたら私、
「ホラー映画って怖いよね~」って、可愛く怖がるタイプじゃないことに気がつく。
それじゃ無理だよ。
ホラー映画を観て怖がる女子にはなれない。
私はホラー映画を観て怖がる自分を諦めて、一人でホラー映画を観てニヤニヤしたり、映画好きな友人とホラー映画を観て過ごした。
今の時代だったら完全にR指定がつくものを、私が子供の頃は当たり前に見ることが出来た。ビックリするほど内臓が出たり血しぶきが出ている映像を観て、作りもんやんけ! と思いつつ、どんな仕掛けになっているのだろう? とお菓子を食べながら好奇心やら興味津々やらで真剣に観ていたものだ。
いつからか「ホラー映画を観ると子供に良くない」「犯罪を起こしやすい」と言われるようになった。
人が、作り物を実物に感じたり、実物のことを作り物のように感じたり錯覚してしまうことが多くなったせいなのか。
本当か嘘かわからないSNSやマスコミの影響なのか。
自分の痛みには敏感なのに、人の痛みに鈍感になっている。相手を傷つけることで自分を正当化するような人が増えたのか、それとも元々多くいたけれど表面化してきたのか。
ニュースで事件を知るときに、
「ホラーじゃん」と思うことが昔より増えた。
作り話より残酷で怖い事件が増えていることに驚く今日この頃。
どこか歪んでいる世の中に不気味さを感じている。
話を戻すと、結局「ホラー映画なんて観たくない」と言う人ばかりとお付き合いをし、彼氏が出来ても、結局は一人でホラー映画を観ていた。
「怖いけど、一緒に観るよ~」と言ってくれたのは男性の中で唯一夫だけ。
めちゃくちゃ嬉しくなって、お言葉に甘えいろいろなホラー映画を夫と一緒に観るようになった。
夫は怖い怖いと言ったり、ヒャーっと驚きながら一緒にホラー映画を観てくれた。
夫が怖がる姿を見て、思わず笑ってしまうことが多く、夫のその恐怖におびえる顔が可愛くてホラー映画を観ることがますます増えていった。
「遊星からの物体X」「死霊館シリーズ」「エクソシスト」「スクリーム」「エスター」「オーメン」「新感染」「死霊のはらわた」「ゾンビランド」「ミッドサマー」「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ゲット・アウト」「ハッピー・デス・デイ」などなど、ホラーのジャンルを問わず、とにかくいろいろ観た。
そんな私につきあって、娘も一緒にホラー映画を観てくれる。
娘が小さな頃に観たポルターガイストには吹き替え版がなく、夫が声色を変えて吹き替えをしてくれた。おかげで何も怖くなくてずっと笑いながら作品を観たこともいい思い出である。
夫も娘も大の怖がりなので、ホラー映画を観るときは毛布を持って顔を隠す準備をする。
申し訳なくて「一人で観るよ~」と言っても、二人は「一緒に観る!」と言ってくれるのだ。
そして見終わった後には「どこがどんな風に怖かったのか」感想を伝え合う。
シャイニングを観たとき、
「わ!髪の毛!上の方少ないんだ。パッケージだとさ、上の方の髪の毛写ってないから、毛量ボッサボサだと思ってたのよ。あと最後の死に方何あれ、笑っちゃう」
と言って娘が笑ったので、私の中でシャイニングはすっかり面白い映画になっている。
遠い記憶をたどると、初めて観たホラー映画はエイリアンだったように思う。
(エイリアンがホラー映画になるのか不明)
幼いとき一人で留守番中にテレビをつけたら、宇宙船に大きな得体の知れない生き物が乗っていて、女の人がその生き物に気づかれないように息を殺していた。とにかくドキドキして、自分だったらこの状態をどう切り抜けるだろうか?と想像した。
数日間エイリアンについてあれこれと考えすぎて知恵熱が出てしまった。
小学生の頃は13日の金曜日が人気になった。なんかわからないジェイソンって人が怖い!と友達や同級生が言い合ったり、
13日の金曜日がくると「今日は良くない日だー」と男子が大騒ぎしていた。
どこかにジェイソンいるかもー!とか言いながら走って帰ったりもした。
私以外にもホラー映画をこよなく愛している人が身近にいた。
兄である。
兄は怖いもの見たさ代表のような人で、「これ怖いらしい」「これすごく怖かった」と私にあれこれホラー映画を紹介して観るように勧めてきた。
二人で観ては「おおー!」と歓喜とは違う声を上げ、面白いねと言い合った。
小学生の時、夏休みに「あなたの知らない世界」をテレビで一緒に観るのが毎年恒例だった。
でも、兄は怖い物が苦手なはず。
ちょっとの音で怖がったりしていた記憶がある。
私、なんでこんなにホラー映画が好きなんだろう?
ずっと謎に思っていた。
もちろんホラー以外の映画も楽しんで観ている。
でも定期的にホラー映画を観て、ホッとしたくなる。
不思議だなぁと思っていた。
あるとき、吉本ばななさんの本を読み、「子供時代に何か恐ろしい体験をしたことのある人はホラー映画が好きかもしれない」
みたいなことが書いてあり、そっか、それだっ! と納得した。
私の子供の頃は
ホラーな出来事ばかりだった。
普通にご飯を食べられるか食事の時間はいつもハラハラドキドキしていた。
父が突然暴れだし、大声で叫び、テーブルの上の物が吹っ飛んでいく。白いご飯がのった茶碗も味噌汁もめちゃくちゃになる朝は、幼い頃の私にとってホラーでしかなかった。
学校から帰宅して、朝の惨劇がそのままだったときも恐怖を感じ、包丁を手に持ち、喧嘩相手の父に対抗している母もホラーだった。
突然大声で父と母が喧嘩することも、母が父の写真をハサミでめちゃくちゃに切ったり、
私が書いた絵をビリビリに破くことも。
父が暴れて殴ってくることも。
母が薬を乱用し、道路に飛び出したり、一日中誰かにわけのわからない電話をかけ続けている姿も。
常に日常にホラーが潜んでいた。
安心することなんてできなくて、いつ、どこで、父や母がホラー映画に出てくるヤバいキャラになるのかわからなくて、落ち着くことは出来なかった。
だから私はいつだって、ホラー映画に出てくる主人公のように強くありたいと、心の奥で思っていたのかもしれない。
時々ホラーな夢を見る。
夢を見ながら、ゾンビやらお化けをバッサバッサとやっつけている。目が覚めたとき、よく戦った、今日も生きたぞ、と自分を労いホッとする。
とにかく怖かった。
父がいつ暴れだすのか、
母のヒステリーがいつ起こるのか
予想がつかなくて、
何が起きても大丈夫なように、
ホラー映画を観て
小さな頃の私は心の準備をしていたんだと思う。
兄も同じ家で育ったから、そんな感覚があったのかもしれない。
いつだって怖かったよ。
ほんとに。
ようやくそう言えることができた。
私が子供の頃は、DVはただの「夫婦喧嘩」だし、虐待とか体罰は「しつけ」だったから。
暴力は、どこにでも、どこの家庭にでもあることだと思っていた。
実際に世の中に出て、子供を育ててみると、そういったものは異質なものだと知った。
自分の娘に暴力?できるわけない。
「一生苦労すればいい」
そんな風に娘に言える?言う意味がわかんない。
私が受けてきたすべてのことはホラーだった。
私の好きなホラー映画監督が
ホラーはコメディと紙一重。と言っていた。
確かに、なんだか恐怖が増すと、なにこれ?って笑ってしまう。
父が暴れてめちゃくちゃになった部屋を見てなぜだか笑えてきたり、
母が薬を飲み過ぎてバーサク状態になり、隣の家の柵を裸足のまま、ひょいっと乗り越えた姿を見て、え?ジャッキー・チェンじゃんって笑った。
笑って気持ちを落ち着かせながら、
前に観たホラー映画でもこんな場面あったしね、と思ったりして、
自分を守るためにホラー映画を観ていたんだな。
誰も助けてはくれないしな、って
性格がひねくれていたから、
誰にも期待しないでいたから、どんなこともたいしたことなくて、どうでもいいと思っていた。
それでも、心のどこかで
エイリアンと戦うリプリーや
バイオハザードでゾンビと戦うアリスや
ターミネーターと戦うサラコナーのように、強くありたいと、
ホラー映画の主人公のように、私も恐怖に耐えられる、逃げられる
大丈夫って、安心したかった。
父が暴れても
母が壊れても
私は平常心で、どうにかやり過ごしていかなくてはいけないんだ、と、自分の怖さや痛みを麻痺させるためにもホラー映画は必要だったのだ。
いつどんなときに、ドキドキとする出来事がきても大丈夫なように、交感神経を働かせていた。私の心も体もちっとも休まらない、休ませてはいけない、人生を送ってきたんだなぁと気がついた。
娘に私がホラー映画ばかり観てしまうのは、幼少期からずっとヘビーな出来事ばかりだったからかも。と伝えた。
「もう、怖いことはないよ。大丈夫。私は母ちゃんの味方。全力で守るから」
そう言って娘がハグをしてくれた。いい大人なのに思わず泣きそうになった。
「私は強い人だって、いつも大人にも友達にも言われていたから、強くありたいって思っていたし。実際強いんだよね」
と、夫に言うと
「そう?俺は一度も強いって思ったことないよ。守ってあげたい、可愛い人だと思っているよ」
緑茶を飲みながら微笑む夫に言われ、ほーー!!っとなった。
こんなとき、気が利く言葉がスッと口からでないのはラブロマンス映画などラブについて学んできてないからだよ!と思いつつ夫にはありがとうございます。と丁寧にお礼の言葉を伝えた。
娘からのハグや、夫からの愛の言葉に、私ってもう怖いことや戦うことの準備しなくていいのかも?そう思うようになってから、頻繁に観ていたホラー映画の回数が少なくなり、
コメディやヒューマンドラマ、今まで関心がなかったラブロマンスを観るようになった。
もう怖いことへの耐性をつけなくてもいいんだって、安心した。
父や母との出来事をホラーだよ!って思っていた記憶や、ずっと安心してはいけないと、自分で思い込んでいた気持ちを解放し手放したけれど、
それでも幼い頃から今日まで、自分が経験し感じたことを貴重な体験として覚えておきたいとも思っている。
どんな経験も、無駄なことはない。って思いたいからかもしれない。
それに私にとっては、父と母との思い出だ。
父と母が苦しんでいたことは、二人の子供である私が一番知っていた。
なぜだかこの二人をどうにかしなくてはいけない。と数年前までずっと思っていた。
でも結局二人のために頑張ったことは何の役にも立たなかった。
それでも、怖くて歪んでる生活の中でも、楽しかったり面白いこともあって、両親と兄と暮らしてきた日々を全否定してしまうのは悔しいというか、悲しいというか、もったいないように思う。
自分の親と安心して付き合えないまま育った人は沢山いるだろうし、心が弊害している人もいればそうでない人もいる。
親からされたことを簡単に忘れなよ、って言う人もいる。
いろんな意見があるけれど、自分が生きやすいと思う方法で生きていけばいいんじゃないかな。
恨んでいきたい人は恨み続ければいいし、許せる人は許せばいい。
どれが正しくて、どれが間違いなんて、
経験してきた人の感覚でかわってくるから、答えなんてない。
誰かの言葉が役に立つときもあるし、役に立たないときもある。
自分で行動しなくちゃ変わらない。
だから自分の人生を楽しんで生きることが一番大切だと、私は思う。
自分を救うことができるのは
自分だけだから。
今の生活がとてもあたたかく穏やかで、
時々夢のように思う。
暴力で体や心にダメージを与えてくる人はいない。
普通にご飯が食べることが出来る。
笑顔で過ごせたり、大好きって毎日言ってもらえる。
愛情を込めてぎゅっと抱きしめてもらえる。
あたたかく大好きな人がいる。
自分が育ってきた環境とは全く違うので、戸惑うときもあるけれど、有り難い気持ちでいっぱいになる。
学ぼうと思ったときに遅いことはないと思うから、これからはもっといろんな気持ちを思う存分に味わい学びたいと思う。
それでも、
今もなお私のNetflixのマイリストにはホラー作品ばかりが並んでいる。
娘が私のお気に入りホラーリストを見て「母ちゃんのお気に入りマイリストヤバい!」と笑っていた。
まぁ、ホラー映画は好きだし、
これからも観ると思う。
だって面白いんだもん。
作り物だから、安心して楽しめるしね。
今は「おお~!怖い」って言いながら、
思う存分怖がって
家族と一緒に観ることが出来ている。