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映画『シング・ストリート』のダブリンへ

初めてのダブリン行で、大好きな映画『シング・ストリート』の舞台となった場所をいくつか訪ねてみました。以下に綴ったのは、「渡る」という行為を切り口にした旅の記録です。

※映画を観ていない方には「ネタバレ」になってしまうところがあります。ロケ地の情報についてはIMDbのページを参照しました(Google地図上でロケ地を一覧できるこんなページもあります)。

北ウェールズのHolyheadからフェリーで海を渡る

アイルランド自体が初めてだった僕は、ブリテン島からダブリンへ船で渡りたいなーと思っていました。そもそも船旅が好きなので、ルートがあるなら、海から港に・街に・国に入りたいのです。探してみると、クルマやバイクを持ち込まないfoot passengerを受け入れいてるダブリンへの船が、北ウェールズのHolyheadから出ていることが分かりました。そこまでは、ロンドンのユーストン駅からVirgin Trainsの特急列車が走っています。

Holyhead駅は港に隣接したターミナルなので、プラットフォームからそのまま進んだ先で船の搭乗手続きと荷物のチェックインができます。僕が乗るのはIrish FerriesのUlyssesです。ジョイスの小説のタイトルを冠し、さらに元ネタのオデュッセウスを思い起こさせる船。パスポートをチェックしてもらい手荷物検査を終えると、バスでフェリーの腹の中にそのまま移動します。大きくて綺麗な船です。

ブリテン島からアイルランド共和国、ダブリンへの海路は、『シング・ストリート』的にはコナーとラフィーナのイギリスへの船出を逆向きに追体験するようなルートです。帰りの切符を持たないアイルランド人たちを乗せたイギリスへのフェリー、という描写も劇中にありましたね。Holyheadでピンときた方は、「祖父はHolyhead航路の船員だった」と語るコナーの台詞が記憶に残っているのでしょう。僕はすっかり忘れていて、後で映画を観直した際に「うわ、Holyhead!」と興奮しました。そこまで把握した上で列車や船を予約したわけではなかったからです。幸運でした。

外甲板に吹きつけるアイリッシュ海の風は夏でも肌寒く(乗船は8月29日)、日本の太平洋側のフェリーで感じるような生温くべたつく風とは大違い。カナダ太平洋岸の島々を縫って北上する船で浴びた風よりも、まだ少し冷たいようです。古代ローマ人にはヒベルニア(Hibernia、冬の土地)と呼ばれていたアイルランドですから、冬場になったら船の外には立っていられないでしょう。

船は三時間ちょっとでダブリン港に入ります。二本の煙突がずっと遠くから見えていました。写真は左舷側ですが、右舷側にはHowth岬の丘が見え、赤っぽい土の色が印象的でした。こういう水平的な接近の感覚を旅では大切にしたいと思っています。

学校からラフィーナのところへ、Synge Streetを渡る

今回のダブリン行では、トリニティー・カレッジのキャンパス内の宿泊施設を寝床にしました。市内中心部の教会などを巡りつつ、映画Sing Streetの題名=バンド名の元となったSynge Streetへ足を伸ばしてみます。商業地区から数ブロック入ったところ。そこそこ閑静だけれど、歩道に犬のフンがちょこちょこ落ちている住宅街です。

Blu-ray版『シング・ストリート』の特典ノートブックを取り出して進んでいくと、ありました!彼らの学校。入口(台形の階段の蔭)の反対側、黒いドアの住居が、劇中でラフィーナの暮らしていた場所です。最初の出会いの時、彼女はマッチやライターも持たずに玄関ポーチに立って煙草を口にくわえていましたね。背伸びをして、火をつけてくれる誰かを待っていた。

ラフィーナに声をかけたコナーもコナーで、連絡先を訊くための口実に、結成してもいないバンドのミュージックビデオへの出演を持ちかけます。これが意外にも(?)うまくいってしまって、「ヤバいどうしよう」ってなりながら彼はダーレンと校内へ。あの瞬間から始まった少女と少年の物語は、以降この場所を中心に展開していきます。考えてみると、「こちら側と向こう側」の位置関係が、ありふれた街中の通りSynge Streetに強い物語性を与えているんですね。「渡る」行為がとても重要なのだなと。

コナーになったつもりで、あるいはスクール・ディスコの夜のラフィーナになったつもりで通りの両岸を何度も行き来してみたかったのですが、アパートも学校も現実に今そこで生きている人達の場所なので、ほんの少し写真を撮るくらいにしておきました。欲を言えば夜の雰囲気も味わってみたかったかも(下の一枚は宿のキッチンからの夕景)。

静かな波止場から小舟で小島へと渡る

気がつけば8月も終わり。この日は最初、古代遺跡ツアーに参加してみようかと思っていました。でも予約をしていなかったので軒並み売り切れ。それならば、ということで宿の横のPearse駅からDalkeyに向かいます。Bray行きのDARTに乗って30分くらい。そこに何があるかというと、『シング・ストリート』の最後の船出の波止場、Coliemore Harbourです。

列車はダブリン市街から海沿いに南東へ。途中には映画で"A Beautiful Sea"のミュージックビデオ撮影現場になっていたDun Laoghaire Harbourもあります(今回は立ち寄れませんでした)。DARTの車内そのものも、バンド一行の楽しげな様子を思い出させてくれます(映画『ザ・コミットメンツ』にもDART車内の場面がありましたね)。

列車から降りてDalkeyの街。ヴァイキング時代の古城も残る別荘リゾートということで、可愛らしい外観の小規模店舗が並んでいます。中心部には小奇麗なレストランの他に、ヨガスタジオや健康志向の食品店なども。経済的に恵まれた方が多いのでしょう、ちょっと僕らのような旅行者には冷たい感じもしました。道が曲がりくねっていて少し分かりにくいので、波止場へ行く際は予めルートを確かめておくと良いでしょう。

Coliemore Harbourへ向かう道沿いには海を望む邸宅が並んでいます。僕が『シング・ストリート』中で最も好きなキャラクターは引きこもりロックオタクのブレンダン兄貴ですが、そんな彼が、コナーとラフィーナを(長いこと動かしていなかったであろう)家のメルセデスに乗せ、この場違いな富裕層エリアへ来るのです。そして一人でここから帰るのです。二人の門出を自分のことのように喜びながら。

小さな波止場は実際とても良い感じ。車道脇はベンチのある見晴らし台で、横のスロープから船着場に降りられます。ベンチでチャイを飲みながら景色を眺めていたところ、小舟で向こうの小島(Dalkey Island)に連れて行ってくれるKen the Ferrymanのサービスがあることが判明し、お願いすることになりました(やったー!)。この日の船頭はケン氏の兄弟のジョンさん。

ウェールズへの船出よりも前にコナーとラフィーナがデートに来ていたDalkey Islandには、11世紀のものとされる教会や19世紀にナポレオン侵攻に備えて建造された砦と砲台もあります(Heritage Centreのページの記述による)。10世紀初頭にはヴァイキングが奴隷の収容キャンプとして島を使っていたそう。

島にはヤギやウサギがいます。ヤギは大きくて角も伸びているので無闇に近づかないようにしました。ウサギは砦周辺の茂みに隠れているのを見つけました。そこらじゅうにフンが落ちています。地面が穴だらけなのも彼らの仕業でしょうか。暖かい時期にピクニックをしに来るには良さそうな場所です。波際ではアザラシがゴロゴロ。ウェールズの陸地は視認できませんでした。

ジョンさんが迎えに来て僕たちは再びアイルランド本島へ。小さなモーターボートでアイリッシュ海を渡れるのか、ちょっと恥ずかしい質問ですが訊いてみるべきだったかも知れません。ジョン・カーニー監督は現実の渡航の難しさを理由にバッドエンディングも考えたりしたそうです。完成した作品の中で、ブレンダン兄貴は「お前らはたぶん死ぬ、でも行け」と言って二人を送り出します。単なる冗談には聞こえないし、海の荒波と世界の厳しさを重ね合わせた言葉のようにも思えます。凄く強い「Go」。そしてバックで流れる"Go Now"。切なく美しい兄貴ソングです。

おわりに

市街に戻るDARTの車内で、制服姿の少年たちがはしゃいでいました。現代の彼らもロンドンへ出たいとか、アメリカへ渡りたいと思ったりするんでしょうか。彼らの暮らすダブリンが、実は中学時代の僕の憧れの場所でした(ストリートミュージシャンで溢れた通りのことを聞いて漠然と行ってみたいと思っていた)。ずいぶん時間が経ってから実際に来てみて、たちまち大好きになりました。それは自分の初期衝動を甦らせてくれ、「渡り」の目印となってくれた『シング・ストリート』のおかげであり、ここに書き切れなかったいくつもの出会いのおかげでもあります。次はシェイマス・ヒーニーの言霊を頼りに、自転車かバイクで「北」へ渡ってみるかもですね。

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