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第19回 モーツァルトとクラリネット①

みなさんこんにちは。
2月となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今回は、かなり固い内容になっています(笑)
私が大学院の時に、モーツァルトについて研究していたのですが…
その時に書き溜めた文章を発掘しましたので、是非皆様にお読みいただけたらと思い、今回再編集して(めちゃくちゃ大変でした…)記事にしました!!
文章の特性上、ですます調ではなく、である調で本当にお固い文章となっていますが、内容に関してはクラリネットが好きな方にとっては、興味深い内容になっているんじゃないかなと思っています!

内容は主にモーツァルトとクラリネットの関わりについてや、
モーツァルトのクラリネット・コンチェルトの初演者であるアントン・シュタードラーとモーツァルトの関係や、シュタードラーがどんな人だったのかの人物像について記事にしています。

さっそくはじめていきましょう。
魂の文章を是非、受け止めていただけたら嬉しいです!

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1.モーツァルトとクラリネットの出会い

モーツァルトが初めてクラリネットという楽器の音色を耳にしたのは、1763年のパリ旅行の時ではないかと考えられている。コリン・ローソン著の『モーツァルト――クラリネット・コンチェルト』によると、モーツァルトが子供の頃に旅していた各都市では、ちょうどその頃からクラリネットが次第に姿を現しつつあった。彼がパリを最初に訪れたのは先ほど述べた通り1763年だが、その頃、パリでもクラリネットに関する記録が現れ始めている。

1751~1765年に出版されたディドロとダランベールの《百科事典》には、非常に不正確で不完全ながら、「クラリネット」という項目がある。ラモーが1749年に書いたオペラ《ゾロアストル》では、クラリネット・パートの指定はないものの、当時もオペラ座の記録ではこの時、ドイツ人のクラリネット奏者がエキストラで雇われ、ヴァイオリンまたはオーボエのパートを重ねて吹いたとされている。また1751年のオペラ《アカントとセフィーズ》や《レ・ボレアンド》でもD管、C管、A管のクラリネットが用いられたという記録がある。

このような記録が残っていることから、おそらくモーツァルトが1763年にパリ旅行をした際に、印象に残っていたかどうかは別として、少なくともクラリネットという楽器と出会っていた、という憶測ができる。

その後、モーツァルトがクラリネットに注目し、その独特の音色に非常に感銘を受けることになる、マンハイム旅行も重要であろう。モーツァルトが訪れた1777年のマンハイムには、名高いマンハイム宮廷楽団が存在していた。この楽団には、遅くとも1758年からは二人のクラリネッティストが在籍していた。また、クラリネットのおそらく最も古いコンチェルトを作曲したことで知られる、ヨハン・シュターミッツも健在であった。そしてモーツァルトはマンハイムにおいて、具体的な情報はないが、クラリネットの扱い方とその可能性について深く勉強するための機会を豊富に持ったのである。そのことについての手掛かりとして、モーツァルトが父レオポルド・モーツァルトに宛てた手紙の中で、

ああ、私たちにクラリネットさえあったら!――フルート、オーボーそしてクラリネットを伴う交響曲がどんなに立派な効果を上げるか、ご想像もできないでしょう。

 という内容を書いたことは有名である。

この手紙のすぐ後の時期に、クラリネットを多用した《オーケストラのための協奏交響曲》を作曲したとされている。この曲でのクラリネットの扱いはまさに特別であり、独奏的かつ、非常に美しい旋律で書かれている。

これ以降、モーツァルトの中でクラリネットという楽器は、バセット・ホルンと並んでモーツァルト愛用の楽器となり、色々な分野の音楽に多用した曲を数多く残し、ついにはクラリネット・コンチェルトの作曲に至ったのである。

2.モーツァルトが初めてクラリネットを用いた作品

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