4.日雇い労働という名の麻薬
あの初勤務から、数ヶ月の時が流れた。
依然として、単純な仕事内容をこなす毎日ではあったが、無遅刻無欠勤を貫いていた私と派遣会社との間には信頼関係ができ、それなりに入りたい現場に入りたい日時に入れてもらえるようになり、働きやすさは感じるようにもなっていた。(社会人からすれば当たり前の話だが、当たり前のことができない人も派遣社員には多かったということだ。)
同じ現場で働き続けたり、あえて未経験の場所を選んだり、時給がいいからと 夜勤帯のみで働く週を作ったり、日勤→夕勤→夜勤→日勤→夜勤と 2日間に5個の仕事を入れ 一気に稼ぎ その後5連休する といったような楽なのか過酷なのかよくわからない働き方をしたり、自分にあったリズムを模索しながら働いた。
訪れたことのない地域の現場を選ぶことで 仕事終わりに少しその土地で遊び 観光気分を味わったり、近くで作業をしていた人と帰りにご飯を一緒に食べたりと、積極的に与えられた環境の中で楽しむ方法も見つけた。
前回の投稿では、基本的に紹介可能な現場は物流倉庫ばかりだったと説明したが、時にはマニアックな仕事を紹介されることもあった。
・税金滞納者の家の差し押さえ
・公園の銅像の移動
・交差点での右折車のカウント
・パチンコ屋の椅子の分解
・駅前でティッシュを配るAさん、を監視するBさん、の監視
など印象に残っているものだけでもまだまだたくさんあるが、世の中には色んな仕事があるものだと、素直に感心した。
毎日様々な現場で働いていく中で、当然数えきれない程の出会いと別れがその都度訪れた。
もう今日定時を迎えたら、死ぬまで2度と会わないかもしれない、そんな人達と毎日隣り合って作業をし、時には世間話をし、1日を共に過ごした。
1度きりの共同作業、1度きりの会話、1度きりの仲間、全てがこれっきりかもしれないと割り切られた環境は実に特殊であり、これまでに培ってきた処世術のようなものは良い意味でも悪い意味でも不必要だったし、通用しなかった。
初勤務後に派遣会社の社員さんが語っていた、"誰もが最初に抱くであろう違和感"というものがあの時よりも具体的に見えてきていた。
誰もが違和感を抱き、それでも日雇い労働者としての毎日を送っていく中で、皆 自分に合った働き方を見つけ、この環境下専用の処世術を身につけていくのだろうと感じた。
そう思いながら、周りの人達を観察していると、その処世術は十人十色というわけではなく、いくつかのパターンに分類されることがわかってきた。
さらに、そのパターンを理解することで、派遣社員とは主にどんなタイプの人達で構成されているのかも少しずつ分析することができた。
なので私は、その分析結果を基に、その日自分と共に作業をするであろう"1度きりの仲間"が、どのタイプに属する人であり、自分に対し どのような動きを求めているのかを早めに見極めることで、無用なエネルギーの消費を抑えるようにと心がけた。
私のまとめたデータは以下の通りだ。
1つ目は"難あり型"
言い方は悪いが、派遣社員の過半数はこのパターンに属していたのかもしれない。
人当たりはいいが 途轍もなく不器用、仕事はできるが やたらと怒りっぽい、サボり癖 当日欠勤癖といった働く上では あまりよろしくない特性を持っている、など"難"の種類こそ人それぞれではあったが、多くの人が派遣でしか働けないそれなりの理由を持って此処に辿り着いている。
作業現場で人を見たら、何かこの人には難があるのだろう、と思って近付くに越したことはない。
極めて失礼且つ絶望的な考え方ではあったが、備えがあれば憂いはなく、相手の何かしらの問題点が見えた時、こうしておいた方が驚かなくて済むし、相手を嫌わずに済むのだ。
2つ目は"閉鎖型"
派遣はあくまで、お金を稼ぐ手段でしかないと200%でわりきり、周りとの関わりを一切遮断し、完全に孤立することで、そこに働きやすさを見出しているタイプの人達だ。
彼らは平均的に作業はこなすが、それ以上のことを嫌う。
必要以上に頑張ることや、必要以上に他人とのコミュニケーションをとることは、トラブルの種でしかないという考えだからだ。
彼らと共にを作業をする際は、無用な会話や質問は極力避け、ソーシャルディスタンスを心がける必要があった。
3つ目は"副業型"
学生、主婦、平日は本業をし 土日のみ派遣を利用している会社員、など文字通り副業として我々と共に作業をしている人達だ。
彼らを我々と同じ"派遣社員"として括っていいものなのかは疑問だが、どの現場にも一定数は存在し、頭数としては必要不可欠な人員だった。(数年後の話だが、コロナ禍に突入してからは、寧ろ彼らこそが大多数だった。)
彼らは人当たりも物覚えも良く、バランスのとれた人材ではあったが、それと同時に本業がある故に いつ来なくなってもおかしくはないという危険性も持ち合わせていた。
そのため雇う会社側も、共に働く我々も、
「教えれば、育つかもしれない。話しかければ、親友になれるかもしれない。けれど、そんなに長い期間ここに来る保証はない。ならば彼らに時間や労力を費やすのはリスキーだ。」
という考えにどうしても辿り着いてしまう。
彼らに対し、どんなに好印象を抱いたとしても、継続的な人間関係の構築を試みるということは あまり望ましくなく、それこそ"1度きりの仲間"であることを必要以上に意識しながら接していく必要があった。
4つ目は"重鎮型"
その現場に長く勤め、ボスとしての地位を確立した人や、その人の形成した派閥に属する人達だ。
彼らはベテランというだけあって、仕事面に関して言えば優秀であったし、共に作業をすれば学べることは多かった。
その一方で、強くなり過ぎた権力が暴走し、社員にでもなったかのような勘違いをしている者や、それどころか社員よりも大柄な態度で立ち振る舞う者も数多く存在した。
彼らのここでの楽しみは、出来の悪い新入りに対し教育と称して 説教をし 怒鳴り 虐めることと、出来の良い新入りを派閥に入れ その軍団を大きくすることの2種類だった。
そのため、彼らには嫌われても好かれてもあまりメリットはなく、関わらないに越したことはなかった。
バランスの良いベテランの方もいないことはないが、彼らの場合、現場からの評価も高く、我々よりも高度な仕事を任されていることや、仮に共に作業をしていても 他の派遣社員からも質問が殺到しているケースが多く、また違った意味で近付きにくいという側面があった。
5つ目は"自尊型"
自己顕示欲が強く、目立ちたがり屋で、派遣社員という現在の立ち位置に納得こそできていないが、かといって現状を打破することもできずに燻っている人達だ。
彼らは「おれはこんなもんじゃあねえ おまえらとは違う」という考えが根底にあるため、"楽がしたい" "ただお金を稼げたらそれでいい"といった本来の派遣社員が抱きがちな願望はそこまで強くなく、どちらかと言えば"認められたい" "一目置かれたい"といういう意志の方が強い。
そのため、皆があまりやりたがらない作業を率先してやったり、自ら進んで残業をしたりと、使う側の使い方次第では輝くこともある。
けれど、その原動力はあくまで自己顕示欲や自尊心から来ているため、あまり頼りにし過ぎていると、自分が主戦力であると履き違えてしまい、1度調子に乗ると止まらない人が多かった。
調子に乗った彼らは、話しやすそうな人をつかまえては、
「おれは昔 こんな仕事をして〇〇百万も毎月稼いでた」
とか、
「おれは今 社員から こんなに大変な仕事を任されてんだ」
とか、盛りに盛られた自慢話を、相手が「すごいですね」というまで、見境なくしてくる。
誰もやりたがらない作業を率先してやってくれるのはありがたいが、それは別に我々の預かり知らぬ所で勝手に名乗り出てくれればいいだけなので、無論、彼らにおいても個人的には関わらないに越したことはなかった。
(因みに、散々な言い方をしておいて、自分から話すのは恥ずかしいが、読者の皆様も薄々は気付いている通り、強いていうならば私も当初はこのタイプだったのだろうと思っている。
私の場合は他人に 見境なくしたいと思える程の自慢話すら そもそもなかったわけだが、精神構造だけを見れば彼らと極めて似ているなと、傍から見ていて実感する節が多々あった。)
毎日、何十人もの派遣社員を募集しているような大型の現場は、基本的にこれらのタイプの派遣社員の人達が、ある程度決まった比率で存在し、その比率の中でとてつもなく絶妙に均衡が保たれていた。
そして、バランサーの役割を担っていたのは、現場の社員さんでも 派遣会社でもなく、我々本人だった。
居心地が良ければ 居続ければいいだけであり、居心地が悪ければ 明日から別の現場へ行けばいいだけであり、バランサーたる我々派遣社員には、毎日その選択をする権利があった。
その権利が、精神的に余裕を生み、その精神的余裕が、快楽に繋る。
その快楽こそが、現実を曇らせる1番の要因であり、抜け出したくても抜け出せない蟻地獄のような構図を作り出しているのではないかと私は考えるようになった。
いってしまえば、麻薬のようなものだ。
社会的地位を犠牲にすることで得られる、嫌になったらいつでも辞められるという安心感への中毒性が、派遣社員を派遣社員たらしめる理由だったのだ。
「もしこの環境に妥協して慣れるどころか、快楽の虜にまでなってしまったら、ますます周りの友人達が遠い存在になってしまうなぁ」
当時の私には、まだそういった茫漠とした不安しかなく、派遣社員を続けたいと思う願望や 派遣社員でしかいられない現状が 如何に危険で恐ろしいことかという具体的な実感が湧いていたわけではなかった。
与えられた現実を受け入れることこそが、今の自分にできる唯一のことであり、義務だと考えていたからだ。
そのため私は来る日も来る日も、淡々と作業を続けた。
それから程なくして、嫌という程日雇い労働における最大の弊害を思い知らされるともまだ知らずに、、