メンタルの安定ってあるのか??んー!ないから、視点を変えよう!
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いーちゃんこと、岩崎弘資(こうすけ)です。
今日のテーマはメンタルの安定ってあるのか??んー!ないから、視点を変えよう!
についてお話していきます。
まず最初にメンタルは安定することはないです。
ぼくの見解ですが普通の人間は常に感情の波があり、
今も花粉症で自分の感情が振り回されている中で、
人間の気持ちというのは常日頃変わっています。
今は安定しているかもしれませんが、
テーブルの上のコップに肘が当たってこぼしてしまったら
メンタルが「うわーっ」となります。
なにかに一喜一憂して振り回されていくので
このメンタルの安定は基本的にないわけです。
むしろなかったら怖いです。
コップがこぼれても「あー。」と無反応。
どっちかというとぼくも「あー。」と言うタイプの方ですが、
これは寄生獣を読んでからそうなりました。
映画化にもされた漫画で寄生獣を読んでいて、
主人公が死んでしまった犬をゴミ箱に捨てるのです。
それで彼女が引くわけです。だって犬はもう死んだんだからと。
でもそういうことじゃないのよと彼女は言いましたが、
生きているうちは犬だったがもう死んだら肉の塊だと、
そういうトーンで物事を見ていたのです。
凄いなと感じながらそういうのを漫画で読んでからは、
コップから水をこぼれたら単純に物体が流れ落ちただけだから
拭くだけという風に思えるようなれたのは、
ぼくにとっては成長だったのです。
こういった安定というか一喜一憂されていくのですが、
冷静に物事の次の対処をしていきます。
基本的にはもう起きたことは仕方がないのです。
ただそういった現象の次の対策を取って、
水がこぼれて「わーっ」と言ったらもう拭けばいいし、
携帯にかかったら拭けばいい。冷静な対処するだけです。
前にガラケーとかでよくあったのが、
電源を入れるとその電気が入ってショートしてしまうから
そのケータイは使えなくなる、というようなことがありましたが、
冷静な判断をしてどうやったら今の最善を尽くすことができるか
ということを考えます。
ここで結論を言うと、
「メンタルが安定しているように見せているだけ」ということです。
内心ドキドキでもよいです。
「うわー」、「やっばー」、「どうしよう」となってもよいです。
パソコンが水没してパソコン壊れたら大変なことになっている。
そしたら、買えばよいのです。
買い直すしかないし、基本的にクラウド上にデータがあるから
そんなに凄い損失するということもないので、
冷静になり安定しているように見せるんです。
目の前の約束も基本的にこなしていくことで、周りの人も
「あの人はメンタルが安定しているな」となります。
安定してない人はやるべきことをやらずに、
メンタルに振り回されています。
しかし、基本的にぼくのベストな状態というのは、
メンタルに一喜一憂というよりも
物事の出来事に喜怒哀楽を持って
「ワーワー」やったりするのがよい状態です。
その方がヒトらしいし、コップから水がこぼれて
「うわーお」とやってる方が楽しいです。
あんまり、「物体が流れ出ているだけだ」というとカッコいいですが、
そんなに反応がないのも怖いです。
みんなと一緒になってこぼれて「わーお」というような
ドリフみたいな音楽が流れてるような感じで
みんなで「ワーワー」やりながら拭いたら楽しいです。
そういうものが起きている。
そういうところには「どうしよどうしよ」とやりながらも楽しむんです。
けどその後はやるべきことをちゃんとやることです。
コップから水がこぼれて携帯やパソコンが壊れたからできなかったです。
みたいに言い訳をたくさん並べて言っていると、
「この人はメンタルが安定していないな」と思われます。
メンタルが安定しているようにしっかりと周りとの約束は守っていけば、
周りにもメンタルが安定してるように見えるし、
自分もしっかりと安定していくんです。
だけどコップから水がこぼれて「ワーワー」なって、
「どうしようどうしよう」となり、
他のことができなくて言い訳を並べているから、
ぼくはメンタルが安定していないのだと、
原因をメンタルのせいにしたくなります。
しかし、基本的にぼくはメンタルのせいとか性格のせいとかにはしないです。
自分に対してもそうですし、
人に対しても「この人が悪い」と思わないです。
周りの人がやらなくても、
メンタルがそんなに苦しいとかの感情よりは、
その人ができなかったのはどうしてなのかと考え、
どういう環境やどういう仕組みがあれば、
ここをこなすことができたのかを考えます。
犯罪者が前に嫌な事件を起こしてました。
施設の色々な障害を持っている子供たちを
何人か殺害してしまう、そういった事件が起きてました。
この犯人が精神的な異常だという意見があり、
ニュースを聞いてても「そうだね、そうだね」となっています。
この人の刑罰をどうしていくかということを考えると同時に、社会からこんな人たちこの人が誕生してしまった原因は何だろうと、
ぼくも自分ができなかったことや周りの人ができなかったことも
その人ができなかった関係や仕組みという原因は何だろうと
一緒になって悩むようにしています。
これは自分に対しても周りに対しても、、
このメンタルの「ワーッワーッ」でなんとかなる、
何とかなるためにあえて「アチャー」とか、
あえてこう傲ったようにすることもあります。
ぼくが怒っているように見せたことによって、
その人が行動するのなら、怒っているように見せようかなということです。
感情的にはそんなに怒ってなくても怒っているふりをしているうちに
怒っているようになることはありますが、
もちろんぼくはまったく怒らないわけではないです。
なにかに怒ってて本当に怒ってしまうと途中で冷静になり、
怒っている自分かわいいとなって冷静になってしまいます。
「ちゃんと怒れて良かったな」といったように。
なので、よい意味で感情に振り回されて楽しみながら
やるべきことをやりましょうということです。
できたら連帯責任と思って、一緒になってよくなっていくためには
どうしていこうと考え、自分が調子がいい時なら
どんどん人の手助けができますし、
自分の調子が良くないなと思うときは
そんなに自己嫌悪にならず、調子がいい時も悪い時も
ありますのでただ結果に対してどうしていくか
考えやるべきことをやるしかないんです。
メンタル安定の結論はやるべきことをやっていったら
自分にも「ハナマル」が出せますし人もいいように
見てくれるのであとは調子の良し悪しなってくるのです。
それでは、また。