【ネタバレ注意】生と死の出来事を図化してみた【The Last of Us Part II 考察】
The Last of Us Part IIというゲームを自分の中で成仏させる為に考察し始め、ネット上に落ちている様々な考察記事を読みましたが、部分的に納得のいくもの、自分なりの解釈も付加したいものなど様々でした。そんなこともあり今一度整理し、他の人が各々の解釈をアップしているように自分なりの考察を共有してみようと思い、書かせていただきました。
「考察記事が多い」というのはそれだけ内容の深いゲームということを表していて、浅く理解して終えることもできますが、今作は考察すればするほど、噛めば噛むほど味が出るスルメのようなゲームだなと思っています。どの解釈が正しいか、というよりもどの解釈が自分の納得感と近いか、という視点で読むとより楽しめると思います。こうした記事を書くことは初めてですが、どうかご容赦いただければと思います。
※既プレイを前提とした記事になっています。ネタバレ要素を多分に含んでいるのでご注意ください。また、一個人の考察・想像であることにご留意ください。
整理したかった4つのこと
今作のゲームは拾っていくべき要素が多く、あれやこれやと気になったところを書き始めるとキリがないので、自分がこのゲームでちゃんと整理したかった要素を大きく4つにまとめました。
⑴ なぜアビーをプレイする必要があるのか?
⑵ なぜアビーはエリーを殺さなかったのか?
⑶ なぜエリーはアビーを殺さなかったのか?
⑷ 出来事を図化してみると何が見えてくるか?
この4つを軸に、自分なりの考察を書いていきたいと思います。また、最後にはディレクターであるニールドラックマンにも触れています。
⑴ なぜアビーをプレイする必要があるのか?
アビーをプレイする、つまり「宿敵を主人公として操作する」というのは個人的に衝撃(ジョエルを惨殺した奴に感情移入なんかしたくない!という気持ち)で、ゲームとしてかなり挑戦的な印象を受けました。しかしこのアビーをプレイすることこそがゲームだけでなく物語を深く楽しむ大前提の要素になっています。
アビーは「復讐が完了したエリーの姿」として描かれています。つまりエリーとアビーは復讐をテーマとした対比構造になっているということはプレイしていてもわかります。二人の復讐をプレイヤーが自ら辿り比較することで、敵同士であるエリーとアビー二人の心境に共感しながらゲームを進めることができる、というのが基本的な狙いとされています。しかし、双方の正義を知るという以上にアビーをプレイすることにはもっと意味が含まれていると感じました。
エリーもアビーも「最愛の人を殺した人間を殺そうとするが、最終的に見逃す」という同じ構造に見えますが、復讐譚の裏に隠された彼女らの心情的な部分は大きく異なっています。
アビーをプレイするとよくわかるのは、エリーと同等かそれ以上に壮絶な過去や今負っている責任があるということ。アビーはまず、世界を救おうと奮闘していた最愛の父親を極めて利己的な理由で殺されます。アビーは殺される理由も理解できない状態。当然憎しみは爆発します(その結果があのガタイだと思ってます)。世界を救おうとしていた人々を皆殺しにしただけでなく、もうワクチンによっておぞましい世界を救うこともできない。その惨事を生んだジョエルを殺そうとするのはむしろ当然の衝動だと分かります。
そしてエリーが殺していったアビーの仲間たちも、プレイを通じて深く知ることになります。ジョエルへの復讐に加担した仲間たちもジョエルへの憎しみこそありますが、同胞であるアビーを助けるためにいたわけであり、根は優しい仲間たちであることが強く描かれています。(特にオーウェン、メル、ノラ、マニー)
また、アビーはWLFの中でもトップであるアイザックに必要とされる存在であり、責任重大な作戦(スカー掃討作戦)も待ち構えています。しかしその立場を捨ててまでも、アビーは敵であるセラファイトの姉妹を救い出します。アビー編のほとんどは、小さな命を救う・守るというテーマで描かれています(さながらエリーを守るジョエルと重なるように)。
序盤の展開で心底憎かったアビーもここまでプレイすると、逆にエリーが「最愛の人を殺された。だから全員殺しても構わない。」と衝動的に動く利己的で幼い人間に見えてくる逆転現象が起きます。プレイヤーもエリーの心境にもはや追いついていけない、共感できない状態。エリーのプレイ中に湧き上がるのは「何をそんなに必死になっているんだろう?」「全員を殺すことが本当の目的なのか?」という疑問。
これがアビーをプレイする理由だと思います。敵側の正義を知るだけだなく、エリーが旅に出た理由を改めて考える機会を設けるため、エリーの真の目的を浮き上がらせるために必要だった、と感じました。劇場での戦いは、自己満足のために大きな犠牲を払ったエリーを倒し切ることで、エリーひいてはプレイヤーの気持ちを整理させる狙いがあるのではと思いました。
ゲームを最後までやると明らかになることですが、エリーはジョエルが嘘をついたことで激怒し半ば絶縁状態になっていました。それでも最愛のジョエルを許したかった。しかし関係を修復する前に死んでしまった。ジョエルが死ぬ前に許してあげられなかった罪悪感、そして自分への怒りを衝動に変えて、エリーはジョエルへの想いにけじめを付けるためという自己完結的な動機で旅に出たことが次第に明らかになります。
・・・しかし、ボスキャラになったとは言え一作目から愛してやまないエリーをボコボコにするのはなんとも胸が張り裂ける思いでした。首を絞める□連打も、あんなに連打したくない連打は生まれて初めてでした。。
⑵ なぜアビーはエリーを殺さなかったのか?
アビーはジョエルの復讐に成功しますが、その後は苦悩が待ち構えています。仇であるジョエルを殺したはずなのに悪夢にうなされてしまう。復讐によって救いは得られないことを、ここでは暗に示しています。
結局アビーはその後命を救ってくれた敵の姉妹ヤーラとレブを救い出すことで、真の救いを得ます。(ディレクターのニールドラックマンも言うように、復讐というテーマの裏には「贖罪」というテーマがあり、ジョエル撲殺という復讐完了後、アビーは苦悩と戦い、敵であるセラファイトの姉妹を救う姿を「贖罪」として描いています。)
また、アビーのストーリーはWLFとセラファイトの戦いが舞台となっていて、復讐という負の連鎖を象徴しています。アイザックは、敵を皆殺しにすることでそのサイクルを断とうとしています。しかし、アビーがレブを助けに行った島の集落ヘイブンではWLFが総攻撃を仕掛け、アビーは結局、人と人が無意味に殺し合う地獄絵図を目の当たりにします。
これらのことからアビーがエリーを殺さなかった理由として、復讐によって得られるものはないということをよく学んできた、ということに加えてこれまでの凄惨な殺し合いを経て、殺し合いに辟易していたようなイメージを受けました。命からがら救い出したヤーラも結局WLFによる総攻撃の中で死んでしまう。さらに自分の復讐がきっかけで最愛の人オーウェンや友人たちまでも失うことになってしまった。そんな殺し合いにうんざりしていたのではと感じました。
殺し合いに大した興味はなく、誰よりも人間らしく暮らしていたオーウェンに触れていたということもアビーの思想に大きく影響していたと思います。オーウェンは水族館を秘密基地のようにして暮らしていたり、クリスマスというイベントを楽しむなど、物語の中では唯一と言っていい人間性の象徴として描かれていました。また、オーウェンはセラファイトを殺さず仲間を殺したことでWLFから追われることになります。そんな殺し合いに疲れたオーウェンを見ていた、ということも殺し合いへの辟易に繋がっていると思います。
⑶ なぜエリーはアビーを殺さなかったのか?
エリーの2回目の旅に入る前に、ジョエルが死ぬ前夜の映像が挿し込まれます。パーティでのエリーとディーナのキスに苦言を呈したセスとの間にジョエルが割って入り、守ってくれたジョエルにエリーは「助けてくれなんてい言ってない」と怒鳴りつけ、ジョエルは悲しい顔で立ち去る。というシーンがあったと思います。
この時エリーは許せない思いと同時に、ジョエルに辛く当たっていることへの罪悪感を覚えます。そしてゲームの最後には再度ジョエルが死ぬ前夜にエリーがジョエルの元を訪れていたシーンが回想され、「一生許せない。けど許したいと思っている。」とジョエルに打ち明けます。翌日のパトロールではディーナに夜の予定を聞かれた時、「ジョエルと映画を観る」と言っており、まさに長い絶縁状態から少しづつ歩み寄ろうとしていた時に突然殺されてしまった。ジョエルとの関係を修復する前に罪悪感や未練が残ったまま殺されてしまったことが伺えます。
冒頭でも少し書きましたが、エリーの復讐の旅の目的はまさに「ジョエルとのけじめ」です。最愛の人を殺した人に復讐したいというのは建前で、意識的か無意識的に、「ジョエルを許し切れなかった自分への怒り」がエリーの中で渦巻いていたと感じました。ジョエルとの関係にけじめをつけたい、その想いでディーナやその子供を捨ててでももう一度旅に出た。「あんな女が家族より大事なの?」というディーナの台詞がありますが、これをジョエルに置き換えれば当然エリーは旅に出ようとすることが理解できます。アビーへの執念はジョエルへの執念だったわけです。
そんな執念深さでラトラーズのアジトに乗り込み、アビーを見つけ出しますが、杭に繋がれたアビーは見る影も無い姿に変貌していました。そしてアビーはすぐにレブを救い出しボートに向かいます。ここのアビーの後ろ姿はエリーを守るジョエルを彷彿とさせるように描かれています。
エリーもボートに向かいますが、みすぼらしい姿になっていてもアビーが憎き仇であることを思い出します。そしてお互いボロボロの姿で決闘が行われ、ついにエリーはアビーを追い詰めます。しかしアビーを殺す一歩手前でジョエルのことが頭をよぎり、アビーから手を離し、最終的に見逃すことになります。
カットインが入ったことからも、エリーがアビーを殺さなかった理由としてはアビーとジョエルが重なったからだと思いますが、単に重なると言っても様々な要素が混じり合って重なって見えたことで、泣きながら手を離したのだと思いました。
まず一つは、レブを守るアビーが、エリーを守るジョエルに見えたということ。これは見逃した後のセリフ「もう行って。あの子と一緒に。」で言われているように、エリーの中ではアビーは小さな命を守る存在であることを認識していて、同時にジョエルに守ってもらっていた大きな愛を思い出したようなイメージでした。
二つ目は、アビーもジョエルもエリーの生きるための光を奪った存在であるということです。エリーはかつてワクチンとして犠牲になることが生きるための光でしたが、ジョエルはエリーを救い出すことでその光を奪ってしまった。しかしエリーもアメリカ横断を通じてジョエルとの絆が生まれていた。生きるための光が徐々にジョエルに移っていたからこそ、許したいという気持ちがあったんだと思います。しかしその光はアビーが奪ってしまう。二人とも利己的な愛を理由にエリーの光を奪った存在、という共通点があると思います。もともと許したかったけど許す前に亡くしてしまったジョエルと同じ存在であるアビーを許すことで、ジョエルを許すことに重ねた、とも考えられると思いました。
余談ですが、ラスアスのように文明が消滅した退廃的な世界観で描かれるコンテンツは山ほどあります。どのコンテンツにもほとんど共通している、「外に出れば感染者か略奪者に簡単に殺される」という凄惨な世界の設定で扱われるテーマは「そうまでして必死に生きる意味とは?」ということです。
1作目ではジョエルとエリー、親子でもない二人に旅路を通じて絆や愛が芽生え、お互いを守るために必死に生き抜くことがテーマになっていました。
今作も継続して同様のテーマ「生きる理由」が含まれていて、愛に加えて憎しみのために生きるということが主題になっていました。また、何のために生きるのか、ということが主人公だけでなく登場人物全員に意識されるよう描かれていました。
エリーは特に、生きるための光が一番揺れ動いていたと言えます。元々は世界を救うために生きていた。それも失われた今、生きる理由はディーナのため?アビーのため?それともジョエルのため?エリーもプレイヤーもそれを見つける旅だった。そんな気がしています。光に向かって盲目に飛ぶ蛾のように…。
⑷ 出来事を図化してみると何が見えてくるか?
この部分についてはもはや自分の自己満足的な側面が大きいので流し見ていただければと思います。まずこの物語における二人の主人公の生と死にまつわる出来事について時系列で並べてみたのが下の図です。(抜けている部分もあるかもしれませんがご容赦ください)
二人の間で生と死のサイクルが繰り広げられています。また、ラスアスの世界では生きることと殺すことは表裏一体であることがよくわかると思います。
この図を見て面白いなと思ったのは、「敵に命を救われる→敵を殺す→敵に命を救われる→敵の命を救う(敵を見逃す)」という流れが共通している点です。確かにアビーはエリーの復讐が完了した姿として描かれているけれど、そんな時系列のズレた二人の出来事を同時に進行しながら、実は全く同じ流れを踏ませているというところがうまいな、と感じました。
アビーによるヤーラ・レブの救済はジョエルを殺したことの贖罪として描かれていますが、エリーもまた闇雲にオーウェンや友人たちを殺してしまったことの贖罪として無意識的にアビーの命を救っています。この贖罪を経たことで闇から解放された二人の姿が描かれています。
ディレクター:ニールドラックマンについて
ディレクターであるニールドラックマンは神聖視されたラスアス1のジョエルとエリーの物語から逃げてはいけないという思いで2作目を作ったと語っていますが、続編を二人の和気藹々とした世界で描くのではなく、あくまでも残酷な世界の中で二人の愛を描いたのは、天才か、と思いました。というかその他の作品(アンチャーテッド等)も気になりました。
wikiを読んでいるとニールドラックマンが影響を受けた作品の中に、「ICO」や「バイオ4」があり、まさに持ちつ持たれつな二人が困難に立ち向かうゲーム。
だからラスアスが生まれたのかと合点がいったのと同時に、影響を受けたゲームが個人的に好きなゲームばかりだったのでそりゃラスアスも好きになるわな、と改めて納得しました。
3作目の制作を予定しているわけではないようですが、意欲的なコメントを残していて、またラスアス1をやり終えた時のように、作られるかどうかわからない続編を気長に待ちたいと思います。
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