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寄付してよかったこと
例えば、本屋の本を全部征服したいとか、レストランのメニューを全部征服したいとか、カメラのレンズを全部征服したいとか。コンプリートはできないよなあ、と当たり前に思うことはある。社会課題も同じかも知れない。社会に課題は数多あって、しかし、それらのすべての解決を目指すことは難しい。
って、寄付の話だからって、あんまり高邁なこと書いてもしょうがない気もするよね。
人間のできることには限りがあって、社会問題を解決するんだ、と息巻いていても、あまねく全ては無理だよなあと思うし、自分そんなにすごくない。
社会活動に本格的に関わったのはカナエールというプロジェクトの実行委員会でイベント集客を目的としたプロモーションを担当していたからだけど、2017年にそのプロジェクトが終わると、割とポカンとしてしまった。ポカンとするどころか、大きく体調崩して、社会活動するような状態じゃなくなってしまった。
大したことはできないなー、と改めて思った時に、ある意味での自分へのエクスキューズになったのが寄付だった。自分ができないなら、誰かに代わりにやってもらおう、しばし役割を預かってもらおう、そんな気持ちで寄付先を探した。いくつかの団体の継続サポーターをやってみた。今はsoarという団体へのサポートを細々と続けている。
体調を崩して良かったなと思うことがある。自分の弱さや、手の及ばないところ、不得手などなどを再確認できたからだ。NPOやNGOも決して順風満帆というわけではなく、僕がサポートしたからうまくいくというわけでも全くなく、いやあ、どこも苦労してるよねえと思うのだけれど、何かの機会に自分のサポートしている団体や活動が躍動しているのを見るのは嬉しい。
寄付してよかったなあと思う。
人一人ができることは限られているが、人に応援されることでできることは増えるし、人を応援することでできることは増えるなあと思う。そういう意味では、人のできることに限りはないなあと思う。たくさんの社会課題も、人が応援し合うことでその力を増幅できたら、解決に向かうのではないか。寄付で社会はまだまだ活性化するのではないかなあと思う。
寄付って社会の老化防止策なのかも知れないよなと思う。社会も老化していく。放っておけば、課題や刺激に無頓着になっていく。社会が若々しくあるには、血液に変わるものを循環させて、みずみずしさを取り戻さなければならないけれど、その血液に変わるものが、「応援」なのではないか。
今朝は日本がスペインに買ってグループリーグ突破を決めた。日本中を応援と歓喜の声が埋め尽くした。なんか人間、好きなもの、期待しているもの、自分たちを代表 / 代替するもの、を応援するというのは、楽しそうだなあと思う。応援は楽しい。なんかそんなことを再確認する時間でもあったように思う。
12月1日から、寄付月間が始まった。今年は僕もファンドレイジングを自分の職能にしていこうということで、2つのプロジェクトをサポートしている。
1ヶ月頑張ってみよう。