責任感は誰との約束を守ろうとしているのか
責任感は、誰との約束を守ろうとしているのでしょうか。責任感が強い方々のご意見として、「他人との約束を守ることが多く、自分との約束はあまり守れない」というものが多い印象でした。自分を振り返ってみて、確かにそういう面もあるのですが、それだけではないとも感じました。
『鬼滅の刃』で煉獄杏寿郎は、「俺は俺の責務を全うする!!ここにいる者は誰も死なせない!!」と言いました。彼は誰との約束を守ろうとしていたのでしょうか。
彼が強く心にとどめていたのは、子どもの頃に亡くなった母親との約束でした。「弱きものを助けるのは強く生まれた者の責務」だと。しかし、それだけではないと私は思います。彼は「柱ならば後輩の楯となるのは当然だ。柱ならば誰であっても同じことをする。」とも言っています。そして敵の猗窩座は、今まで殺してきた柱たちに、寝返って鬼になれという誘いに頷く者はいなかったと言っています。誰との約束でもなく、柱としての自分の責務を自覚していたのでしょう。
PTA会長として、自分が務める市役所に対しても厳しい意見を伝えなければならない場面がありました。これは誰と約束したというものではありません。PTA会長として発言すべきだと自分で判断したものです。(もちろん、伝えるタイミングや伝え方は大事で、その後、アサーティブを学ぶきっかけにもなりました)
先日、防災訓練があり、訓練に関する館内放送をきちんと聴こうとしていない訓練参加者たちを厳しく注意しました。放送では、どの避難階段を使うべきかといった命を左右する重要な情報が伝達されます。そして訓練でできていないことは本番でもできません。参加者を注意したのは誰かから言われたからではなく、もしものときに、命が助かる確率を高めるべきであり、誰も言わないのであれば自分が言うのが責務だと判断したからです。
人にはそれぞれの役割があります。PTA会長として、公務員として、父親として、夫として、ファシリテーターとして、ボランティアサークルのメンバーとして、そして人として。
そこまで求められていないかもしれないので、やり過ぎに注意する必要はあるでしょう。しかし、誰かとの約束よりもむしろ、自らの責務を自覚したときの行動の方が力強いかもしれないと感じています。