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年1000展アート巡りする男が選ぶ!2024年に心を揺さぶられた現代アート12選
現代アートという麻薬に取り憑かれた私は、年間1,000展を巡る刺激中毒。
2024年も数々の作品が私の心を震わせ、様々な視点で考える機会をもたらしてくれた。
今回はその中から、特に心を揺さぶられた12の展覧会を厳選し、紹介する。
順位はつけられない。関連情報や動画もあり長いので、ブックマークやスキをしておいて、ゆっくり楽しんでほしい。
動画で見たい方はこちら。
(1) トラウマの結晶。「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」
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東京・六本木ヒルズに常設の巨大なクモ。その作者である女性の、地獄を見てきた魂の叫び。2025/1/19まで。
「私を見捨てないで」
「「攻撃」しないと、生きている気がしない。」
「芸術は正気を保証する」
「生まれるとは追い出されること。見放されること、そこから憤りが生じる。」
強烈な言葉と作品が並ぶ。「私はこういう作品を見ていないと、生きている気がしない」、そう思った。
内から湧き上がる衝動の結晶、人に強く訴えかけるものがあるこのような作品たちは、私の胸ぐらを掴んで揺さぶるようだ。
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こんな展覧会を見たら病みそう?いや、逆だ。これはケア、治癒的な表現だ。映画監督でアーティストのアレハンドロ・ホドロフスキーを思い出す。
彼は自分の子供の頃のトラウマを映画で表現し、自分を癒やした。しかしそれが鑑賞者をも癒すことに。『リアリティのダンス』『エンドレス・ポエトリー』など変態(天才)すぎて、私はほとんど信者だ。
分かりやすいところだと草間彌生もそう。彼女は自分に見える幻覚、水玉をあえて描いた。
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逃げても良いのに、彼らはあえて苦しみに向き合った。成功したアーティストによる深い苦しみの自己開示が、鑑賞者の心と響き合う。
ルイーズ・ブルジョワ展の最後の章が「青空の修復」であったことは救いだ。
特にインパクトのあった作品ベスト7を動画で紹介してるので、そちらも見てほしい。
(2) 愛ある母校批判!?「Dear Future Person, 」久門剛史
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自身の母校・京都市立芸術大学が移転して最初の展覧会で彼は、その母校の批判をした。いや、とても愛のあるものだった。
自分に仕事(お金)をくれる相手を批判するのは簡単じゃない。
しかし久門さんはアーティストとして「そうじゃないだろ」ってことをきちんと作品、個展全体で表現。母校の後輩たちにその背中を見せたことが、ものすごくカッコ良い。
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特に感動したこの作品。
白い紙の裏と表から、ただ光が当たっているだけの作品。
人影は私だ。自分の影をよく見ると、胸のあたりに小さい光が見える。
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紙の向こう側から当たる小さく弱い光は、通常は見えない。こちら側からもっと強い大きな光が当てられているからだ。
ところが強い光の前に立つと、影ができる。向こう側からの弱く小さな光がはじめて見えるようになるのだ。
つまり、大きな声=大衆の声だけじゃなく、小さな声にも耳を向けようよ、小さな声にこそ何か価値があるんじゃないか、ということを表現している作品だ。なんというシンプルで美しい表現だろう。
あまりに素晴らしかったので、後日開催されたアーティストトークにも足を運んだ。そこでの彼の名言を置いておく。
「大人に疑いを持ち、自分たちの正解を見つけてほしい」
「僕、斜に構えるって言葉が非常に好きで。(中略)僕はある種、大学で斜に構え方を習った(中略)。僕の「斜」の角度って(Chim↑Pomらと違って)ほんの少ししか傾いてない。でもそのほんとの少しに気づくってことが大事だし、僕はそれに救われてきた」
「この場所で学ぶ人達には、既成概念を覆し、用意されたステージや壁をなぎ倒してほしい。先人から学び、同時に疑え。自分の色に塗り替えていってほしい」
「大きい声が正しいとは限らない。小さい声に耳を傾ける。大きい声に迎合せず、独り言でも確かな声として、発信し続ける。」
動画でも3回紹介しているので、そちらもぜひ。
最初に見に行った日のVlog
https://youtu.be/mbKjSeTjoYM?si=ogEwiowpv0U-XuLv&t=35
2回目、講演会を聞いた日のVlog
https://youtu.be/YlX6Ev5IaN4?si=thV9xMh8jyQaWU1v&t=21
(3) 哲学する音楽家。「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」
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最近見たばかりだが、2024年のベストとしてこれは外せない。2025/3/30まで。
坂本龍一はこれまで様々なアーティストと協働。音を展示空間に立体的に設置する試みを実践してきた。私はこれまで彼の音楽はもちろん、様々な展覧会も追いかけてきている。
今回の展覧会は、過去最大規模。2時間鑑賞してもまだ彼の音と時間に浸っていたかったくらいだ。
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環境問題に関心の強かった坂本龍一には、水が重要な要素となる作品が多いという。たとえば坂本龍一+高谷史郎《LIFE–fluid, invisible, inaudible…》。暗闇が坂本龍一のサウンドと水と光に包まれた、美しい空間だ。
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さらにこちらは霧の彫刻として知られる中谷さんの作品の新作。
他にも、「AMBIENT KYOTO 2023」で感動した作品を再構成した《async-immersion tokyo》は、これだけのためにもう一度行きたいと思っているくらいだ。1時間くらい、ゆっくり座って眺めていたいのだ(私が行った初日は人が多くて座れず、落ち着かなかった)。
ちなみに、展覧会タイトルの元ネタはこちらの本。
本展は動画のほうが伝わるかも。もちろん、動画や写真で「分かる」ことはありえない。現地へ行って「体験」することを激しくおすすめする。
(4) 80代のエネルギー。「田名網敬一 記憶の冒険」
子供の頃の記憶、デザイナー時代の作品、そしてアーティスト転身後から最新作までを網羅した回顧展。
彼の所属するnanzukaやプラダ青山店など、これまで様々な作品を見てきたが、そのエネルギー全てを集約したような強烈な内容だ。
作家が経験した戦争や生と死のイメージ、その後出会ったアメリカ文化や古今東西の美術との出会い。それらが絵画、立体作品、アニメーション、コラージュ、インスタレーションなど様々に表現されており圧巻だった。
広い会場の後半・第9章には、コロナ禍で田名網がルーティンとしていたピカソの模写、およそ200点。模写と言っても、それっぽいものからかなりオリジナルなものまである。
彼ほどの人でも模写をするということや、本当にクリエイティブな人はやはり、コロナ禍のようなネガティブな状況をポジティブに変える発想の転換ができる人なのだとか、あらためてその生きざまから学びを得た気分だ。
(5) 「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子 ―ピュシスについて」
じっくり全て鑑賞して一旦エスカレーターを降りたのに、「あぁまだ足りない」と名残惜しくてすぐ上へ戻った展覧会。
国際的なアートシーンで注目を集める毛利悠子さんと美術館のコレクションのコラボだ。2025/2/9まで。
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入り口には彼女の代名詞(と私が感じる)、生のフルーツを使った作品。挿された電極が読み取る水分量のデータによって音や光を奏でる。
これまでギャラリーなどで見たときと違い、オルガンの音が教会のような厳かな雰囲気を作り、導入としてとても良かった。
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アーティゾン美術館の「ジャム・セッション」シリーズは、美術館のコレクションとアーティストがコラボするもの。この作品の近くにはジョルジュ・ブラックが描いた《梨と桃》が鎮座する。
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他にも、モネ《雨のベリール》の脇には、毛利さんが実際にフランス・ベリールで撮影した映像。
その音がMIDI信号に変換され、ピアノを奏でる。
例えばピアノの「ミ」と「ファ」の間にも、ピアノでは鳴らせない音があるわけで、自然の音を音階に当てはめるのは不自由に思えるし、当然音階もメチャクチャで、美しいメロディといえるものではない。けど不思議としばらくそこから私の重心が動かない。
(6) 内藤礼 「生まれておいで 生きておいで」
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派手で見栄えのよいアートが「映える背景」としてSNSで消費される現代に、本展は小さな作品や遠くの作品が点々と並び、しかも撮影NG。
それでも良い、それが良いと思える内容だった。撮影しても、SNS投稿しても、意味がないから。
「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」
これを一貫した問いとして作家活動を続けてきた内藤さん。本展は日々見過ごしがちなささやかな事物や情景、現象を体験する、素敵な機会だった。
2会場あるうち、私が見たのは銀座メゾンエルメス。
自然光と都市のネオンがガラスブロックを通して射し込む近代的な空間に、カラフルなポンポン、透明な風船やガラス瓶などが点々と配置され、何が、どれがアートなのかと戸惑うような空間。
小さな、かすかな作品をリストとマップをもとに探し、眺め、観察し。その後の日常風景が違って見えるような体験だ。
(7) 「三菱一号館美術館 再開館記念 『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」
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2025/1/26まで開催中のこちら。ロートレック目的の来場者が多いかも知れないが、私にとってはロートレックは失礼ながら前菜だ。
コロナ禍でソフィ・カルの来日が見送りになり、4年越しに実現した本展。
美術館へ彼女から「不在」というテーマを提案したという。真逆である「存在」という視点でロートレックの作品群が並んだ先に、「不在」テーマのソフィ・カル作品群がつながる展覧会だ。
ソフィ・カルは私の大好きなアーティストのベスト5に入る。他者へのインタビューを通して、写真と文字を組み合わせた詩的な作品を数多く発表してきており、2015年に豊田市美術館で見た展覧会は
生まれつき目の見えない人々に「美とは何か」と問いかける《盲目の人々》
人生の途中で視力を失った人々にインタビューした《最後に見たもの》
など衝撃の連続だった。そんなの、目の見えない人に聞いちゃいけないと思ってしまうような、しかし好奇心はわくテーマで、私が現代アートに大きくハマっていくキッカケの1つになった。
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例えば《あなたには何が見えますか》は、からの額縁の中に何が見えるか、と美術館の学芸員や警備員、来館者に問いかけたもの。
1990年にボストンの美術館からレンブラントやフェルメールらの作品が盗まれた。その後、額縁だけが作品のあった場所に置かれ、絵画の「不在」が展示されている状態に。
それでカルは問いかけたのだ。何が見えるかと。
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《海を見る》は、トルコ・イスタンブールで、老若男女14人が生まれて初めて海を見る瞬間を捉えた映像作品。
海という存在がすぐそばにあるイスタンブールに住んでいるにもかかわらず、海を見たことがない人たち。それは内陸部に住み続ける貧困層だ。
ソフィ・カルが長年追究してきた「視覚」や「認識」に関する作品のひとつで、私にとっては「これ、これ!」という感じだ。
《監禁されたピカソ》なんて、作品保護のため紙にくるまれたピカソの絵画の写真だ。
「不在」といえば、彼女の亡くなった両親についての作品もある。
いわゆる美術館で絵画を見るのとは異なる、心と脳にじんわりくる体験ができる。
(8) KYOTOGRAPHIE 2024「SOURCE」
1つの展覧会と、芸術祭を並べるのはおかしい気もする。が、1イベントと捉えてここに挙げてしまう。毎年楽しみな京都での写真祭だ。
特に印象的だったのは以下。
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ジェームス・モリソン「子どもたちの眠る場所」(京都芸術センター)
世界各国の子ども部屋の写真に、彼らの趣味だけでなくその境遇や貧富の差などが浮き彫りに。今日の子どもたちに何が影響を及ぼしているのか、そしてそれが大人になったときの彼らにどう影響するのか。想像が広がり、とてもモヤモヤした。
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ティエリー・アルドゥアン「種子は語る」(二条城 二の丸御殿 台所・御清所)
種子がこんなにも神秘的な存在とは。そういえば種子を使ったアートを何度か見たことあるな。彼らは気づいているんだ。
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ヴィヴィアン・サッセン「PHOSPHOR|発光体:アート&ファッション 1990-2023」(京都新聞ビル地下1階、印刷工場跡)
オシャレでユニークな写真、映像の数々。それもそのはず、彼女はファッションデザインと写真を学んだ後、ファッションフォトグラファーとして雑誌『VOGUE』などでの撮影、ルイ・ヴィトンほか数々の有名メゾンとのコラボしてきた。鮮烈な色彩、強いコントラスト、被写体のユニークなポージングが特徴だ。
他にも動画でぜひ。あの俳優さんにお会いしたのは驚いた。
(9) 第8回 横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる
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さてこちらも芸術祭。しかしほぼ横浜美術館だけで完結していたため、ここに挙げる。特に印象的なのは以下。
まず上のジョシュ・クラインの作品。AIとかロボットなど技術の発達によって仕事がなくなった人を表現している。
あなたはどう感じる?私は色々考えさせられ、心動かされて、VLOGではこの作品についてAIと対話型鑑賞してみた。
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さらに、別のアーティストのこれも良かった。人形で遊ぶ女の子。しかしその人形は母親そっくりだ。娘が化粧をするなどして人形を愛でる様子は母子が逆転しており、ふと介護を思わせた。親子、あるいは生き物とそうでないものの境界が曖昧になっていく。同じ動画で、この作品についてもAIと対話型鑑賞した。
他も重めではあるが素晴らしかったので、ぜひ動画で見てほしい。
(10)ちょっとズレてる。「発生法──天地左右の裏表」豊嶋康子
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東京都現代美術館(東京・清澄白河)
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/toyoshima_yasuko/
これ↑、何だと思います?
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ジグソーパズルだ。
豊嶋さんは、私たちの物の見方や社会制度、ルールや仕組みみたいなものをちょっと歪ませるような、視点をずらしてくれるような、そんな作品が多い。
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壁にそろばんが無限にあるのもヤバい。
私たちは物の見方がつい凝り固まってしまったり、「こうに決まってる」「こうであるべき」みたいになってしまいがち。
しかしここに来ると、そろばん以外にも…。
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本来の意味を完全には壊していないがちょっとずれた感じが、すごく面白い。ワクワクする展覧会だった。
(11)「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? —— 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」
ここで現代アート展をするのは初、という意味で、そのチャレンジがまず素晴らしい。
内覧会では出展アーティストから美術館に対し抗議デモが起きて話題に。
批判もあったが、私はアーティストというのは社会に問いを投げたり、人が言いにくいことを表現したりする人であってほしいと思う。
国立西洋美術館の中で、展覧会出品作家有志によるデモ。
— Tokyo Art Beat (@TokyoArtBeat_JP) March 11, 2024
明日開幕の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」の内覧会中。
美術館のオフィシャルパートナー、川崎重工株式会社によるイスラエルの武器輸入を問題視 pic.twitter.com/V1YIDKvtTI
正直、すべての作品が私に刺さったかと言われるとそうではないのだが、インパクト充分で、入れざるを得ないかなと。
特に印象的なのは、上野のホームレスをテーマにした作品。居場所がなくて上野公園に来た人たちが、行政によって居場所を追われ、上野にホームレスはほぼ居なくなった。
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アーティストの弓指寛治さんは、日雇い労働者向けの簡易宿泊所が集まる「山谷」で1年、ボランティアして聞き取りを重ねた。
美術館には住民たちの波乱万丈の物語が、絵本のように綴られていた。彼らの写真を撮れないから絵にしたのだろうけど、写真より「伝わる」感じがするのはなぜだろう。
こんなやりとりも印象的だ。
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「普通に生きる」のが難しい人たちが居て、でもそれぞれの事情があって、みんなに人権、尊厳があるはずで、それを助ける人たちが居て。
そこにコミュニケーションがあり、アートを制作する人までいたり。
日本って良い国だなと思いつつ。ベーシックインカムとか、前澤友作さんが「この世からお金がなくなればいい」と言ってたことを思い出したりした。
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他にも批評家の小田原のどかさんは、《考える人》を横倒しで展示。
「これは、この美術館の収蔵庫内に安置される彫刻の姿だ」と。インパクト充分、貴重な機会だった。
他にも2024年大活躍の梅津庸一さんのパープルームや、内藤礼さんの作品があった。動画でぜひ見てほしい。
(12) アートの見方。秋吉風人「Godchildren」
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ものすごく面白かった展覧会。
無地の絵画の何が楽しみかって?絵画の下に、文章があるのだ。
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作家は29枚の絵画を29人のキュレーターや美術批評家へ1作品ずつ振り分け、作品タイトル命名、解説の執筆を依頼した。
ライターに与えられたのは、
・作品の確認
・サイズ・素材・制作年
のみ。アーティストの想いや意図などは一切なし。つまり、書き手が想像するしかなく、センスが問われる。
どの「解説」もユニークで、作品の見方やそのこじつけ、「それっぽく」見せるライティングのテクニックなど面白くて、その視点でnoteを書いたほどだ。
しかしふと思う。あれ?作品はどっちだ?と。
本来は絵が作品で、それを補助する解説文のはずなのに、解説ばかり見て、描かれているのはどの部分のことだ?と絵画を見ていた私。
けどそれって、他の、美術館の展覧会でもよくあることではないか?
ついつい作品より解説ばかり見てしまう感じ。
「作品の見方なんて自由で、人それぞれで良い」
「解説も面白いけど、作品見ようよ」
そんなメッセージを、勝手に受け取った。
まとめ
長くなったのでここまでにしておくが、自分としては
美術館による大きな展覧会がほとんどになってしまった
割と知られたものばかりになってしまった
と、若干モヤモヤしている。
2024年上半期のまとめ、2023のベスト10もぜひ見てみてほしい
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