はじめにいくつか前提を述べたいと思います。 これは私が高校範囲まで学習してきた状態で思考して出した妄想のようなものです。 おこがましいとは存じますが、是非暖かい目でご一読頂けると幸いです。 善悪の基準は人それぞれです。 普遍的な善悪と考えられるものはそれぞれ善的、悪的なだけであって、偶然例外が今まで出なかっただけである。 というスタンスを取ります。 心は有形とします。 ちゃんとすり減ったり折れたりするとします。 自己哲学という概念を使用しますがネーミングに特に深い意味
壁のなか 僕とあなたを隔てるのはなんだろうか 問うていた嗄れた声の歌う人はナントカを持っていて捕まった よく人を見ているつもりでいる なのに誰にも会わない、合わない 自分が確りあるはずでいる なのに誰にも合わない 人間関係には壁が付き物だ 多分 聞いたことがある しょっちゅう ただ、その壁の向こうは知らんとして、壁のなかはどうなっているだろうと思う 詰まっているのか、空間があって誰か暮らしているのか、一人で住んでるのか、家族がいるのか、みんな元気か、何を食べてるか
絵を描いている。趣味とかじゃない。でも人生とかにはしたくない。ださいし、大きく捉えりゃかっこよくなる訳じゃないことを知ってるんだ。人間っていうのはで話始めんな。せっかくの外食が台無…と、荒れた手に止められて気づく。こいつぁ酷い塗りだ。あーあもうやんなっちゃった。休憩がてら彼のいる台所に目を遣る。彼は料理人らしい。でもスパゲッティ以外作ってるのを見た事がない。なんで2人で暮らしてるのに1人みたいな食事しなきゃならないんだ、みたいな憤りはもうない。大人になったのかなあ。 麺
学校を休んだ。 休んだ理由も休むこと自体も全然大したことじゃないのは分かっている。ちょっと、疲れたから。自分を休んでみたかった、とかくっせえことを言ってみる。 動き出したのは昼の2時過ぎになる。それまではダウ90000の公演の台本読んだり(面白い)マイケルジャクソンの有名曲ばっかり聴いたり(かっこいい)していた。 ふっと体が動きだして、そろそろかと思い自転車に乗ってみる。そこからは軽いこと軽いこと、どこにでも行けるような気だけした。実際は近くの河川敷を何となしに目指し
世界は素晴らしい。これに尽きる。 人生つまらないという声を見る度に懐疑してしまうのは無知なだけか。恐らくそうであろう。 私はこの上ないくらいに人生が楽しい。年々楽しくなっている。自慢じゃないが、友だちは数える程しかいない。彼女もいない。いた事がない。現在毎日所謂ベンキョウベンキョウである。楽しい。楽しくて仕方がない。 こうも句点が続くとピアスみたいで若干障りになる気もするが一旦目を閉じるとしよう。目ピアス?怖。そんなことはいい。結局なんだかんだ恵まれているだけじゃな
色んな壁の材質を意識する。大体掃除仕辛そうだ。地下鉄の駅等にいると、空間の方が人為であるので、必然愛すべき自然(体)は壁であることになる。 世の中で愛と言い放つと、大層な様にとられてしまう。 大事を大事と言いたがらない。愛するものに愛していると言いたがらないのは、人間という生き物が、歪んだ構造をしてるくせにわざわざ斜に構えて安らぐ性質を持つからだろう。実に不器用だ。 手サイズの板ひとつで嫌われることが出来る、巫山戯た時代であると思う。 成功と血の繋がらない失敗も
昼頃 彼方の重たい雲により、相対的に私は軽やかにみえる。軈て蒸れた街になる。日本語の唯一の欠陥は、ぺトリコールの訳にあたる単語が無い事だ。 美しい、は嫌いだ。 厳密に言えば、「美」という文字がきらいだ。 理由は明快、美しくないからである。 左右対称でずんぐりむっくりでげじ虫みたいなビジュアルをしている。だから美しくない。 おまけに世の中のあらゆるところにのさばって、我が物顔でお茶とか飲んでるんだ。 だからきらいなのだ。 しかしそいつ自体の持つ意味は苦しくも好き
改札で苦労した覚えがない。 左利きなのに スープ掬うの苦労した覚えがない。 普通に機会がないから覚えてない 冬目掛けて奥に進むにつれ空気は冷たく香る。鼻の中が哀愁で満ちる。ここから暫くはずっとこうだ。空しく楽しく苦く心地よい。これとか偶に見かけたショウリョウバッタとか、シャープな魂らが私を削ってくれる。その度剛くなるのだ。 七時。数字上では曇りにされてしまいそうな朝の空気は私の気張り切った眼を、ぽっかと温めてくれた。ハリの無い緑も綺麗ね。 電車などに乗る時
私には、くせがある 保身主義と自己愛について。 昼休みはいつも20分くらい余る。ごはん食べ終わり誰と話すことも無く只々ぼーっとしている。言うなればガチで休んでいる。有意義な無というやつか。 どうでもいいけど「只」の漢字が好きだ。なんか一流デザイナーがお遊びで書いたメモにいるキャラみたいで、シンプルなのに気品を醸している感じが、非常に好きだ。 カレーたべたい。 私のくせは保身に走ることだ。一々言動に自分を下げたくないからと保険をかけてしまう。気づいてはいるつも
暑くも寒くもないから動かしていない空調を見ていると、宮殿を守るイギリスの近衛兵さんが浮かぶ。じっとしているが何かしら凄まじいパワーが滲み出る。働いてないのに働いているように見えるとは、とんだワーカホリックだ。彼らが本当に休めていて幸せならいいが。 秋晴れが気持ちよかった。秋晴れ。発音が好い。まずこの言葉が決まって、それから日本語が築かれたような、そんな気分だ。 名の挙がらないものがいる。どんな分野にも。 例は特に思いつかない、何せ名の挙がらないものだから。強いて言う
申し訳ない、はひとつその人個人だけの感情であるように思う。 高3の10月も半ばで、受験の山とイワレル夏を越えしばらく経った今、すっかりひと仕事終わったような気分でいる。わかってる。勿論自分でわかっている。危うい。このままでは、いけない。 この文の塊は一体何なのかはっきりはしないししていくことも無い。只、先人のお言葉を拝借させて頂きございますると、徒然、を記していきたいのだ。 話が冒頭に戻りたがっているので、少し小走り。十数歩で立ち止まり、少し屈んで右の小路に逸れてし