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土曜日の記録

京都芸術大学の芸術教養学科のZOOM説明会


本来は来年の芸術学コースに入ると考えていますが、早めに京芸の雰囲気を知りたくこの説明会に参加したつもりだが、意外と惹かれました。

まず、先生のバックグランドはそれぞれで、もし話ができたらいいなと思います。そして、私が重視しているコミュニケーション、質疑応答の部分について、メールでのやり取りや月一回の対面カフェのようなシステムが整えっっています。先生の雰囲気(オーラ)もなんとなく私が求めている方と一致しています。

卒業生タークの部分に出た二度と退学したかった高松さんは誠実で面白かったです。お仕事はグラフィックデザイナーで、勉強が大嫌いだが、学歴のコンプレクスをなくすためにこのコースに入ったらしく印象的でした。

学科長の早川さんの「同じアンテナの角度を持っている仲間を出会いませんか」が覚えました。

15日に行われる予定のもう一つの大学全体の説明会を申し込みました。先生と高松さんが言ったようにいつも自分の勉強したい気持ちを大事にしたいです。入学するかどうかはまた検討しています。

カリキュラム

堺 アルフォンス・ミュシャ館

今回京芸の説明会は予想より長引いたため、本来1時間半で鑑賞する計画ができなかったです。もう一度来てじっくり見る予定です。

リトグラフ(石版画)の手動印刷機もう置いてあります。


乗馬

本日のレッスンはベーシック馬場Bです。
馬はディオサンス、メス、7才で、結構鈍いで拍車を使いました。

乗馬のスキルより再び思ったのは、2つのこと:

  • 自ら声をかけることが大事だと思います。

馬装する時、また順番はどっちが先とか迷っているとき、すぐ隣の人に聞来ました。知らない人でも全然大丈夫です。
私のメリット:

  1. 時間の無駄なく、知りたいことを知りました。

  2. 人とのつながりが広がる

  • 知ってる人に対して、目を逸らさない

以前なんとか思わない場で知ってる人と合ったら、微妙に原因なく目線を逸しがちです。
結局、更に気まずくなったこと結構ありました。今度はまた同じシーンになったら、克服しようと思って、目線を戻して、見つめて会釈しました。そして相手は挨拶してくれました。


ギター

クラシックギターの指導を受けました。
今日始めてわかったのはクラシックギターのなかにもソロギターとディオギターという分類があります。自分が何年間勉強していましたのはディオギター(メロディーのみ)です。先生が弾いた「アランブラ宮殿の思い出」を聞くと、目の焦点を失うくらい昔A先生の姿も思い出した。当時A先生はバーで働いて、体にいつもタバコのにおいが付いていました。なんとか憂鬱な感じを感じていました。
帰りの電車で母に電話して以前自分の練習状況を聞いてみたら、「あなたは天才だよ、その時先生に一回だけ教えてもらったら、すぐそのまま弾き出したよ」って言いました。天才かわからないですが、お母さん、ありがとう。


読書

夜はいつものあべのHOOPのスタバで「美術の物語」(芸術史)を読み続いていました。なんか以前より内容と説明が入りやすくなりました。原因はいくつかあると思います。

  • 美術展をより頻繁に行くこと、いろんなアート形式に触れること

  • 美術展を見に行く時、メモ帳と鉛筆で自分の感じたもの、閃きを記録すること

  • 自分で創作すること(一番大きいと思います)、傍観者ではなく、創作者として、喜びは桁違う差がある。

美術の物語ーエルンスト・ゴンブリッチ

夜は久々にデッサンしました。また自分のアイディアを描き出すように軸を置いて頑張ります。行動としては、週一回先生に指導してもらうような形にします。


哲学の最新論文を先生と一緒に読み解く

目指している領域の最前線の人を一緒に歩むと倍以上のこと得られると思っています。

哲学に興味を持ち始めてから、見終わった台湾大学の講座とポルトガル人の先生と毎週一回勉強すること以外、初めてオンラインセミナーを参加しました。

今回の登壇者は20代の復旦大学の博士でエトムント・フッサールについて研究しているらしいです。先生の喋り方と解説の仕方が簡潔でかなり気に入りました。論点までの線がはっきりしています。私にとって、すごく思考の快感を感じました。定期的に参加したいと思います。

行動としては、先生が所属している学校の「西洋哲学史」コースを9月にエントリーしてもっと体系的に勉強しようと思います。
今、ニーチェの「ツァラトゥストラはこう語った」を読んでいる最中で、ニーチェの酒神と太陽神の観点にすごく興味もっています。このコースに詳しい解説されるので、楽しみにしています。

レッスン風景

新しい人格ができました

特徴概要:極めて理性と感性の結合。

今これについてすごく不思議だと思っています。
以前多重人格者の切り替え動画を見たことがあるけど、あんまり響かなかった。以前も自分が二重人格かなと思っていましたが、今思えば全く違います。ただの性格の多様性だと思っています。

土曜日に家に帰ってもう11時半、すぐ寝ようと思って、ベッドに入りました。でも0:30までも全然寝れなかったでした。自分を自分で寝かせようと思ってメロディーを歌ったりして、ボイスメモで記録しました。以前上海のAPPLEストアでアプリで作曲を試したことあるが、それはあくまでもの組み合わせです。今回、これを機に、自分のこのメロディーをもっと完成化させ、なにかの物を作り出したいです。行動として、作曲プロのレッスンを予約しました。

そして、以前ギターで弾いたベートーヴェンの月光のピアノバージョンを聞きながら、アディアがガンガン出てきて、文才のあんまりない私は何千字をすーすーと書き出しました。
もう一つ大きな特徴は新しい人格(B我)はA我と別の人(意識)と認知しています。俯瞰とまだ違って、A我を幻覚のように隣から見ている感じです。そして、気持ちは無関心、A我に対してだけでなく、一切(この部屋にある物、自分の体など)見ず知らずような気持ちになりました。書くと描く時も、動いている手と明らかに分離している感じがします。この体からも分離している。解離しているでしょうか。この動いている手はただ私の意識で動かされているのです。そして、感度の繊細さはびっくりするくらい高いです。A我もう死んでいるか、、、、
でもずっと求めているメンタルブロックを外すことができました。

夜は全然寝れなかったでした。メモ帳を抱えて一時間仮眠したくらいでした。朝までも出れなかった(A我の人格に戻れなかった)でした。


行動としては、B我の状態を記録しつつ、人格切り替えの文書を読んで行きたいと思います。


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