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【明るい未来】
先日、息子の運動会があった。運動会は息子が小学生になってからは毎年欠かさず見学に行っている。
天気予報では雨と言われていたが、当日は曇り空の中に晴れ間が見える程良い天気だった。息子が参加する競技は火の玉ダンスと大玉転がし、そして徒競走だった。
昨年の徒競走での苦い記憶がまだ残っていた。今年も同じようなことになるんじゃないかと僕は不安に思っていた。
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小学5年生の息子は今年から特別支援学校に転入した。息子には知的障害があり、昨年までは一般の小学校の特別支援学級に通っていた。楽しそうに毎日通学していたが、思うように上がらない学力や他のお友達に対して手が出てしまうなどの問題がだんだんと顕著になっていき、昨年の夏休み前に学校側から支援学校への転入を打診された。
出来ればこのまま慣れ親しんだ学校に通って欲しかったが、息子の今の状態ではそれが難しいのであれば仕方のないことだと思っていた。ただ、息子の存在が学校や友達に迷惑をかけているだけだとしたらそれはとても悲しいことだと感じていた。
結局夏休み明けの9月に支援学校への転入を決めた。でもなんとなく気持ちはモヤモヤしたままで晴れなかった。
昨年の今頃だった。そんな気持ちの中、当時の小学校での”最後の運動会”が行われた。これまでの運動会では息子は楽しそうに参加していた。きっとその年の運動会でも息子は笑顔で頑張ると思っていた。息子の頑張る姿を見れば、僕のこのモヤモヤした気持ちも晴れるだろうと思っていた。
けれど、現実はそうはいかなかった。
徒競走に参加した息子は両耳を抑えてうずくまったまま全く走ろうとしなかった。先生が懸命に息子に走るように促すも、動く気配はまるでなかった。程なくして、もう一人の先生が息子に駆け寄り、二人の先生に引っ張られながら息子はゴールテープを切った。
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当然、運動会は他の子供たちも参加しており、息子だけのために時間を遅らせるわけにはいかない。だから先生たちが取った行動に疑問はないし仕方ないと思っている。だけど運動会が終わった後、先生が笑顔で言った言葉に違和感を覚えた。
「○○君、頑張ってゴールしましたね!」
息子は頑張ってなんかいなかった。ただただ嫌がっていただけだ。先生を責めるつもりはなかったけど、なんとなく先生との気持ちに距離を感じた僕は、この時に改めて支援学校への転入を受け入れたのだった。
小学校から支援学校への転入の打診があった頃、奥さんは美容専門学校への入学を考えていた。ずっと夢だった美容師の資格を取るために40歳を過ぎてからの大きなチャレンジだった。そんな時に息子の支援学校の転入が決まった。奥さんは悩んだ。息子の環境が大きく変わろうとする中で、自分は学生なんてやっていていいのだろうかと。
夢を諦めようとした奥さんに僕は待ったをかけた。この機を逃したら奥さんの夢は叶わないような気がした。それに息子を理由に奥さんに夢を諦めて欲しくなかった。
結局、奥さんは息子の転入と同時に美容専門学校に通うことを決めた。大きく環境が変わる中で僕も奥さんもそして息子も大変な時期はあったけど、今は二人とも元気に学校に通っている。
支援学校には息子と同じように障害を持つ子供たちばかりで、一般の小学校では問題視されていた息子の行動は、ここではまるで日常での出来事のように捉えられていた。
友達を押してしまったり、大きな声を出したり、怒って机を叩いたりしたとしても、先生も他の保護者の方々は笑顔で対応してくれた。
もちろんそれに甘えることなく、悪い事は悪いと注意をしなければいけない。でもこの周囲の温かさが本当にありがたかった。
周りにも支えられ息子は大きな問題もなく平穏に学校生活を送っていた。そして支援学校にも慣れた11月の半ばに運動会が行われたのだった。
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運動会は幼稚部・小学部・中学部合同で行われた。奥さんは学校があるため今年の運動会は僕一人で参加をした。開始時間より少し早く学校へ行くとそこにはもうたくさんの保護者の方々が来ていた。
ぞろぞろと運動場へ向かった。開始時間と同時に子供たちが運動場へ入場する。準備運動や校長先生の挨拶が行われた後、複数の児童代表による選手宣誓が行われた。途中で詰まったり、横から先生が口添えしたりして、たどたどしい選手宣誓が終わった瞬間、会場から大きな拍手が巻き起こった。僕の涙腺はこの時点でだいぶやばかった。
幼稚部の集団演技が終わり、小学部の徒競走が始まった。
思いっきりコースを逸れる子。ゆっくりと自分のペースで歩く子。その場からなかなか動こうとしない子。本当にいろんな子たちがいた。その中で先生たちはみんな笑顔で対応していた。周りの保護者たちもみんな笑っていた。誰一人子供たちの行動を咎める人はいなかった。
それは本当に優しい優しい世界だった。
目の前の温かい光景に目頭が熱くなるのを感じながら、息子の番を待った。左から2番目のレーンに立つ息子が視界に入った。息子の隣りにはピッタリと先生が寄り添っていた。先生が付いていない生徒もいる中で、その姿に不安を覚える。
また息子は走らないんじゃないか。先生は息子を無理やり走らせるためにいるんじゃないか。嫌々ゴールさせるんじゃないか。
支援学校でそんなことは決して起こらないと分かっていたけど、昨年の苦い記憶が頭から離れなかった。
息子の順番がくる。先生は隣りに付いたままだった。
「位置についてよーいドン!」
スタートの号令がかかる。横のレーンの子供たちが一斉に走り出す。息子はまだ走り出そうとせず立ったままだった。自分の手にギュッと力が入るのが分かった。周囲から「頑張れー!」と声がかる。隣にいる先生は何も言わずにずっと見守っている。去年のようになってしまう、そんな不安が脳裏に過ぎった時だった。息子がゆっくりと歩き始めたのだった。先生も息子のペースに合わせて隣りで歩く。少しずつ息子のスピードが上がり出して、中盤を過ぎる頃には腕を振って走り出した。
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先生は息子に手を触れていないどころか、走るように促してもいない。ただ横で見守ってくれていただけだ。息子は確実に自分の意思で走ったのだった。そのスピードは走るよりも歩く方が近いかもしれない。それでも息子が一生懸命に走る姿は僕の涙腺を崩壊させるのに十分過ぎた。
無事にゴールした息子に温かい拍手と声援が贈られた。頑張った息子をとても誇らしく感じた。本当に偉いぞ。
徒競走の他に息子は大玉転がしと炎のダンスに参加をした。全学年が参加する炎のダンスでは、最後に「イチ、ニ、サン、ダー!」の掛け声と同時に腕を空に突き出していた。
息子も勢いよく右腕を空に向けていた。
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その姿がなんだか頼もしくて、僕が気付いていないだけで息子は成長しているんだなと感じた。この写真を奥さんに送ると「カッコいい!!」とすぐに返信がきた。いや授業中だろ。
昨年の今頃、息子の将来が不透明で不安な気持ちを抱いて過ごしていた。少なくともこんなに明るい未来を迎えるとは想像ができなかった。
この先、息子がどう成長していくか、どんな未来を迎えるかは分からない。だけど息子は僕が思っているよりもずっと逞しくて、ずっと強いんだと思う。そんな息子の未来は明るいに決まっている。そして僕ら家族の未来もきっと明るいに決まっている。
息子の運動会での雄姿を見て、僕はそんな風に希望を抱いたのだった。
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