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【創作】友達。

青写真では、笑顔で過ごせているはずだった。
これまでいた施設とは違い不穏な行動や怒鳴ったりすることなく笑って過ごしてもらえると思っていた。
僕なら、僕らならそれが出来るという自信があった。

だけど、それはどうやら思い上がりのようだった。


重度認知症の中田さんはこれまでいくつもの施設を転々としてきた。
どこの施設でも強烈な帰宅願望とワガママな性格からスタッフや他の入居者たちと揉め事が絶えず、結局退去を強いられてご自宅に戻る、そんなことを繰り返していた。

「こちらの施設で5軒目です」

初めてうちの施設を訪れた時、娘さんは疲れた表情でそう話した。
それをまるで他人事のように聞いていた中田さんは「ここは素敵なところね」とキラキラした目で施設内を眺めていた。

普段の中田さんはお話好きで誰にでも明るく接することが出来る素敵な方だった。「ここなら楽しく過ごせそうだわ」と笑顔で話す中田さんを見ているとうちの施設なら落ち着いて過ごせるのではないかと思った。
きっと今までの施設は中田さんと合わなかったんだ、僕らなら大丈夫だ、そう思った。
しかし、僕の青写真は脆くも崩れ去った。


中田さんは入居してすぐに「家に帰りたい」と言い出した。
それが叶わないと激しく怒り始めた。
「家に帰らせろ」「なぜ自分はこんなとこにいるのか」「ここは牢獄なのか」「娘は私を捨てたのか」そう何度も何度も繰り返し叫んだ。
一人では家に帰れない事、中田さん本人がここを選んだ事、娘さんはちゃんと会いに来てくれる事などを本人に伝えるが重度認知症の中田さんの記憶からはすぐに消えてしまい、またすぐに帰宅願望を訴えられた。

僕らはそんな中田さんを幾度も説得した。きっと中田さんはここにきたばかりでまだ不安なんだ、時間が経てばここに慣れて穏やかになるはずだ、そう信じて中田さんと連日向き合ったが、中田さんが落ち着くことはなかった。

中田さんが入居して1ヶ月ほど経った頃だった。
僕らと中田さんの終わらないやり取りを見かねた入居者の森さんが仲裁に入った。

「中田さん、あなたは忘れているのかもしれないが娘さんは毎週会いにきてくれているよ。そして娘さんと一緒に自宅に帰っているよ。だからもうしばらく待ったらどうだい?」

そう言って優しく語りかける森さんを中田さんはキッと睨みつけると「あんたに何が分かるのよ!」とあろうことか突き飛ばしたのだった。
幸い森さんは尻餅をついた程度で大きな怪我はなかったが、当然この事は問題になった。

他の入居者からは「怖い」という苦情が寄せられ、スタッフからは「もう限界じゃないか」という意見が相次いだ。
僕はもう無理だという気持ちと諦めたくない気持ちの半々だった。
ただ、この先中田さんが笑顔で過ごす青写真を僕にはもう描くことができなかった。


僕から相談を受けた娘さんは「分かりました。それでは来週の土曜日に退去します」と迷うそぶりもなく言った。
本来ならこちらからすべきである退去の話を娘さんにさせてしまい申し訳なく思った。

退居する前日に娘さんから自宅に戻ることが中田さんに告げられた。
中田さんは娘さんの話を黙って聞いていた。話が終わると「分かりました」とだけ言った。
念願の自宅に帰れるのに嬉しそうな様子はなかった。なんとなくだが僕には悲しそうに見えた。

娘さんが帰宅した後、中田さんは自分の居室から出てくることはなかった。普段なら「家に帰ります」「ここから出して」と何度も訴えてくるのだが、ずっと部屋に閉じこもっていた。
気になって中田さんの部屋を覗いてみると、そこにはベッドに座ってすすり泣く中田さんの姿があった。

「どうしたんですか、中田さん?どこか具合が悪いんですか?」

僕はすぐに中田さん駆け寄った。転倒や身体の不調などを心配して確認したが、どうやらそうではないようだった。
中田さんは涙を拭うとポツリと呟いた。

「私には”友達”がいない。寂しい」

まさか中田さんの口から”友達”なんて言葉が出てくるとは思わなかった。僕は驚きのあまり言葉を失った。
寂しそうに俯く中田さんに何て声を掛ければ良いのか分からなかった。

「私はどこへ行っても除け者ね」

中田さんが施設を転々としていることを覚えているとは思えなかったが、記憶の奥底に孤独感が残っているのかもしれない。中田さんが執拗に自宅に帰りたがるのは本能的に寂しさを感じていたせいだと思った。
僕らは中田さんに寄り添っているつもりだったけど、認知症の人だと決めつけて対応しており、中田さんはそれを見透かしていたのかな、そんな風に思って胸が苦しくなった。

僕は中田さんの手を握った。気落ちしているからか中田さんの手は冷たかった。急に手を握られ不思議そうに見つめる中田さんに僕は言った。

「中田さん、よかったら僕と友達になってください」

一瞬キョトンとした中田さんだったがすぐに笑顔になった。

「何を言ってるの。あなたは施設の方でしょう」
「別にいいじゃないですか。友達になりましょうよ」
「こんな若い人と友達だなんておかしいわよ」

中田さんはそう言いながらも嬉しそうに笑っていた。
もしかしたらこのやり取りもすぐに忘れてしまうのかもしれない。
それでも僕は構わなかった。一時いっときでも中田さんが笑顔になれたのならそれで良いと思った。


次の日。
予定通りに中田さんは退去となった。
娘さんと一緒に施設を出る中田さんに声をかけた。

「中田さん、お元気で。僕はずっと友達ですから」

そう言って僕は中田さんに右手を差し出した。中田さんは怪訝そうな顔で僕の手を握ると「どうも」と呟いた。中田さんの手は昨日より温かい気がした。
右手に温もりを感じながら僕は去っていく中田さんの背中を見つめていた。


おしまい


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こちらの企画に参加しています。


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