【創作】東京の病室で
「懐かしい顔だな」
病室に入った僕を一瞥すると先生は淡々とそう言った。鼻につけたカニューレを煩わしそうにずらして、ベッド柵にかけてあるリモコンを操作して上半身を起こしていった。スローモーションのようにゆっくりと動く先生になんとなく状態の重さを感じて心がざわつくのが分かった。
「まさか君と東京で再会するとは夢にも思わなかったな」
先生が力なくポツリと呟いた。
先生から指導を受けていたのは僕が中学生の頃だった。僕らの故郷は東京から遠く離れた場所にある田舎町だ。あの頃の僕は大人と子供の狭間にいて自分を見失い常に何かに苛立っていた。そんな僕を導いてくれたのは先生だった。
「悩むだけ悩みなさい。だけど覚えておけ。君の可能性は無限に広がっているんだ。この小さな町から羽ばたくといい。きっと素晴らしい世界と出会えるはずだ」
先生のこの言葉が僕を支えてくれた。僕は先生が言われるように故郷を離れた。高校卒業と同時に東京へと向かった僕は自分の無限の可能性を信じて毎日を懸命に過ごした。だがどんなに頑張っても可能性が広がるどころかどんどんと道は閉ざされていくように感じた。同じことを繰り返すだけの毎日だった。恋人とも別れ友人たちも次第に離れていった。東京での生活……いや自分の人生に限界を感じ始めていた、そんな時だった。
人づてに先生が東京の大学病院に入院をしていることを知った。そしてどうやら先は長くないようだった。どうしても先生に会いたかった僕は入院先の病院に一人で訪ねたのだった。
「お互い歳は取ったが君は変わらないな」
ベッドに横たわったまま先生は静かに言った。”変わらない”か。先生の目には可能性を信じて真っすぐ生きていたあの頃の僕が映っているのだろうか。今の僕には可能性などカケラも残されていないというのに。
目の前の先生には昔の面影はなかった。力強く僕を導いてくれていた先生はもうどこにもいなかった。もしかすると僕はそんな弱々しい先生の姿を見て安心したかったのかもしれない。結局、僕に可能性なんてなかったのだ。僕にもそして先生にも東京に素晴らしい世界など存在しなかったのだ。
絶望の淵に沈む僕をよそにおもむろに先生が口を開いた。
「あの頃のように相変わらず悩んでいるようだな、君は」
まるで心の中を見透かされたようで、僕は先生の言葉に思わず息を飲んだ。驚く僕に構わず、先生はベッドに預けていた身体を起こした。先ほどまで辛そうにしていた同じ人とは思えないほど、背筋をピンと伸ばしたまま僕を真っすぐに見つめた。
「悩むだけ悩め!君の可能性は無限に広がっている!」
先生の叫び声が病室にこだまする。あの頃と変わらない力強い声が胸に響いて、涙が止めどなく溢れてくる。先生は優しい眼差しで僕を見つめた後、再びベッドにもたれると静かに目を瞑った。病室の窓からは煌びやかに光る東京の街が見えていた。
おしまい(1,183文字)
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