バイタミックス 外れない
その日、私は朝から張り切っていた。
月に一度、猛烈に台所に篭りたい衝動に駆られるのだ。
冷蔵庫に眠るありとあらゆる野菜を切っては使いやすいように冷凍保存し、鍋では自家製のトマトソースを煮込み、果てはケーキやパンまで焼いてコンロもオーブンも湯沸かし器も換気扇もあらゆる電化製品をじゃんじゃん回す。
家電ひとつひとつが楽器だとするとさながら台所は年末の第九である。
私は指揮者よろしくあっちのスイッチを入れ、こっちの温度を下げ、水を跳ね上げシンクを賑わせる。ベートーベンも真っ青だ。
件の日も、夕方まで近所でいただいた梅をジャムに加工し、にんにくをすりおろしてガーリックオイルを作り、パンを粉からこねていた。
ただでさえ小さいシンクでは、溜まった洗い物がぎゅうぎゅうとおしくらまんじゅうをしている。中でもおしくらの幅を利かせていたのは舶来からの剛力まんじゅう、バイタミックスだ。
バイタミックスまんじゅう、略してバイタマンがシンクから退けない理由があった。
それは、「容器が外れない」から。
バイタマンは蓋(頭)と容器(胴体)とカッターパーツ(足)の3つで構成されている。いつもは胴体と足を両手で持ち互いを逆方向に回すと難なく離れる両者が、今日はどう頑張っても外れてくれない。
多分、私がきちんと閉まっていなかった容器に具材を入れブレンダーにかけた後に、締めなおしてもう一度ブレンダーしてしまったんだわ。そしたらスクリューの隙間に砕かれた具材が入り込んでパッキンの役割を果たしてしまい、みちみちに密閉度が上がってしまったのである。
もうこうなったら握力20の私では全く歯が立たない。
シリコンを噛ませてグリップ力をあげてみたり、容器に洗剤を流し込み抜けない指輪と戦う人と同じようなことをして、全て失敗した。
もう精も根も尽き果てて、このバイタマンを夫に託すことにした。
少なくとも力の面では私の2倍ぐらいはあるだろう・・・。
「ごめん〜ちょっとこれ、外してくんない?」
夫はみちみちのバイタマンを一瞥し、両手で持つと顔に血管を浮き立たせ全身全霊で左右にひねった。
「フンっっっっっ!!」
・・・・
無風だった。
ブレンダーのパワーという本来のパフォーマンスとはお門違いのバイタマンの屈強さに驚いた夫は、先ほど一瞥したその体を今度はまじまじと見た。
「あ、これ・・・」
夫が指差す先には、バイタマンの足のスリットがあった。
「これ、この部分に棒かなんかを挟むんだよ」
えええええ!!!
そうなのか!?この部分に棒を挟んでて回せば、てこの原理で通常の何倍にもなるというアレか!?
コペルニクス的転回とはまさにこのことだった。
私はその辺に転がっている棒を夫に渡し、固唾を飲んで見守った。
棒をスリットに差し込み、ゆっくりと回す夫。
きゅるん。
小さくゴムの擦れる音とともにバイタマンの下半身が回転していく。
私が一日かけて格闘した相手に、夫はものの5分で決着をつけた。
私は目を丸くして夫に尋ねた。
「ねぇ、なんで!?なんでわかったの!?」
「・・・ゼルダだよ。
ゼルダをやってるとこういうの分かるようになるの」
いわく、ゼルダなどの様々な人気ゲームには謎解きが絶妙な難易度で設定されており、ゲームで楽しんでいるつもりだけど自然と論理的思考が身に付くとのこと。
驚いた私は最近どハマりしているNHKの教育番組「テキシコー」を見せた。
番組はこの力をプログラミング的思考(テキシコー)と呼び「分解・組み合わせ・抽象化・一般化・シミュレーション」といった要素に分け、身近な事例や素材を用いてわかりやすく解説してくれる。
例えば、「なぜ街灯のセンサーはライトと反対側についているのか」とか
「ドミノ倒しのコマを一つずつドミノの分ピッタリ空けて並べて倒すとどうなるか」とか
あたまの中で一手先よりもう二手・三手先まで想像する力が必要となる。
ちなみに、夫にこのテキシコーの動画を見せて、「これ、どうなると思う?」とか「なんでこうなると思う?」と聞くと、ほとんど全て答えられた。
恐るべしゲーム。恐るべしゼルダ。
私は子どもの頃からRPGとか全く興味がなく、その魅力もさることながら、それを好きな人がどういう思考回路で何を得ているかなんて考えたこともなかった。
ゲームであれ、スポーツであれ、何かに熱中した先には何かを得られることは自分にも熱中した経験があればわかるはずなのに。
知らず知らず自分の視野が狭くなっていることに気づかせてもらえるなんて、ゲーム好きなテキシコー夫に感謝であります。
ちなみに、タイトルは困り果ててググった時に全然参考になるティップスがヒットしなかったので、今後誰かが同じ現象で困った時にたどり着けるよう考えた、私なりのテキシコー。