馬に惹かれて善光寺
2019年の10月に長野県信濃美術館の東山魁夷館がリニューアルオープンした。
12/3まではリニューアル記念展をやっているけど、このスキを逃すとスケジュール的に行けないので仕事を無理やり調整しつつ長野に向かった。
紅葉に触れながら腹ごしらえ
長野駅に着くと東山魁夷先生の世界を思い浮かべるような、美しい紅葉が一面に広がっていた。
それだけで、この季節に来てよかったと思う。
着いたのは昼ごろなので先ずは腹ごしらえ。善光寺手前の蕎麦屋で十割と二八蕎麦を頂く。蕎麦の味が豊かでとてもいい昼食だった。
東山魁夷館は善光寺の隣りにある。善光寺は全国的にも有名なお寺で、江戸時代には「一生に一度は善光寺詣り」とも言われていた人気寺だ。
有名な「牛に引かれて善光寺まいり(参り・詣り)」なんて言葉もある。寺好きとしては行かねばならぬ。
僕の場合は、白馬の絵画を見に来たら善光寺にたどり着いた格好だ。
善光寺は単立仏教寺院だ。
平たく言うと、日本の大乗仏教文化が大きく花開く前(650年頃。もちろん諸説あり)に、「津」に漂着したご本尊を見つけた本田善光さんが、長野に持ってきて本尊として置いて寺を建てたのが始まりなので、浄土宗とか天台宗とか真言宗とか日蓮宗とか禅宗とか、そういうのが日本で流行る前だったから、固有の宗派に属していないわけだ。
逆に言うと、全部受け入れる寺でもある。上記に上げたような宗派はもちろん、キリストやイスラムといった一神教も受け入れるし、上座部仏教も大丈夫だ。
境内に入ると浄土真宗の親鸞を祀ってあり、その横には天台宗の門があり、その中には不動明王をお焚き上げしながら七五三の子供の安全を祈っている。
逆を見ると七福神や地蔵菩薩が色々いたり、オリジナルの神様とか握り地蔵とか見慣れない地蔵もいる。タイの仏像も有るし、ダライラマからの贈り物もある。
そして、浅草寺のように賑やかな仲見世通りがある。おそらくここは、信仰のテーマパークなのだ。
僕は仏教や神話は大好きだけど、本質的には無宗教だ。けど、仏教のややこしい所は好きなので密教の後七日御修法(ごしちにちみしほ)で、金剛界・胎蔵界曼荼羅と向かい合っている修行の道具や風景を見るのはワクワクするし(自分ではやりません)、ややこしい事を、ややこしいまま理解したいので、お寺に行っていきなり南無阿弥陀仏とは唱えない。その寺の本尊と方式を知って先人の考えていることを知りたかったりもする。
そして今回、ややこしく向き合うと善光寺は全く解けない。マジで混濁しすぎて意味不明。
けど、単純に向き合うと親しみやすく素敵な霊場だとも感じた。
おそらくここはディズニーランドと同じ。禅宗の達磨はベイマックスに見えてきたし、おそらくシヴァ神はアナと雪の女王だ。
阿弥陀仏はアラジンと魔法のランプだろう。そんなふうに見ると自分の好きな物語が色々集まって活気よく商売したり話ししている人たちのお気持ちはとてもいい物だなとも感じた。六地蔵は七人のこびとだなぁと思えてくる。
そして、そこでフロートを中心にするようにお坊さんがお経を上げたり太鼓を叩く。ディズニーにも善光寺にも信仰と熱狂が集まっているし、テーマパークはいつでも人を救っている。
さて、善光寺の感覚が理解できてきた所で、目的地の東山魁夷館に向かう。
善光寺から美術館にいく途中の紅葉がまた素晴らしい。
現地に到着すると、水面の反射があり近代的な素敵な建物に出会えた。
ここが目的地だ。
東山魁夷先生の作品を初めてみたのがちょうど1年くらい前。僕はその時、アートをよく知らなくて、国立新美術館に行くのも初めてだったのを覚えている。
だけど、その時に先生の作品に感動して「この人は絵の中に湿気を閉じ込める」と、感じた事をよく覚えている。
そして今回も展示室に入った瞬間に息を飲んだ。
とても素敵な絵が視界に入ってきて、僕は耐えられなくなって一度展示室から戻った。
深呼吸してから再入場すると、作品の圧倒感は記憶のまま、今までは知らなかった緻密な計画に基づいた作品の創作方法が丁寧に語られる。
館内は写真が撮れなかったけど、是非行って欲しい。
帰りはいつも出張で来ると行きたいと思っていた「うるおい館」の大浴場で温まってから新幹線に乗った。
急な旅は、いつもいきあたりばったりだけど、今回の旅は、いろいろな感覚で物を見れて、とても楽しかった。
余談:僕のnoteのカバー写真は「道」のオマージュ
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