自分に水をあげる時間をとってみた
リモートワークが終わり、幼稚園のお迎えまでちょうど1時間。
少しだけの自分一人の時間。
本来なら「掃除機かけて、洗濯物とりこんで、夕食の準備して…」と山積みの家事を終えたいところだけど。
今日はゆっくりしてみようと思う。
自分を大事にする、自分を看てあげる
仕事や家事や育児があると、
なかなかそんな時間は貴重になる。
ともすれば、時間をとることをないがしろにしてしまう。
ないがしろにされた自分は、
水を与えてもらえない花みたいなものかもしれない。
我が家のハゴロモジャスミンは、水を与えられ、日の光を浴び、葉を拡げ、花を溢れんばかりに咲かせた。
自分に、それだけのことをしてあげているだろうか。
自分に意識を戻す。
縮こまっているのがわかる。
人の顔色を見て、態度を感じて、
その人が心地よくなるようにとか、機嫌を損ねないようにとか、波風経てないようにとか。
そういうもので自分を抑えて閉じ込めている。
窮屈。
一人の時間になって、ぼんやり過ごすことで、
自分が窮屈だと知った。
そして、その窮屈さは恐れからきている。
人に落胆されるのが怖い
自分というものを自分で認めていないから、
相手の評価だけにすがっている。
だから、「相手から「ダメ」と烙印を押されたら…私はもうダメなんだ…」「私がこう言ったら、こうしたら、相手から「ダメなやつ」と思われるかもしれない」
と思っている。
なんで相手が自分の事決めるんだろう。
なんで相手から「ダメ」と言われる前提なんだろう。
これが、私が今抱えている疑問。
疑問が生まれたこと、成長の一つだと思う。
10分でもいい、水やり時間をとって、
少しずつ自分を育てていきたい。
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