見出し画像

s023/過去の痛みとのおつきあい

芝本です。
とっても胸がざわつく出来事が起きて。
そのざわつきの答えを探していて、二つ、わかったことがあるのでそのことをシェアします。

その出来事、というのはこんなこと。

わたしが5年程前、仕事上でとても失礼なことをして、傷つけてしまった利用者さんの親御さんに、とある場所で偶然に会い、挨拶をした。
わたしが以前の職場を辞めて、一人で相談員をやっていることを伝えたら、その方は「どこからか聞いてました」と言った。わたしは、その方が連れていらしたお子さんに挨拶して、それでは、と離れた。
そのときほんのりと、放っておいて欲しい雰囲気を感じてしまった。

それだけのこと。

その方には、申し訳ないことをしてしまったその後で謝罪に行って、最後には「その気持ちが本当ならば、これから頑張って」と送り出していただいた。
でも、その許そうとしてくださった気持ちに答えきることができないで、退職してしまった。
退職したことへの後悔はないけど、期待されたように変えられなかった後ろめたさはずーっと付きまとっている。
それはいわば、わたしの十字架。

久々の再会で、わたしの心の中でいろんな出来事が起きていた。

声をかける前は、
 気づいて欲しくないかもしれない。
 でも、知っていて声をかけないのは失礼だ。

わたしの動向を知っている、と言われてからは、
 どういう思いで私の退職を聞いたのだろう。
 あの謝罪は何だったの?と思ったのかもしれない。

別れた後も、同じフロアで気まずさを抱えながら過ごした。
 すごく緊張したような、凍り付いた表情をしていたな。
 あぁ、こんな思いをするなら声をかけなければよかった。
 でも、相手だって気づかないわけがない。
 会わなければよかった。
 突きつけれたくなかった。

この気まずさも、わたしの心の中に起きたモヤモヤも、思い込みや今までの経験で身に付けてしまったバイアスがそうさせていることなんだろう。

同じことを誰かに相談されたら、
「気づかないふりしないで声をかけて、挨拶をしたあなたはベストを尽くしたんだよ。その時の過ちは謝罪をして受け入れられたのだから、それ以上自分を追い込むことはないよ。大丈夫。」
くらいのことを言うだろう。

そんなことは、わかっている。

日々忙しいし、いろんなことがあるから、このことだけに囚われているわけではないけれど、ふとした時に思い出して、心が重くなる。
それも、贖罪の一環なのかもしれない。なんて思いながら。


そんなモヤモヤを抱えてわかったこと。

ここから先は

2,318字
この記事のみ ¥ 300

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?