M29と呼ばれた男 第10話

目の前で縛られているのは、不幸な男だった。
今から今世紀で最悪な目に遭う予定の男で、地獄では特等席が予約済みのはずだ。

416が蹴り開けた扉の先は、小ぢんまりとしたオフィスだった。倉庫の元の持ち主である業者のものだったのだろう。
赤いサビが浮かんだオフィスデスクが置かれ、壁際にはファイルを置くための金属製の本棚が設置されており、奥に張られたガラス窓からは月明かりが差し込んでいる。
男は部屋の隅っこにうずくまっているのを発見された。
もちろん生身の人間だったから、ワイヤーを使ってオフィスチェアに縛り付けるのに苦労はしなかった。
灰色の作業服を着た若い男で、教養豊かなユーモアのある罵倒を吐いて俺たちを楽しませてくれた。対価は苦痛という形ですぐに支払われるはずだろう。
UMP45は、UMP9と416とG11に部屋の捜索の指示を出すと、俺に尋問の同行を命じてきた。
「なんで俺だけ?」
「私の尋問方法って自己流だから、元正規軍人からの意見が欲しいの。それに、尋問の助手って新入りにぴったりの仕事だと思わない?」
正直なところ、俺の尋問の知識と経験は座学止まりなのだが、部屋の捜索に回されるのも面倒なのであえて黙っておくことにした。

UMP45と俺が向き直ると、哀れな捕虜はわめきだした。
「人形どもめ!お前たちが人間を殺せるわけない!プログラムが組まれているんだ!」
「へえ」
UMP45が言った。ニュースの豆知識コーナーに相槌を打つような、気だるそうな口調だ。
「だったら試してみようかな?」
UMP45は、サプレッサー付きのサブマシンガンで男の足元を何発か撃った。
男は短い悲鳴を上げた。大方、テレビや新聞で聞きかじった知識だったんだろう。
『戦術人形は人間に抵抗しないプログラムが組み込まれており、極めて安全です』そんなテレビ番組のテロップや新聞の見出しが頭に思い浮かぶ。
最初の威勢はどこに行ったのか、男は完全に取り乱していた。
「待て!規定違反だぞ!戦術人形が人間に銃を向けていいはずが……」
「私たちは目撃者を始末するように命令されているわ。それに私たちは"非公式"の部隊なの。だから公式記録には存在していないし、この部屋にあなたの脳みそをぶちまけてもスクラップ場に送られたりしないわけ。わかる?」
抑揚のない声でUMP45が言うと、男の顔がみるみるうちに青くなっていく。
「でも……それでも殺せるはずが……」
「言っておくが、俺は人形じゃないぜ」
俺がヘルメットを脱いで顔を見せてやると、男の顔は青さを超えて紫色になった。まるでナスだ。
手足がアル中のように震えだし、目の焦点が合わなくなっている。おそらく普段は現場に出ない人間なのだろう。
研究者……あるいは技術者か?
UMP45が『手を出すな』と視線を向けてきたが、ヘルメットを被りなおしてごまかす。
UMP45は場の支配権を取り戻すように、サブマシンガンの銃口で男を小突いた。
「あなたの所属は?」
すると男はうわずった声で、脳から情報を絞り出すように言った。
「ろ、ロボット人権団体の一員だ」
意外な組織が関わっていた。
ロボット人権団体。その名の通り、戦術人形の人権の保護活動を行っている団体だ。
非人道的な戦術人形の扱いを正し、戦術人形に幸せな余生を!というスローガンを掲げているが、その幸せな余生のほとんどが民間軍事会社――悪名高きPMCだ――での戦闘業務に費やされているのが現実だ。
戦術人形の本来の用途を人権保護活動の結果が示しているのは、あまりに皮肉な話である。
「ロボット人権団体がここで何してるの?」
「それは……」
男が口ごもると、UMP45は男の額に銃口を押し付けた。そのまま引き金を引けば脳みそが後ろの壁にぶちまけられる角度だ。
「別に言わなくてもいいわ。私の仲間がすぐに書類かフロッピーディスクを探し出すだろうから。そしたらあなたは不要でしょ?」
「ひぃ……」
情けない声と共に、男が失禁したのが分かった。ズボンから染み出た液体がみるみるうちに床に広がっていき、小さな水たまりになった。
ロボット保護団体はこの失態を教訓に、職員全員に拷問に耐えるための訓練を実施してほしいものだ。
UMP45は水たまりから靴を離しつつ、銃口を男の額から離した。
「でも、素直に言ってくれたらあなたの身柄は上に引き渡してあげる。少し質問されるけど、ここで死体になるよりはマシじゃない?」
「少しの質問で済めばいいがな。お前らの上司が俺を殺さない保証がどこにある?大体、貴様らの所属もはっきりしない――」
「45!これ見て!」
UMP9の声が男の反論を遮った。UMP9は部屋の奥にある本棚をサブマシンガンに装着したライトで照らしている。
UMP9が見つけた物によるが、この男が生きて帰れない可能性が高くなったと感じた。
「私が見張ってるから、見てきて」
UMP45がサブマシンガンを構えたまま言った。

命令通りに見に行ってみると、UMP9がライトで照らす先にあったのは本棚の奥の壁に埋まっている金庫だった。
古き良きダイヤルロック式のもので、高周波ナイフでこじ開けようとしても、火花が散るだけで開きそうにない。
その時、俺が金庫と格闘しているのを他の二人と観戦している416が、アタッチメント式のグレネードランチャーを持っていたのを思い出した。対戦術人形用の強力な奴だ。
「416、お前グレネードランチャー持ってるだろ?使えないか?」
「あなたバカなの?中身まで吹っ飛ぶわよ。そんなバカみたいな事してないで、45があいつを殺す前に有効活用した方がいいんじゃない?」
そう言って416は親指をUMP45に向けた。たしかにその通りだ。
UMP45に状況を伝え、オフィスチェアを転がして男を金庫の前まで動かす。
「開けて」
UMP45が銃を突き付けると、男は苦悶の表情で動きを止めた。
どうやら、自分の命を天秤にかけられるくらいには重要なブツが金庫にあるようだ。
「黙ってないで、さっさと開けなさい」
416もアサルトライフルを男に突き付ける。
これで二つの銃口で狙われているわけだが、男は金庫を開けようとする素振りすら見せず、じっと床を見ている。
ガス欠を起こした乗用車のようにうんともすんとも言わない。この状況でどうすればこの金庫を開けずに済むか考えているようだ。
深夜、廃墟じみた倉庫、オフィスチェアに縛られた男が少女たちに銃を突き付けられている光景は、まるでその手の店の特殊なプレイに見える。
仕方ない、お勘定といこう。俺は高周波ナイフを抜いて逆手に持つと、男の太ももに振り下ろした。
高周波を使わずとも切れ味鋭い刃が、深々と突き刺さる。
男が悲鳴を上げる前に、手のひらで口をふさぐ。
「いいか、よく聞け」
目にいっぱいの涙を浮かべ、手のひら越しにうめき声を漏らす男に言い聞かせる。
「このナイフは今、お前の足に通っている動脈を貫通している。このまま抜けばお前は10分足らずで失血死だ。だが、このまま刺しっぱなしにしておけば俺たちの回収地点までは持つ」
男が気絶しないように、反対の手で頬にビンタを入れながら続ける。
「お前が金庫を開けてくれるなら、俺たちはお前が死なないように応急手当してヘリまで連れて行く。どうしても開けたくないと言うなら――」
痛みと出血で、虚ろになりつつある目を覗き込みながら告げる。
「ナイフを抜いてここに置き去りにする。どうする?開けるか?」
男はすぐに首を縦に振った。口から手を離すと男はぷはあと息を吐き出した。クソッ、クソッ、と何度も呟いている。
それでも、男の身体を縛り上げているワイヤーをほどいてやると、すぐに立ち上がって金庫のダイヤルを回し始めた。
どんな怠け者でもタイムリミットを設けてやれば、こうして真面目に働きだすものだ。
「それが正規軍流?」
UMP45が言った。
「私のやり方とそっくりね。私はあと10秒待つけど」
「俺がちょっと短気すぎたな。次があったら気を付けるよ」
「ええ。『私がいいと言うまで、銃もナイフも無し』。覚えてるでしょ」
「……悪かった」
「別にいいわよ、気にしてないから。ただ、二度とやらないで」
UMP45はそっけなく言うと、男に向き直ってサブマシンガンを突き付けた。
「ほら、早くして!こっちはあんたほど暇じゃないんだから!」
「わ、分かった……分かったから……」
UMP45と男のやり取りを見ていると、後ろから肩を叩かれた。振り向くとUMP9が「やっちゃったねー」と言うような笑みを俺に向けていた。
「あーあ、45姉。ああなると怖いよー」
「なんとなく分かるよ。根に持つだろうな、あれは」
「後でなにかお詫びした方がいいかもね。じゃないと、後ろから撃たれちゃうかもよ」
UMP9は冗談めかして笑う。
しかし、UMP45ならやりかねないだろうという気がした。
「詫び、か……」
ため息混じりに呟き、寮舎に戻ったら何か考えようと心の中で決めた。

【続く】

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