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M29と呼ばれた男 13話

町の名前は聞いていたはずなのだが、とうに忘れてしまっていた。
予想よりは大きい、しかし空気が冷たい町に、キャデラックで入っていく。
外国製の巨大なオープンカーで通りをゆっくり走るのは、凱旋パレードの車列に参加している気分になるが、俺たちを見る通行人の目は、葬式の参列者のような暗い影を帯びていた。
UMP45の指示で運転していると、四ツ辻に立つI.O.P社の兵士が目についた。
時折、車を止められてはIDの提示を要求され、その度に404部隊の面々とキャデラックを怪訝な目で見られる。彼らは自律人形ではなく人間だった。
久方ぶりの自由に心が弾んでいたはずが、冷水をかけられたように萎えしぼんでいくのを感じる。
ここはI.O.P社が実質的に占領した町だ。
第三次世界大戦停戦後、政府はELID感染者の排除と富裕層を優先としたインフラ整備に追われていた。
肉体労働やサービス業などの単純作業は自律人形によって賄われ、それらの仕事を担っていた貧民層はスラムに追いやられた。
強盗、略奪、配給物資の取り合いが各地で頻発した。かといって、ELID排除にリソースを回している正規軍が、こんな田舎町に兵力を回してくれるはずがない。このままでは町の運営もままならないとして、治安維持のためにI.O.P社に警備が委託されたのだ。かくして、治安と安全という宝の代償に、のどかな町の景観にライフルを持った兵士と装甲車が混ざる事になったわけだ。

「あ、そこだよ。そこのカフェ」
UMP45が指さす先に、小さいカフェが見えた。この寂れた町では違和感を感じるくらい、きれいな外観をしている。
キャデラックを路肩に寄せて停めると、HK416が先に降りた。手際よくトランクを開けて、それぞれの銃を渡していく。
自律人形と銃は一心同体といえ、彼女たちがストラップでサブマシンガンやアサルトライフルを下げていく様は、今からカフェを制圧するような格好で思わず苦笑してしまう。
首から下は自律人形の俺も、ジャケットの中のM29マグナムを確かめて、カフェに入る。
店内に客はおらず、フリルの付いた可愛らしい制服姿の自律人形がカウンターでひっそりと客を待っていた。
「いらっしゃいませ」と定型文で迎える店員に、「カフェモカとチョコケーキ」とHK416。「クリームソーダ」とG11。「私はココアとチーズケーキ!」とUMP9。「コーヒーとショートケーキ。お金はこの人が」と言って俺を指すUMP45。
抗議の目を向けると、まだ借りはあるでしょ、と言うような微笑みを向けられる。
あの倉庫でお前らを助けてやったのは誰なんだ、と思いながら財布を開く。どうせ大した金額でもない。
「ブラックコーヒー」そう言って、金をカウンターに置いた。
席に座って注文を待つ間、ぼんやりと外の景色を眺めていた。UMP9を中心に繰り広げられているガールズトークのテンションには付き合えないし、タバコを取り出そうとしたら『全席禁煙』の張り紙が目に入った。
本でも持ってくればよかったと思いながら、閑寂とした通りを眺めていると、騒々しいエンジン音をまき散らしながら軍用トラックが路肩に停まった。
エンジン音が止むと、カフェの扉が開いて、ジャケットをはおった自立人形が入ってきた。長い金髪を後ろで一つにまとめ、火のついたタバコを咥えている。
見覚えのある顔、トラック運転手のM923だ。
「もう、ここは禁煙だって言ってるじゃないですか!」
「いやー、もう常連だし大丈夫かなーって」
M923は頭を掻きながら、店員に向かって笑って見せた。
「ダメです!ほら、外で吸ってきて下さい!」
ちぇー、と不服な顔で言いながら、M923は外に出て行った。
もちろん、退出の機会を逃す手はない。、
「ちょっと知り合いを見かけた。挨拶してくる」
「あ!逃げるつもりだ!」
UMP9の茶化し声を無視して、カフェから出る。

M923はすぐそこにいた。トラックのボンネットに腰かけて、曇天の空を見上げながら黙々とタバコをふかしている。
前を開けたジャケットの下はタンクトップ一枚のようだが、自律人形とはいえ寒くはないのだろうか。
よう、と声をかけると、M923は目を丸くしてこちらを見た。
「こんなとこで会うとは思わなかった」
「俺もだ。すごい偶然だな」
タバコを出して火を点けようとするが、オイルが切れたのかカチッカチッとむなしい音が響くだけだ。
「まったく、ほら」
見かねたM923が自前のライターを近づけてくる。彼女の白い顔が淡いオレンジ色に照らされて、ライターに火が点いた。
吸い込んだ煙を噛みしめると、何物にも代えがたい満足感が胸を満たした。
「ありがとう。今日はもう終わりか?」
「うん、最後に本部に寄って終わり。あの装備はどうだった?」
正規軍仕様のアーマー一式と高周波ナイフの事だ。
「最高だった。特に高周波ナイフの切れ味は抜群だった」
「よかった。あのナイフ、私が買ってあげたんだよ」
驚いた。まさか個人的なプレゼントとは思わなかった。
「お前の金でか?悪いことをしたな」
「博士から、初戦闘って聞いたから。なにか気が利いたものがいいかなって。気に入ってくれて嬉しいよ」
博士というのは、俺の担当技師のあの博士のことだろう。俺の人体改造の責任者なのだろうか。
嬉しそうにはにかむM923を見て、感謝の念が湧いてくる。実際、高周波ナイフはとてもいい品だった。
「なにかお返しするよ。なにがいい?」
すると、M923は少し考えてから言った。
「じゃあさ、私とセックスしてくれない?」
買い物に付き合ってくれない?とか、ビール買ってきてくれない?というような気軽さだった。
「なんだって?」
「聞こえなかった?それともとぼけてる?」
「言ってる意味はわかるが、なぜ俺なんだ?そこの奴でもいいだろ」」
巡回中のI.O.Pの兵士を顎で指すと、M923は首を振って、トランクのボンネットに刻まれた傷を愛おしそうに撫でた。
「これに気づいてくれたの、あなただけだったから」
彼女が戦場で救った自律人形の数。それがこのトラックにスコアマークのように刻まれている。
例えいくらでも量産できる自律人形だったとしても、そのメモリの中の記憶はI.O.P社のメインサーバーにバックアップしなければ、破壊されたときに失われてしまう。
その定期的なバックアップから零れ落ちた記憶を救ってきたことが、彼女の誇りなのだろう。
「それに、嬉しかった。『殺すより救う方が難しい』って言ってくれて」
「だからって……」
「もしかして」
M923はタバコを地面に捨てて踏みつぶすと、ずいっと顔を近づけてきた。
「性行為の機能がないとか?」
「いや、それはある」
この義体は、自分でも驚くぐらい人間に近い造りになっている。
性的な機能もあり、それに関する欲求もオミットされていないことに初めは驚いたものだった。
「だったら」
M923はさらに顔を近づけてくる。上目遣いの瞳は、獲物の逃げ道を一つ一つ潰していく快感を味わう狩人の目。
薄いタンクトップの下の胸の膨らみを、否応なしに意識してしまう。
「私じゃだめかな。それとも、他に彼女がいるとか?」
そう言って、狩人の目が俺を離れ、仲間たちがティータイムを楽しんでいるカフェの方に向けられる。
「あいつらは仕事仲間だ。そういう目で見たことはない」
これは事実だ。404部隊の一員として働くうちに仲間意識が強まるこそすれ、異性として意識したことはない。
「じゃあ、私でいいよね。それに子孫を残す機能を持たないセックスって、マッサージとかスポーツみたいなものじゃない?」
生身で傭兵をしていた時、そのような価値観を持った仲間は少なくなかった。相手が自律人形だとしたらなおさらだ。
たいして楽しむこともなく、いつ死ぬか分からない世の中だから、なにをして楽しむのかは個人の自由だ。その点では、ケーキを食べるのも、仲間と騒ぐのも、セックスするのも変わらない。
だが、俺はその考えに同調できず、いまだに古臭い貞操観念を引きずっている。経験が無いわけでも、欲求が無いわけでもないのに、それをどこから引きずってきているのか分からず、ただ誰とでも性行為を行うという価値観に強い抵抗を持っている。

通りから近づいてくる巡回兵に気付いて、思考を現実に戻す。
自律人形に密着されている成人男性、違法取引の疑い。そんなところだろう。
M923の肩を掴んで引き離すと、IDカードを取り出し、問題ないですよと言うように振ってみせる。
巡回兵は疑うような視線をしばらくこちらに向けてから、元の巡回ルートに戻っていった。
「次に会ったらにしよう」
不満そうな表情のM923にそう言った。
「次に会う事が出来たら、それこそ、セックスでもタップダンスでも、何でもしてやるさ」
「うん、わかった。じゃあ次に会ってからのお楽しみだね」
自分でも見苦しい先延ばし方だったが、M923はとりあえず納得したようにうなずいてくれた。
「あ、そうだ」
トラックのドアに手をかけたM923が、思い出したように言う。
「博士が呼んでたよ。定期健診がしたいって」
「博士が?」
この前の任務の後に、精密検査は受けたはずだが。そう言うと、M923は首を振った。
「それとは別のやつらしいよ。送っていこうか?」
「ああ、頼む。あいつらに一言言ってから乗せてもらうよ」
運転手の俺がいなくなったら、誰がキャデラックを走らせるのだろう。
404部隊の面々がジャンケンで運転手を決めるのを楽しく想像しながら、カフェの扉を開けた。

【続く】

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