2023/3/30
私は中年太りで、どんどん若い頃の可愛さを失っていくのに、夫はいつまでもかっこよくて、おしゃれで、素敵だ。大好き。歳と重ねていっても、相応のおしゃれを楽しんでいて、こだわりがあって、個性的で、かっこいい。
私は夫の音楽が好きで、夫の練習風景が好きで、夫の朴とつで最小限でなぜか可愛さのある謎のコミュニケーション方法に惹かれて、結局、とっても好きになって、大好きになって、そんな私を受け入れてくれた夫がいて、結婚した。
愛情表現において、言葉数が多いわけではない夫に悩むこともあるけれど、夫が私を信頼して、私こそを人生の同志として、確信し、選び続けていることを、今日も感じる。
その肯定感と喜び。
私は幸せだと思う。
表面的な”結婚”をしたわけではない。
経済や社会的ステータスのための”結婚”でもない。
魂の呼び声に導かれて出会えた奇跡だと思う。
私の人生に起きた夫という奇跡に感謝しながら、夫の活躍を願ってる。
親バカという言葉があるが、夫バカであるのかもしれない。
私は、夫は本当に才能のある人だと思う。
夫を見ていて、とにかく貫くことが才能なのだと学ばされる。
夫は、技術を磨く努力を絶対に惜しまない。音楽への分析と追求を惜しまない。夫にとって、努力は探究心であり、追求する快楽でもある。
そして自分のスタイルを持つこと。自分が目指すスタイルを表現できる技術を論理的にも身体的にも、磨き続ける。夫にとって”課題”というものは、常に転がっていて、夫は、いつでもその”課題=興味”について行動している。
正直、天才だと思う。
そういうことを「ずっと続けていけること」それが天才だと思う。
私が写真家を目指した時代に「蜂の巣になれ」という言葉を世界的な空間デザイナーから伝授されたことがある。「どんなことがあっても自分の個性を、こだわりを貫け」という意味だ。
夫は「蜂の巣」になる様子がない。どんどん「自分とは?」「自分が追求する表現とは?」という問いに自分自身で答え続けていて、誰かに評価をくだされてどうこう言われること事態を気にするなんて、馬鹿げていて、そんな暇すらないって感じだ。
それだけ自分を明確に持っている夫。
それこそが才能であり、表現すべきものであり、微塵もブレずに、評価など一蹴して、自分の確信する音楽を貫く。
だれの批判も、本来、彼にとって、どうってことないのだ。
それは才能だと思う。
私は、夫の音楽を多くの人に知ってもらいたい。
夫の音楽への愛を、多くの人に知ってもらいたい。
ギターと歌だけで、ジャズやロックやブルースの名曲をアレンジしたり、作詞がメロディーが素晴らしい自作の曲や、翻訳が忠実でその良さをストレートに伝えようとする名曲たち。
手法がアナログすぎて、現代には合わないのかもしれない。
だけど、デジタルで表現できる迫力やノリとは違う、人間が奏で、人間にぶつける、人間本来の感性のための音楽。それが夫のアナログへのこだわりであり、夫がアナログで勝負する理由であろうと思う。
それを多くの人に聞いてもらいたい。
夫の音楽にライブで、生で触れてほしい。
その衝撃を、デジタルとは違う感性を、空気を、迫力を、味わってほしいと思う。
それを味わった人にはわかると思うが、リスナーの心の中に鼓舞される何かが立ち上がり、リズムとメロディーに身を委ねる至福を味わうこと。
トランスに近い興奮。
悲しみに触れる感動。
私は、夫のアナログの音楽が持つそういう力を、できるだけ多くの人に、届け続けたい。
コミュニケーションが下手くそで不器用な夫と、リスナーの間に入って、夫の音楽の温かさや芸術性を伝える仲介役になりたい。
それが私の人生の一部であったら、本当に、この上なく嬉しい。
という熱烈な夫へのラブレターでした。
もう一度、ステージに立って、魅了して、至福の時を振りまいてほしい。
https://youtube.com/playlist?list=PLJt5ep_qA9v3P1gJz6_H9PdAI6DHhk4U7
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