個人の権利の制限は本当に、今コロナの対策に有効なのか。
先日、世論調査の数字に、いや、これが一部の集計なのは承知なのだが、感染症対策のため人の移動や経済活動の制限など個人の自由を制限することが許されるかどうか、という問いに多くの人が許される、と86%以上の人が答えたことに衝撃を受けた。
さらに、強制力を伴う法改正が必要かどうか、という問いにも、42%が必要だと答えた。
コロナの押さえ込みに失敗し、感染拡大が再発し、緊急事態宣言が有名無実となり終息の見込みがなくなっていることで、感染を止めるために、強力な手段を求める必要がある、と感じる人が多いのは、速くコロナ感染が終息してほしい、というあまたの国民の思いを感じる。
即効性がある手段を。
だが、民主主義国家に生まれ、憲法が保証する自由と権利を不断の努力で保持しなければならない国民が、前代未聞の非常事態を理由に、其を放棄することが感染症の拡大を止められる、と、本気でお思いになられるのか。
日本は、およそ90年前、世界恐慌という国難に瀕し、恐慌を脱出しようと、満州に進出しようとし、国民が軍部の進出を許した。そして大戦を引き起こし、自ら自国を滅亡寸前に追い詰めた。
国民は軍部に騙されたのではない。
というより、社会に幻滅し軍部を自ら信じ選んだのだ。
明日の良い暮らしのためには、満州に進出するための戦争に勝つことが唯一の改善策だと、信じていたのである。
自らの生活を切り詰めて、死んでもいいから戦争に協力しようと。
だが、結局それは解決策とはならなかった。
過去の教訓に立ち直ってほしい。
良く考えて、他に解決策を出せないか考えてほしい。
個人の権利の制限が、「公共の福祉」に繋がるとは思えない。
そもそも「公共の福祉」は「個々双方の人権が侵害されないようにするためのもの」であり、話題の権利制限とは全く異なる。
民主主義国家で、個人の権利を主権者が一握りの主権者に譲渡する事はあってはならない。
確かに、法律の面からは前代未聞の緊急事態であり、権利の制限に整合性がないとは言えない。
だが、それをわざわざしなくても、他に解決策がある。
広い視野を持ち、例えば予算を切り詰めてお店に生存権に妥当な補償を出したり、コロナ病床などの医療体制の見直しなど、されていないものは山ほどある。
其をせず、権利の制限なのだから、効果は限定的になるし、何より民主主義国家として真逆な方策を取ることを絶対的な解決策だと捉えるのは大変危険である。
浅薄で未熟な小生が、このような横柄にも申し上げるのは大変気が引け恐れ多いが、この世のこの上ない危機を垣間見たので、切に訴えたばかりである。
参考文献
・日本放送協会."新型コロナ対策 個人の自由制限「許される」 86% NHK世論調査". [2021-01-15更新] https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210115/k10012816591000.html [2021-01-18閲覧]