戦前の草津張子『ぴんぴん鯛』
こんにちは。
『象々の郷土玩具』より、特選品のご紹介です。
さて本日の特選品は、2025年初売りの新入荷品の中から、戦前の草津張子『ぴんぴん鯛』です。
滋賀県の草津、守山地方では、古くから子供の誕生の際に、疱瘡除けのまじないとして赤い張子玩具を贈る風習がありました。
男児には猩々、起き上がり、ぴんぴん馬を贈り、女児には猩々、起き上がり、ぴんぴん鯛が贈られました。
ぴんぴん馬とぴんぴん鯛は、台車に銅線が張ってあり、台車をひくとぴんぴん、という弦を弾く音が鳴る仕掛けになっています。
ぴんぴん鯛は、波の文様を描いた台車の上に、張子製の真っ赤な鯛が乗っています。
頭上の直立した大型の鰭が象徴的で、本体は赤と白のコントラストで描かれ、胸鰭は糸で吊るしゆらゆら揺れる仕組みです。
草津張子の発祥は、文献もなく戦前に廃絶しているため、歴史を辿る術もないですが、京都や大阪で作られていたとされます。
大阪張子の中村新太郎が草津から注文を受け作っていたとも言われています。
大正後期〜昭和初期にぴんぴん馬、ぴんぴん鯛は姿を消し、猩々と起き上がりのみが荒物屋などで売られていたにすぎなくなりましたが、戦後に伏見張子の片山弘一さんによってぴんぴん馬などが復活、その後また廃絶となっています。
武井武雄著『日本郷土玩具 西の部』(昭和5年・地平社)の滋賀県の章にこのような記述があります。
「…それ等の張子が果していつの頃から草津に於て製作され、又いつ頃その製作を絶ったものか、その点に就いては遂に詳らかでない。
既に十年二十年の前に他よりの入貨を仰ぎ、現に数年前まで同町警察署前の山源といふ荒物屋に鬻がれたものは大阪市天王寺区下寺町の中村新太郎の作ったものに外ならない。
草津の名物を相当詳細に記録した古書に依っても張子の事は一切見当たらず、縣史町史等にもその調査なく、同町の古老にも全く記憶がないといふから草津張子は遂に不明でありその眞相を捕捉する事が出来ない…」
本書には、当時のぴんぴん鯛の写真も掲載されていますが、まさに本品と同様の作りに見えます。
ただ、掲載のぴんぴん鯛は『一尺』と書かれており、高さ約30cmほどと思われますが、本品は高さ約15cmの半分ほどの高さで小型の作品となります。
大きさが何通りあったか詳細は不明ですが、戦後作られた復元品は大型で作られており、私の勉強不足でお恥ずかしい限りですがこのサイズは初見でした…
本品の来歴については、詳しいお名前までは申し上げる事はできませんが、戦前に活動されていた画家で趣味人の蒐集家様の収蔵品でした。
おそらく大正〜昭和初期に制作されたものと思われ、作者は『日本郷土玩具 西の部』(昭和5年・地平社)にもある通り、草津から注文を受け制作していた大阪張子の中村新太郎と思われますが、必ずしも断定はできませんのでご了承ください。
今回ご紹介の戦前の草津張子『ぴんぴん鯛』、とても貴重な逸品となっております。
オンラインストア『象々の郷土玩具』にて販売開始いたしましたので、よろしければご覧ください。
それでは、また。