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カナダ逃亡記#8:新天地への通行証
<カナダ逃亡記#1>はここから
夏のおわり
8月も中頃をすぎると、トロントの空気は一気に秋の気配を帯びてくる。
「ちょっと早い気もするなあ、まだ8月だよ…」
近所に市営の屋外プールがあり、そこによく子供と通った。このころになると冷たい北風が吹き始め、季節が変わっていくことを濡れた髪ではっきりと感じることができた。
市街のいたるところに生えているメープルの大木が、それは見事に、夏の緑色から燃えるような秋の鮮やかな茜色にグラデーションをし始める。乾燥した空気が空の青さをいっそう際立たせ、そこに浮かんだメープルツリーはまるで大きなマンゴーのようだった。
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ここトロントは、木こそ徐々に葉の色を変えて行くが、気温や気候は一気に劇的に季節のはざまで変化していく。あー、暑いなぁ、と思っていたらもう晩秋だった、というような印象だ。
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「夏が終わってしまう…」
これは思った以上に寂しい。今までは仕事がなくても、夏だからなんとか気持ち的に乗り越えられた。ただこのごろは、僕はよくキリギリスの事を考えていた。
「夏に仕事をしなかったキリギリスは冬の訪れをどのような気持ちで迎えたのだろう?」
やはりこのまま仕事がなく冬を迎えてしまったらキリギリスのように死んでしまうのだろうか。
そんな折に決まったのが、僕のアメリカでの就職だった。
「やったぁ、これでトロントには居なくてすむ!」
仕事ができる喜び、念願のアメリカでの就職、これらに加えてトロントにいなくてすむという事は、単なる「嬉しい」をはるかに超える奇跡のような出来事だった。
トロントでは冬を越さない!というアイデアが、この数ヶ月の無職期間中、僕の頭の中ですっかり構築されていた。大袈裟に言うと、それは「生」への欲求だった。「仕事ができる」ということは「生きることができる」ということなのだ。
9月、新学期
9月から新学期がはじまった。長女が2年生で長男は1年生。二人とも英語の生活には慣れてきて、以前よりも友達も増えてきた。
しかし、せっかく友達もできた子供らには申し訳ないけれど、アメリカに行こう。「ニューヨークだよ。きっとすぐに新しい友達もできるよ!」
すっかり顔見知りになった学校の父兄たちにも、挨拶をしてまわった。
カナダでは小学校低学年児童のお迎えは親やシッターがするので、毎日のように顔を合わせていた。
「短いおつきあいでしたが、アメリカに仕事が決まったので、もうすぐお別れです。これからオタワのアメリカ大使館でビザの面接があって、それから一週間以内にはニューヨークに引っ越します。ほんとに今までありがとうございました!」
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「せっかく仲良くなったのに残念だ。でも向うでも元気でね!」
多くのポジティブな言葉を皆様から頂いた。
ただ、なんとなくひっかかる部分があった。
「果たして、本当にビザがとれるのだろうか?」
ビザをとる時に100%の保証はない。どんなに弁護士に高い金を払っても、最後に決めるのは大使館職員だ。通常は弁護士を通して必要書類がそろえば問題なくビザは発行されるはずなのだが。
しかし、僕らのような日本人にはかなり特別なケースはリサーチしようにも、どんなにググっても前例を見つけることができなかった。参考になる話を見つけて安心やら推測をたてることができなかった。
カナダ生活で得たフィロソフィー
アメリカのビザを申請するときに、過去の犯罪歴などを書く欄がある。ここには当然、本当のことは書かなかった。書いたところで、事がうまくすすむはずがなかったからだ。また、今回僕を雇ってくれることになったニューヨークの社長にも、僕らのありのままの事情は説明していなかった。言っても理解して協力してもらえるとは思わなかった。
たとえ、ビザの申請でウソをつくことになっても「少なくとも僕自身は何も法にふれることはしてきていない」という切り札を持っていたので、自分に都合良く事をすすめていた。正直者がバカをみるわけにはいかなかった。
半年程前の3月には家族でバッファロー(ニューヨーク州)のナイアガラの滝を観に行った。この時はなんの問題もなくアメリカに入国した。だから今回のビザも問題なく取ることができるだろう。
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トロントからアメリカへの引っ越しの準備や、子供達の新しい学校のこと、雇用先の社長とのやりとり、その他もろもろと、やらなくてはならない事が山積みだった。故に、ビザが取れない時の事はシミュレーションしない。する余裕もなかった。そこで思いついたのは、
事がうまくいかなかったら、またその時考える。
それは僕がカナダ生活で得た、人生の基本的なフィロソフィーだった。
「悪い事想像して、行動が止まってしまうのは良くない。良い事を考えて先に進まなくては!」
その後もろもろの事は順調に進み、あとはアメリカ大使館でビザ取得の面接を行う、というところまで何とかたどり着いた。
<カナダ逃亡記#9>へつづく