小さなコンポストがひらく「循環」のデザイン
ここ数ヶ月、立て続けにコンポストを扱う機会に恵まれた。それ自体のポテンシャルを実感するとともに、サステナビリティにおけるしくみの大切さについて考えをめぐらせることになったので、ひととおり書き綴ってみたい。
子どもたちへの感嘆と、さらなる可能性と
今年はやたらと「コンポスト」づいていた。
コンポストとは、生ごみをはじめ有機物を分解・発酵させて堆肥をつくる取り組みのことだ。近年は扱いやすいプロダクトも生まれ、家庭でも広がりを見せている。
数年前からつながりのあるローカルフードサイクリング(以下LFC)のみなさんと、今年再び対話を重ね、日仏の子どもたちを対象とした「なつやすみコンポスト大研究2022」という企画をご一緒した。その様子は、こちらが詳しいので参照してほしい。
実際のプロジェクトにおける連携は今年が初めてで、とてもうれしい。
さらには(短時間のオンラインイベントではあったけれど)子どもたちとの関わりを持てたことも刺激になった。
LFCの活動発表会に参加していた子どもたちは、疑問に思ったことを1つひとつ検証して、記録に残していた。
大人こそ見習うべき好奇心で、自然と新しい知見を獲得していく様が本当にすばらしいと思った。
小さくとも立派なデザイナーとしての素質を持ったみなさんに、恥ずかしながら、イベントの締めでご挨拶をさせていただくことになった。
感嘆の声とともにお伝えしたかったのは、「自分」や「家族」の外へ視点を広げることの可能性だ。
コンポストから見えてくるのは、個人の体験や幸福ばかりではない。
確かに最初は家庭の生ごみが明らかに減る。変化や発見がある。
これまでの生活にはなかった体験が、純粋に楽しい(そもそも楽しさがないと習慣として続かない)。
そして次第に、自分自身の行動が変わっていく。
なるべくごみが出ない買い物をするとか、食べものを無駄にしないとか。
さらに、いずれできあがる堆肥をどうするのかという問題に行きあたる。
生活者としては目先の処理の方法となるけれど、デザイナーとしてはその先にある社会や地域に想いを馳せるきっかけにしたい。
社会的インパクトをもたらすには
もうひとつ大きな経験だったのは、自らにもコンポスト生活が訪れたこと。
並行してとある企業とのプロジェクトにて、ユーザーとしての自分自身を内省・記録する「オートエスノグラフィ」というリサーチ手法を取り入れた。クライアントとIDL、双方のメンバーが自宅でコンポストをはじめ、日々の行動や心境、変化を記録していったのである。その意味合いはIDLマネージャーの辻村和正のエントリに詳しいのでぜひ見てほしい。
そもそもは新規事業のヒントを得ることが目的だった。
広い意味で社会生活上のインフラを提供するクライアントだったから、「サステナビリティ」というテーマを掘り下げていくことになった。
一般の生活者にも広がりつつあるコンポストには、人々に受容されるヒントやポイントがあるのでは、との観点からリサーチをスタートさせた。
プロジェクトでは、日々のオートエスノグラフィのほか、コンポストを通じた地域での資源循環を実践している三鷹市の農家・鴨志田農園を訪問した(農園主の鴨志田純さんはコンポストアドバイザーとして知られている)。
こうしたリサーチを経てますます想いを強くするのが、社会的インパクトをもたらすしくみの大切さ(とデザインの難しさ)だ。
サステナビリティは、個人レベルで完結し得ない。
たとえば自己選択としての「環境にいい暮らし」も、無数の協力と、それを支える(あるいはつなぐ)しくみがあって成り立つ。
枝葉末節だけを小手先で真似てみても、かえって逆効果だったりする。
環境に配慮したつもりでも、適切に処理できなければごみを増やすだけ。
IDListの野坂洋も指摘する「グリーンウォッシュ」の問題もある。
企業は過渡期にあり、事業性との両立にジレンマを抱えているようだ。
たとえば、近年プラスチックの消費財を廃してリユース品に置き換える動きが加速しているが、工数(輸送やら洗浄やら)が増えるほど、かえって環境を阻害するというデータが出ていたりもする。
環境やサステナビリティをうたう以上、トレードオフではなく、着実に効果をもたらす取り組みでありたい。いかにも表面的な内容では、中長期的に見ても投資対効果を見失いかねない。
まっとうするには、どうしても地に足のついたしくみが必要になる。
ビジネスとしてもサステナビリティの多くの問題は、1社では解決し得ない。
必然的に「みんな」の問題なのだ。
小さなモデルをヒントに
個人的な体感に過ぎないが、近年携わるデザインプロジェクトは「みんな」の問題化しつつある。個人の欲望を満たすだけではなく、いかに人々を巻き込み最大価値を得るのか。継続的な接点をつくり、価値を生み続ける「サービス化」の流れとも言えるのかもしれない。
コンポストで興味深いのは、範囲が限定的であることだ。
小さなレベルであるために、実践の小回りが利いて、効果も見えやすい。
LFCコンポストは「半径2km」という概念を提唱している。
要するに、目に見える生活圏における循環を意識している。
この循環のなかに、生活者が参加することがデザインされている。
個人がきちんとメリットを享受しながら。
循環を支える対等な立場のプレイヤーとして、参加する。
一方、都市部で農業を営む鴨志田さんの取り組みでは、採算がとれる範囲は「20km圏内」としている。畑の堆肥に必要な素材(廃材等)も、契約する消費者からのコンポスト提供も、農場のある三鷹市を中心として、近隣エリアでつながりを形成されているのが特徴だ。
消費者はあくまで「美味しく新鮮な野菜が食べられる」という根源的な動機づけによって、循環のしくみに参加するのだという。
社会に良いことを「みんな」で取り組むのは難易度が高い。しかし、それを小さな単位で実現しているコンポストの例に、学ぶところは大きい。
生活者や事業者など多様なレイヤーの人々が、各々の動機で関わること
参加者それぞれが、対等な立場であること
富や利益がひとところにとどまるのではなく、それぞれに価値として還元される、文字どおり循環のしくみになっていること
特に生活者を巻き込むプロジェクトであれば、高尚な問題意識を掲げるよりも、楽しさやメリットのように、個人が進んで参加したくなるかどうかが、裾野を広げるポイントになるだろう。そして日々、無理なく関われるハードルの低さも付け加えておきたい。
取り組みが進むにつれ、全体としての定量化された成果が示されることも、活動が継続する後押しになるはずだ。
循環のモデルを共創する
サステナビリティというテーマは、これまでもIDLでたびたび扱われてきた。
特に、多くのステークホルダーが参画するソシエタルデザインでは、これからますます重要で普遍的なテーマのひとつになるだろう。
しくみに絶対はないし、終わりはない。
だから僕たちも、デザインリサーチ──特に他者との対話やフィールドワークを通じて解像度を高めていきたいし、実践につなげていきたい。
コンポストのようにスモールな、あるいはローカルに根ざした取り組みは、困難を突破するヒントを与えてくれるはずだ。
それぞれの異なる境界・ステークホルダーをつなぎ、相互作用をもたらす“バウンダリー・オブジェクト”と捉えることもできるだろう。
だからこそ、コンポストを介したしくみ自体にも、広がりの余地がありそうだ。
IDLが、数年前からLFCのみなさんと対話していたことは冒頭で触れた。
2年ほど前の、手元の対話メモをあさってみると、
と書いてある。当時から、コンポスト体験そのものの価値はもちろん、しくみとしての展開可能性を感じていたことがわかる。
この先も、循環モデルとしての可能性、社会的にも事業的にも価値が両立するあり方について、探索と実践を重ねていきたい。
LFCさんをはじめ、さまざまなプレイヤーと共創しながら。