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才能がなくても、1000回やればできるようになる

やっぱ慣れです。
人生に必要なものは慣れです。

慣れれば大体のことはやってのけられる。
それがいくら苦手なことだろうと、数をこなせば絶対に慣れる。

少なくとも、

  • 1回だけしかやらなかったもの

  • 100回挑戦したもの

どちらが簡単にこなせるようになるか。
どう考えても100日の方ですよね。

もちろん、こんな事を言うと、

「いやいや、僕が100回でやっとできたものでも、他の人は1回でできたりするんだよ!!」

なんて考えが思い浮かぶ人もいるだろう。

確かに。僕もそう思う。ふざけんなと思う。
悲しいかな自分がいくらやったところで、そもそもの才能の差なんてのはやはりあって。

いや、才能なんていうから僕のように不貞腐れてしまう人がいるわけで。
個人差です。生まれ持った遺伝子の差と言っても良いかもしれません。

商品でも大量生産品のような、決まり切った作り方があって、同じ作りのものでも当たり外れってあるでしょう。

「同じ商品なのに、なぜかこっちの方が性能がいいんだよな…」

なんてものがあるのだから、生産者や育て方がぜんぜん違う人間が、みんな同じで、同じ性能なんて思うことがそもそもの間違いです。

だから、性能差はあります。
だけど、人間は慣れることができる。

1回やって簡単にこなす人と、100やって同じようにやっとこなせるようになる人。
そりゃ、1回目でできる人のほうが楽でいいですけど、結果は同じです。

結果が同じなら、それでいいです。
慣れてできるようになるってのは、『いつか自分にもできるようになる』と信じることと同じ意味かもしれません。



最近、僕がそれを実感している。
僕はとにかく、自分の考えを誰かに伝えるのが苦手だ。

多分、僕よりも自分の考えを簡単に伝えられる5才児なんてのは山ほどいるだろう。
僕はその才能が生まれつき無いんです。

具体的に言えば、

  1. 頭で伝えたいことを考える。

  2. それを頭で日本語に変換する。

  3. それを実際に言葉や文字で表現する。

このプロセスになにかしらの不具合があるわけです。
だから、自分の考えを誰かに伝えるってのがとにかく苦手だった。

だけど、最近それが人並みにはできるようになってきた。
どうしてか。

多分、このnoteのおかげもあるし、音声配信で独り言を喋り続けているというのもあるだろう。
だから、慣れですね。助かります。社会生活がやっとできるようになってきた。

今日も、知らない人と話さなくてはいけない場面が多数あったのですが、なんとか切り抜けられました。

やっと僕は、みんなが1回でできるようなことをできるようになってきたというわけです。
100回しよう。100回で駄目なら1000回すればいい。

そうすれば、才能がなくてもできるようになるはずです。
僕はそう信じることにします。

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