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3人以上の会話で置物になるけど、それでいい
お疲れ様です。
3人くらいで話をすると、会話に入れない人っているじゃないですか。
僕のことなんですが、これってなんでかな、って思うんです。
今日もそんな状況におちいったんですが、案の定置物になりました。
もうね、あれですよ。
そもそも、なんでこの状況がしんどいのかな、って話です。
その理由って、『疎外感を覚える』ってやつですよね。
「あぁ、この場で黙って置物になっているのがいたたまれない…」
なんて感じで、いたたまれないのです。
さっきもいたたまれなくなりそうでした。
じゃあ、なんでいたたまれないのかって話です。
そもそものそもそも、置物でいて何が悪いのかって話です。
多分ね、そうやっていたたまれなくなるのって、自意識過剰ってところもあると思うんです。
自分がこんな状況で全然話せないっていうことに、情けないやら苦しいやらと思うからこそ、いたたまれないのです。
そして、もうひとつ、いたたまれなくなる理由がある。
それが、『気を使って話を振ってくる人の存在』です。
いるんですよ。
この人、話しに入っていないな、と感じたその人が話しの輪を広げるために、話しに入っていないその人に話題を振る、という場面が。
優しさなんですがね。
その優しさが、自意識過剰でいたたまれなくなっている人間の、いたたまれなさをさらに増長させる結果になるんです。
「あぁ、この人に気を使わせている…」
「情けない、申し訳ない、超絶いたたまれない…」
なんて感じでね。
いたたまれなさマックスになる理由は、実はそういった優しさからだったりして。
だからといって、話しを振ってほしくないわけでもなくて。
しかし、話しを振ってもらったらもらったで、その話しにうまく対応できないときに、さらにいたたまれなさの針は振り切っちゃって。
なんてね。
さっきもそんな感じになりそうでした。
しかしね、途中でどうでもいいかな、って。
ここで話しの輪に入れないからといって、別にどうでもいいよね、と。
なんか話しに入れなくてもいいかな、なんて思ったら、急激に冷めちゃって。
開き直って、置物でもいいかな、なんて思ったとたんに、なんとなく肩の荷が降りたような気がしたんですよね。
それまでの僕は、話しの輪に入れないと、
「…どうすれば話しの輪に入れるんだろう…」
「…どうしよう、どうすればいいんだ…」
なんて、気を伺いまくって伺いまくって、焦燥感に駆られまくって、だからこそ更に話しには入っていけなくて。
そんな感じで焦燥感に駆られていると、いざ話しを振られると、うまくそれの対応ができなくて。
そうやって話しを振られたのに、うまく対応できなかった自分が残念で残念で。
残念だから、自分が情けなくて、自分を攻めがちで。
知らん。
何を一人相撲に精を出しまくっているんだ、ばかやろう。
開き直ろうよ。
どうでもいいんだよ。
そこで話しの輪に入れないからなんだってんだ。
話しに入れようが、入れなかろうが、基本なにも変わらない。
そうやって開き直れば、気を張る必要もなくなって、入ろう入ろうと思っていたとその時より、肩の荷が降りてむしろ入りやすくなるんじゃないか。
どうでもいいです。
大丈夫です。
置物でいいじゃん。
それでいい。
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