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厄年だと認識しても、良いことなんて一切ない

僕は今年、厄年の該当年である。
こんなことを認識していたとしてもあまり自分に得はないのだが、一度認識してしまった手前、その記憶を拭い去ることは難しい。

そもそも、どうして僕が厄年だと認識しても自分に得がないかと思うところからだ。
厄年って認識しても、得じゃないと思うんですよね。

なんでかって、認識してもマイナスに作用する場合が多いから。

「今年は厄年かぁ…」

と認識したとして、どんなことを思うか。

  • 「厄年かぁ、最悪だな…」

  • 「厄年かぁ!最高だな!」

後者はないでしょう。
さすがにお前は厄年だと認定されて、それを最高とは取れないでしょう。

厄年と言われると、多くの人はネガティブな気持ちになると思います。
でもね、まぁ厄年だからと言われるメリットもあるっちゃある。

それは、

「そうか!今年は厄年だから気をつけよう!」

なんて、用心できるようになりますからね。
あらかじめ厄年だと認識していれば、予防策を練ることもできる。

「厄年だし、健康に気を付けよう…」
「厄年だし、事故に気を付けよう…」
「厄年だし、日常に気を付けよう…」

なんて感じで、予防策を練るためなら厄年は認識してもいいかもしれない。

だけどなぁ、やっぱり僕は厄年なんて認識しても良いことないと思うんですよね。

なんでかって、厄年だと認識してしまうと、厄年に引っ張られそうだからです。
引っ張られるってなにかって、厄年だと認識してネガティブになることで、運が悪くなるからです。

ポジティブな人と、ネガティブな人。
どちらが運がいいかって、どう考えてもポジティブな人です。

笑顔でいれば笑顔な人が集まってきますし、しかめっ面でいればしかめっ面の人が集まってきます。

スピリチュアル的なことを言う気は一切なくて、人間の心理的にそうでしょう。
笑顔の人を見るだけで笑顔になる人は多いでしょうし、しかめっ面の人を見たらしかめっ面になります。

ミラーニューロンってやつです。
人間は自分が認識しているよりも、思ったより共感力が高いんです。

なので、ポジティブな人にはポジティブな人が集まるから、本人にもその恩恵があるってことです。
もっと言えば、ポジティブ人間なら仮にネガティブなことが起きても、それを前向きに変換できますしね。

だからね、ネガティブな情報はいらんのです。
お前は厄年だ!と言われたらネガティブになるから嫌なのです。

まぁね、ぶっちゃけね、僕は今年になってから、厄年っぽいことが散々起きているのです。

  • 隣人トラブル

  • 父親が脳梗塞で倒れる

  • それに付随する類を見ない金欠

「あぁあ!!やっぱ俺、厄年だわー!!」

なんて思いそうになる時はあります。
いや、正直思ってる。

しかし、絶対に口に出してやるもんか!と。
口に出してしまったら、もうそれこそ厄年に呑み込まれてしまいそうだから絶対に口にはしない。

それに現在はまだ1月。
まだまだ今年は始まったばかりです。

そんな初月に厄年に呑まれてしまったら、あと残りの11ヶ月、全てネガティブになってしまう。

ネガティブになったらどうなるか。
ネガティブが集まって、運がどんどん悪くなる。

運が悪くなればどうなるか。
超がつく厄年になってしまうやないかい!

だから、言わんのです。

「お前、そんなに厄年のことばかり考えている時点で、厄年に呑み込まれてるだろ」

と思われるかもしれない。

確かに。
辞めよう。

厄年の話は今後一切しないことにする!

厄年確約を決めたところで終わりです。
あなたも厄年にはお気を付けて。そもそも認識してもいいことないよ、って話でした。

では、お付き合いいただきありがとうございました。
失礼します。

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コーシロー
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