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朝日新聞の投稿記事について。
こんにちは。
Andkow & Co.代表の古白川 真(コシラカワ シン)と申します。
カンボジアで職人達と共にハンドメイドレザー製品や、弾丸の空薬莢を溶かした真鍮を使ったカトラリーやジュエリーなど手仕事によるものづくりをしています。
https://andkow.com/
先日Twitterでこの様なツイートをしましたが、アーカイブの意味も込めて改めて再度文章にしました。
https://twitter.com/koshin0919/status/1375642429076897793?s=21
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朝日新聞のこの記事読んだ方はいらっしゃいますか?
他でも書きましたが、うちの事と勘違いして(または真相や意見を求めて)何人かから問い合わせを貰い、とても複雑な気持ちになりました。
カンボジアには銃の弾丸の空薬莢を溶かした素材から作ったプロダクトを扱っているブランドがウチを含めいくつかありますが、こういう罪深い、事実では無い内容を謳っている所がいくつかある。
"カンボジアの地面に転がっている薬莢"…今現在のカンボジアの道端のどこに弾丸が落ちてるのでしょうか?
嘘はダメです。
ネットで見かける薬莢関連の製品の紹介や関連インタビューでも「生活する物資が足りない中、武器が散乱しているカンボジア」(原文まま)など、カンボジア在住者として現状と大きく乖離した目を疑う内容が溢れています。
(あえてリンク等は載せませんが、カンボジア 薬莢 ジュエリーなどの検索で沢山出てきます)
"薬莢を使用してものを作る"という部分でほとんどの所が一緒くたにされる事が多いのでいつかは説明しないと、と思ってたけれど、こんな子が出てきた今そのまま放っておけない。
それに、誰かのついた嘘で、自分や共に働く職人が心身込めて作ったものにケチがつくのは受け入れがたい。
指摘します。
僕達が薬莢を使ったものづくりを始めたのは、初めて地雷原に行った時に感じた事があったからこそだし、当初はうちも実際に内戦で使われ爆破処理した破片を加工する所から始めたというのはありますが、本当に紆余曲折あり今では軍事演習等で使用した弾丸の空薬莢を溶かした真鍮を使っています。
(その他当時技術的に難しい事もありましたがそれをクリアした上でです)
・内戦で使われていた弾を加工して
・不発弾を再利用して
・散乱している武器を使って
・道端で弾を拾ったところから思いついて
など、知人を含めネット上で現在もこのような表記で販売しているお店やブランドをよく見かけますが、断言します。事実ではありません。
今現在のカンボジアで内戦時の弾を拾ってアクセサリーを作るなんてことはまずないし、不発弾もそのほとんどが材質が違う(別の金属)なのでできません。
ましてや落ちてる弾丸や不発弾なんて一般人が好き勝手に触れません。(違法です)
つまり「内戦で使われていた弾を拾って加工して」と表現していた場合は嘘をついている事になり、逆に仮にそれを勝手に拾って加工し使用し続けていたとすると違法な行為をしているという事になり、どちらに転んでも問題があります。
業界はとても狭く、カンボジア国内で薬莢関連の物をどこが作れるか、どんな職人がいるか、どんな素材を使っているか、内情はほぼ完全に把握しているので事実でない事は全部わかります。
過去いちいち指摘する事はありませんでしたが、見る度に残念な気持ちになっていました。
この表記をして売ってる所は実際沢山あるので、今すぐ訂正した方が良いです。
うちはTVやウェブのインタビューで取り上げて頂く際も、内戦やカンボジアでの現状について事実と内容が違っていたら必ずしつこいくらいお願いして注釈や訂正を入れて貰っています。
それくらい大切な事だからです。
そして、ほとんどのメディアは理由を話せばちゃんと訂正してくれます。
当初「実際に戦争で使われたものでないと意味がないのではないか」と考えていた僕がその使用をやめた理由の一つが、武器そのものが持つ意味、武器の象徴としての銃や弾丸を無力化してポジティブな物に変える事それ自体に意味を感じているから。
そして、この13歳の女性と同じ疑問を僕も持ったからです。
そこに至るまでに色んな葛藤がありました。
「人を殺すかもしれなかった武器が人を輝かせるものに変わる」
のと
「実際に人を殺傷したものを身につける」
のとでは全く意味が違う。
これはとても大切な事です。
「内戦の悲劇を伝える為に」等の表記も同じです。
僕は悲劇を伝える為にこれをしているわけではない。
「人を傷つける武器が、人を食わせ、生かすものに変わる」
「人を傷つける武器だったものが、人を輝かせる物に変わる」
このものづくりを通して、自分の人生の背景にも重ねて、どんなに良くない過去や背景があっても「人は変われる」という大切なメッセージを伝えています。
音楽を作ってメッセージを伝えるのと同じです。
まだまだ未熟で過程ではあるけど、これについては自分自身の疑問や問いに対してずっとずっと意味を考え追求していく中で今出てる答えのひとつです。
昔カンボジアで内戦があった事、それによって生まれた悲劇などは"事実として"そこにあります。今もあります。
これは、業種は違ってもこの国に住ませて貰いこの国の人と関わり仕事や事業を行ったり生活する人が皆これからも向き合っていく事だと思います。
全く無かった事にするのもおかしいし、掘り返す事でも誇張する事でもない。
ただ過去に事実としてあった事。
でもそれを利用して感情的な何かに結びつけて消費に繋げたりするのはおかしいと思います。
(ましてやその内容が嘘である場合は論外です)
ものづくりをする時、一つの事に夢中になるばかりに手段と目的が逆転してしまったりつい他の事が見えなくなってしまったりする事は人間あると思います。
だからこそ麻痺していないかどうか僕自身も時々自問自答します。
今回の新聞記事を見て、それまでにもあった同じような経験を思い出し、もっとしっかり伝えていかなければと帯締め直しました。
「誰かを殺したかもしれない弾丸で作ったものを身につけるのは怖い」
そう感じたまだ中学生のこの女性の感性は正しい。
だからこそ元の内容が嘘である事に強く異議を唱えます。
他所であっても嘘や誇張が酷い場合は今後正式に指摘、抗議します。
あまり興味のない人からすればどうでも良い何のこっちゃな話やと思います。
でも大事な事なんです。
内容は表面上は一見同じメッセージに見えるかもしれないので同一視されるのは仕方ないけれど、やってる事もメッセージも、フォーカスしている部分も違います。
同業攻撃みたいに短絡的に捉えられてしまうのは癪だし、戦う敵を見誤ってはいけない、自分がやるべき事を真っ直ぐやれば良いと言い聞かせてきたので今まで他所についての言及や批判は避けてきましたが、子供にこう思わせた罪は重い。
今回の様な事が出てくると指摘せざるを得ないです。
他にも1回2回だけ孤児院に行って写真撮って日本語教えてますとかアートを教えていますとか就労支援していますとか委託先の工房に看板飾ってまるで自分達の工房のような文章でSNSに載せたりとかそういう所が山ほどある。
"している"と"したことがある"は雲泥の差です。
ただの委託の委託にも関わらず、まるで自分の所で孤児院運営や就労支援を行っているように表記している日本のブランドや会社もある。
何ヶ月かに1度の値切りに値切った委託製造で「職人育成」「技術支援」していると謳っている所もある。
表面は同じに見えても、現場で起こるひとつひとつの問題や人間関係に向き合いながら続けるのはどれだけ大変で難しい事か。
古くはフェアトレード、今ではエシカル、サスティナブル、SDGs等色々と言われていますが、本来大切である事を表面だけなぞり、それっぽく見せるこの様な貧困ビジネスがあまりにも多い事に心底うんざりしています。
何より個人的エゴからこの13歳の女性にカンボジアはそんなんじゃないよ、それは本当じゃないよ、って伝えたいんですが、朝日新聞がダメなら何とか方法を考えてこの安島 心香さんに手紙でも書こうかと考えています。
僕はものづくりの範囲でしか物は言えませんが、エシカルやサスティナブルがこれだけ叫ばれている中、もしそれを言うのであれば偽物を見抜く目は大切です。
何かを手に取る時、耳障りの良いスローガンだけでなく、しっかりとその背景や内容を見て手に取って欲しいなと思いますし、ものを作って届ける側は心してものを作らないといけないです。
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補足 : 読んで頂くとわかると思いますが、僕が違和感を感じているのはこの13歳の女の子でも朝日新聞でもないです。
右とか左とかのイデオロギーに結びつけたいわけでもない。
事実と違う事を認識している上で平然とその文言を使い販売している人達に対してです。
新聞の女の子がそう思う理由になった記事やインタビューがあり、その内容の誇張について異議をとなえています。
僕はこの先たとえ自分が陽の目を見る事がなくても、全てを賭けて取り組んで来た時間に対して嘘をつくようなものづくりは絶対にしない。
"途上国"やその過去を嘘をついてまで利用しないと人の気を引けないような程度のものづくりならやめてしまえよ。
手に取る人だってそんなに愚かではない。そんな時代ではない。
どこまで行ってもモノで勝負。
心して良いづくりをしなければと改めて気持ちの帯を締め直しました。
強く抗議します。