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教育×コーチング 〜私達は話を聴かれていない、聴いていない〜

お久しぶりです。こしみのです。

最近コーチングのクラスを受講し始め、学びを深めております。学ぶ事や宿題が「面白い!」「楽しい!」と思えているのはいつ振りだろう。

オンライン化、様様です。本当に。

「聴く」事についてはこれまでも触れていますが、学びを深めると更に「聴くスキル」の重要性がよく分かります。

学んだ事は、学生とのコミュニケーションの中で日々実験です。

関わりが難しいなー、と感じる学生もいますが、そこで「この人とは話が通じない」で終わらない。「次はどうすればより良くなるか」試行錯誤と工夫の過程が私は好きだ。
とはいえ、なかなかブレークスルーが見つからず感情に飲み込まれたり、沈没したりしていますが・・・そこで探求するからこそ気づけることもまたある。日々何かしら気付きを得ようとしている自分がいる。学びってこういう事なんだろう!

先日のクラスで、改めて「聴く」とはどういうことなのか。考えさせられました。

最後までじっくりと聴いてもらった経験がある人は稀なのだそうです。同時に最後までじっくりと話をした経験がある人も少ないのだそう。

そして、、

私達は、自分の話をただ聴いて欲しい、と思っている。

それなのに、話を聞く側は「何とかしてあげよう」とアドバイスをしたり、助けてあげようと思ったり、あるいは批判、否定などしてしまっている事が多い。心当たりありまくり。

私達は日頃、純粋に誰かの話を最後まで「聴いて」いるだろうか。

子供や学生達は、果たしてどうだろう。ただ純粋に、じっくりと、話を聴いてもらえているだろうか?

聴いてもらえた事で起こる心の変化。これは、、、確実にある。そしてその影響というのは、すごく大きい。


コミュニケーションの図の中に、聴き手がいるならば、もちろん話し手もいる。この話し手についても自分なりに考えた。

私は、話(考えや思いを言語化して)をして誰かに何かを伝えることがあまり得意では無い、と最近思う。友達間でも聴き手に回る方が多い。話すのも好きなんですけどね。

じっくりじんわり話して、やっと何か伝えられるような。時間が限られた中での会話であれば、完結しない伝え方になってしまうような。考えがまとまらない。語彙力が無い。結局言いたい事は?みたいになっちゃう。いつも後から「あれも言えばよかった」と考えが湧いてくるのが悔しくなる。

これも、「じっくり聴いてもらう」という経験が少ないからだろうか。

だから余計に、このnote でじっくり言葉を選びながら自分の考えや想いを紡いでいく、この作業が今の自分には合っている。頭の中の棚卸しに時間がかかる私にとっては、ありがたい場所。記事を読んで下さる方にも感謝です。


誰かの話を最後までじっくり「聴く」 

自分の考えや想いが伝わる様な「話し方」

更に意識していきたい。

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