あやふやを生きる

アクセスありがとうございます。
越路つぐみです。


人と同じ体験(この場合の同じは、同じことを一緒に体験しているという意味です)をしていても、そのときのことを個人によって違う話のように感じられることはありませんか。


私たちは同じ場所で同じ体験をしていても、感じ方はさまざまですので、こうしたことは結構起きてきますよね。


どんなに注意深く気を付けていても、ここは私たちの大切な価値観に紐づくこと。それこそ意識のスポットがそこにあたっていなかったとしても、それこそ自然に当たり前に自分の感じ方で物事を理解します。


そんな風に考えてみると、同じ出来事を話していても語る人によって違ったように語られているのは、とても自然なことだよなぁと思っています。


私が過去に、ネガティブな出来事を一緒に経験した相手と険悪になったとき、相手の語る内容を聞いて「なんでそんなに出来事を書き換えるのか」と腹が立つことが何度かありました。

このことにはそれなりに振り回されたと思います。
何度かそんなことを繰り返し、相手と話す中で「これってもしかして、この人は本当に自分の語る内容で間違いないと思っているのかも」と気づきました。

まぁだって、私がそう思っているのですから、相手がそう思っているのだって不思議じゃないですよね(笑)。

それで伝えてみたのです。
「私はそれを△△って認識している。その理由は…」のように。

そうしたら相手はとても驚きましたが、「確かにそう考えると△△となるのもわかる。自分が◇◇と言ったのは…」と細かい内容を伝えてくれました。


ここまでやってよーーやく!【同じ場所で同じ時間に同じ出来事を経験しても、嘘でもなんでもなく、それぞれが違ったようにとらえることがあると実感できたわけです。


こうなってくると、何が本当かなんて、記録をとるとかしない限り明らかにはならないのだなぁと感じましたし、私たちってそのくらいあやふやな生き物なのだなとも思ったりしました。


そしてこういうことが起こるからこそ、私たちはいろいろなことを感じ、発見し、そしてまたそれを様々な機会に活かすこともできます。


そういう意味では私たちのこの、あやふやさも使いようによっては、世のため人のためになることがありそうですね。


ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
またの機会に。

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