中学生理科で気づいた【妬み嫉み】との付き合い方


非常に面白い人間の感情だな
と私が思っているのが

【妬み】
【嫉み】

「妬み(ねたみ)」はうらやましくて憎く思う感情を、「嫉み(そねみ)」はうらやましくて悔しく思う感情を指す言葉

の感情だ

SNSが発展し
老若男女の感情が入り乱れる世の中

その【妬み嫉み】の感情に
とても支配されているな

と感じる

妬み嫉みが
僻みになったり
承認欲求になったり
非常に面白い要素だなと思う

これがダイレクトにネット社会に溢れていて
相手を攻撃したり
ひどく被害妄想に陥ったり
害悪の根源のように思えている

妬み嫉みの根源となるのは
自己肯定感だったりもするのだろう
と思うのだが

あくまで
“他人と比べることで憎悪が生まれること”

に焦点を当てて考えたい

そもそもなぜ
人は自分と他人、他人と他人
を比べたがるのだろうか?

生まれた国も人種も、親も、性別も
全て違うのに

なぜ優劣をつけたがるのだろうか?

あ、私サイコパスではないです

歴史を振り返っても
いつの時代だろうが
階級など
何らかのグループ分けがあり
上下関係や貧富の差がある

極論としては
不特定多数の人間まとめる上で
グループ分けが必要で
そのグループ分けの基準があり
そこで客観的なのか主観的なのか
優劣と思われるものがあったのだろう

そのなかで
あのグループのほうが収入が多い
とか
あのグループのほうが勉学が得意
とか
あのグループのほうが見た目が美しい
とか
そう感じる何かがあり
それを羨ましく思ったり憧れたりという感情だけでなく妬み嫉みにもつながったのかもしれない

比較として実験をした場合に
そもそも実験にはならないのに
無駄だなぁ

木でできた四角い椅子に座り
理科室の黒板を見ながら
中学生の私は思った。

1つの条件のみを変え
結果を比較することが
【対照実験】
という実験方法である

たいしょうじっけん【対照実験】

実験を行う場合,比較・検討をするための対照をおいて行うこと。たとえば,何らかの物質をくわえたらどういう変化が起こったかを調べるとき,その物質をくわえないで,そのほかの点はまったく同一のものを対照として準備,同一の処理を行うことで,その実験の意味がでてくる。

学研キッズネット

大事なのは
比較・検討につかうのは
比べたい項目(結果の違いをみる何か)以外は
まったく同一のものでなければならない

まったく同一?

それは遺伝子レベルでか?
その時点までまったく同じ状況下であった必要性がある?

人間というのは
今このときまで様々な体験と思考の積み重ねでできていて、それの結果で形成されている

この世に誕生したときから
ルートは完全に分かれる

同じ親から生まれた
遺伝子が100%同じ一卵性双生児だったとしても
全ての行動や外的刺激などは
同じにすることなんて難しいというか
不可能だ

非人道的な実験でない限り

じゃあ
比較して結果をみる
対照物にはならないのではないか

いくら嫉妬しても
同じものになることはできないし
そもそも個体として比較するものにすら
ならない

個体の違いを認めて
惨めになるだけだ

じゃあ憎悪を抱くのはやめよう

と中学生の私は思った

羨ましくおもったりはもちろんあっていいと思う
ただ、嫉妬しそれが自分にとってストレスになるなら辞める
同じものになれなくとも
自分の理想像とする
とか
憧れる、目標にする
という変換をするようになった

あくまで自分という個体
自分に合う形と方法でどう変化させるか

いわば

自分と自分の対照実験だ

変化したいと思った時を起点に
それまでの自分とこれからの自分を
比べるなら実験が成立する

これができるようになってから
随分と生きるのが楽になっただけじゃなく

自己肯定感も上がり

成功体験も増え

変化も前向きに冷静に捉えられるようになった

なにより
自分を更新し続けることが楽しくなった

妬み嫉みに悩んでいる人がいたら
少しやってみてほしい

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