人を嫌いになりたかった。
【荒波、波乗り】
みんな人生には色々あるものだけれど。
青二才の私もそれなりに修羅場をくぐった経験はある。虐待、いじめ、ストーカー、その他もろもろ。
人間の弱さ醜さ傲慢さに傷つけられるたびに私は"人間"という愚かな生き物に絶望した。
「人間なんて嫌いだ」と口にして交流を極端に減らした経験もある。
だけど私は人間との関わりを完全に断つことができなかった。
人生や価値観に大きな影響を与えたり与えなかったりした大好きな人たちがいたからじゃないかと思う。
「あなたは真っ直ぐ人の目を見て話を聞くところがとても素敵だね。そのまま大人になってね」と言葉を残して、別の学校に異動していった中学の頃の先生。
いつも笑顔で才能に溢れていて、絵がとても上手かった先輩。毎日毎日完全下校時間まで居残りして絵の練習をしているのを知ってるよ、頑張ってるねと声をかけてくれた。その先輩みたいになりたくて必死に美術の分野で結果を出した。
どん底を這っている時に本音ベースで励ましの言葉をかけてくれる友達。へんに優しい言葉ばかりじゃなくて、サバサバしてるのが逆にいい。
だから私は人の美しさとか可能性なんてものに縋った。私に優しさをくれた人たちを嘘にしたくなかったから。
その人たちの優しさで今の私ができていることを知っていたのに、他の誰かに傷つけられるたびに「所詮人間なんて醜いものでしかないんだ。私だってそんな人間の1人でダメな存在だ」と自分に言い聞かせていた。
全部自分を守るための盾を作っていただけだったなぁと思う。
【でも、人の創ったものが心を動かしたりする】
私はフォトグラファーだけど、拙いながらに音楽も絵も文を書くことも好きだ。それらは全て人間が創ったもの。
最近 私が10年以上好きなアーティストのライブに初めて参戦したのだけど、私は1曲目で感動のあまり嗚咽して泣いた。
そのアーティストは過去に不倫やらなんやらで取り沙汰されていたこともあり、そこから「あぁ…」と思って追いかけていなかった。(笑)
だけど命を燃やして歌い上げる姿はとても美しかった。もちろん歌そのものも最高だった。
「人に醜い部分や影があることが必ずしも
美しくないことの証明にはならない」
それをなんとなく実感した。
一文で矛盾しているような気がするけれど。
【弱いけど、弱くて良かった】
私は人に傷つけられてそこで見切りをつけられるほど強くなかった。
過去に与えてもらった優しさにしがみついて陽炎を掴もうとしていたとも言える。
人は確かに醜い。愚かだ。
利己的で自分がいちばん可愛いと思ったりする面もあるだろう。私だってそう。
だけど今はそんな生き物から産まれるひとかけらの優しさや想いがホモサピエンスを"人間"たらしめる要素ではないかと思う。そんなところが愛おしいし美しく思う。
たぶんこれからも人に傷つけられることは
ままあるのだろう。人と関わって生きていくから。
人を嫌いになりたかったことがある。
そのほうが楽で傷つかない。
それなのに人間と関わる生き方を選んだ私も相当な愚か者だな、とつくづく痛感する。