サボテンを死なせた日。
【小さなサボテン】
小学3年生くらいの時、おばあちゃんからサボテンをもらった。手のひらくらいのちっこいサボテン。「上手に育ててあげたらきっと花が咲くからね。丈夫だから水やりはせいぜい月に1回程度でいいよ。土が乾いたら水をやってね。」と言われていた。
私はすごく嬉しかった。勉強机に飾って毎日眺めた。小さいのにとげとげしていて、なんだか必死に生きているようでかわいかった。
せいぜい1ヶ月に1回でいいよ、と言われた水は1週間に1回やっていた。
【そりゃあダメになるわけで】
別に意地悪しようと思ってたくさん水をやっていたわけじゃない。ただサボテンがかわいかった。少し水をやっていない期間があると、サボテンちゃん喉乾いてんじゃないかな、と思って心配になる。
そして水をやるという働きかけは「サボテンちゃんのためになにかしてあげられている」という気持ちになった。
そしてサボテンちゃんは花を咲かせるどころかお迎えしてから3ヶ月ほど経った頃、とうとう根腐れして本体ごと倒れた。当然といえば当然。むしろよく3ヶ月も頑張って自分の足で立っていてくれたと思う。
サボテンちゃんが根腐れしたことはとてもショックだった。
小学3年生にして「自分も所詮 愛という名目でエゴを押し付けるだけのつまらない人間でしかないんだな」と絶望した瞬間だった。
【なんにも変わりやしないさ】
家族を愛しているといいながら暴力と暴言で徹底的に支配しようとした父親。
私は少し他より変な子だったから「普通から外れてはいけない」とかなりの過干渉で心の自由を制限した母親。
両親は私のことが憎いわけじゃないと理解していた。親といえど人間だから自分なりの「愛」の定義やロジックがあって、それに基づいて行動しているんだろうな〜とは思っていた。
ただそこに私がどう思うか・どう感じるかの視点は全く介在していないことにも気付いていた。
本当に自分勝手な人間、と両親にうんざりしていたのに、根腐れして倒れたサボテンは「君もそんな人間なんだよ」と淡々と訴えていた。
サボテンちゃんには水を与えすぎたから、
抱えきれなかった水分でどうか乾いた土を潤してくれと思って近くの公園の花壇に埋めた。
あぁつまらない、私は本当にくだらないと
反吐が出そうになりながら土を掘った。
あの時の絶望は挫折体験として人格に根を張っている。未だに思い出す。そこから植物は育てていない。
くだらない。つまらない。
サボテンちゃんが時々わたしに訴えているような気がする。