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自己紹介❸いよいよタイで会社を登記!メディアの酷評にもめげず、サービスインするも...?

前回までの記事はこちらからご覧ください
自己紹介❶タイ駐在員時代「俺ってグローバル」から葛藤の日々、そして起業を決意!
自己紹介❷起業初期“ないない尽し”の孤独な日々〜初めての出資獲得へ

仲間集め(つづき)

事業が決まり、支援してもらえる投資家も見つかり。
まだ創業の仲間は一人もおらず自分だけだったものの、会社を登記して漕ぎ出すことに決めました。

日本で会社は作っても維持コストはほぼかからないのでいつでもできますが、海外だと現地人代表が必要だったり、会計事務の委託が必要だったりで、法人設立も踏ん切りが必要でした。

タイで登記しようと思ったところ、投資家のMooさんから「シンガポールで」とアドバイスされました。

理由はいくつかありましたが、

・他国展開を見据え、海外に資金を出すならシンガポールの方が容易であるため
・資金調達やExitを考えた場合、シンガポール法人の方が選択肢が多いと思われたため
・当時、タイではBOIで100%外資で登記できても、種類株やストックオプションが未整備だったため

シンガポール法人では現地人代表が必要だったので友人に頼んだり、登記作業も格安のインド系事務所に頼んだり、滞在費節約のため先輩の家や友人オフィスに寝泊まりしたり、タイ人投資家のお金が海外送金却下されたため、持っちゃいけない額の札束を持って飛行機に乗ったり。

※タイで起業する時の”シンガポール→タイ”の親・子会社運営についても(そもそも勧めないとか笑)お伝えしたいことがありますが、一旦先に進みます

2013年10月にシンガポール法人設立、11月にタイ法人もBOIで設立と、事務的ながら必要不可欠で聞ける先人もいない作業に奔走。

日本でさえ初めて起業する際、多くの方は法務局に届け出をしたりなどの作業は分からないことだらけで行政書士さんに丸投げ、という方も多いと思いますが、それもできず自分で英語で調べて、足で確認しに行って、準備して出直す、というのを繰り返すのは一歩ずつどころか0.1歩ずつ歩みを進めるような日々でしたが起業感満載で楽しめていたと思います。

そして、12月、投資家に年内にサイトのロンチと伝えていたので、何とか求人掲載企業の登録ページを公開。

当時のサービスページ

JobTalentsというサイト名は熟考の末ではなく「ドメイン取らなきゃ」という5分くらいでえいやっと決めたものでした。ロゴも記事のトップページのビジュアルも、僕がパワポで作ったなんとも手作りなスタートでした。

そのためシンガポールのスタートアップメディアには「does not look very professional」と酷評されたのはいい思い出(笑)こちらの記事末尾参照。

他当時のリリース記事

憧れのBridgeに日本語でも掲載されたという事実に浮かれてしまったことは白状しておきます。

ついに、サービスイン!しかし...

独立から苦節9カ月、やっとこさ年末で公にスタートを宣言できたものの、実質はボロボロでした。何より仲間がいない。

知人の開発会社を頼って何とかロンチしたものの、サービスを運営するにはフルコミットのエンジニアがいなければ立ちいかないことは明らか。でも企業掲載は開始したし、投資も受け取ってしまった。エンジニアが見つからなければ早々に行き詰まる。

余談ですが、その頃ストレスもピークだったのか10円ハゲならぬ500円玉サイズのハゲができました。びっくりするほど見事に髪がなくなり、毎日外出の際に嫁さんが黒マッキーで塗ってくれました。

「どうしよう、どうしよう...」

と思っていた矢先、友人がエンジニアを紹介してくれ、新しいチャレンジを考えていたその方はとても興味を持ってくれました。東南アジアでの創業の想い、開発面の現状と課題などを聞き出してくれた末に、開発を最初の知人から巻き取って更新を始めてくれ、「これでなんとかいけるかも...!」と思い始めた2014年1月末。

「すみませんやっぱり嫁が海外はいやだというのでなかった話に...」とあっけなく消えました。

起業あるある、嫁ブロック。
自分の嫁さんのブロックは日々の積み重ねで防げても共同創業者に誘う知人の嫁ブロックまでは防げませんでした。

「終わった...どうしよう...」

と落ち込んでいたところ、前職の先輩が「今いる会社を辞めて転職するエンジニア/デザイナーがいるんだけど話してみる?」とメッセージが入り、藁をも掴む思いで3人でSkype。

とにかくがむしゃらに、なぜ僕がタイで起業したいのか、何をしたいのか、今の状況などを懸命に説明し「いきなりタイとか言われても分からないですよね...良かったら飛行機代とホテル代出すので1週間ほどいらしてみませんか?」と伝えたところ本当に来てくれました。

彼女は、とにかくパワフルな方で、着いた初日にシンハービールを飲みながら「あたしねー、来ると思うんですよねー!」と言った通り、タイにいる1週間で開発の実務を巻き取り、日本帰国後1か月リモートでサイトロンチまで持って行ってくれた後に、来タイして一緒に事業をスタートすることになりました。

mediba駐在時代に一緒に働いた会計に強いタイ人仲間、APU卒の彼女の後輩、そして、現地コワーキングスペースHubbaで出会ったアメリカ人女性デザイナーと急ピッチで仲間が集まり、独立した2013年4月から丸一年かかった2014年3月、4人の仲間とともに事業開始にこぎつけることができました。

創業当初のメンバーたちと

※その後については、今後更新予定です

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