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【実録シリーズ】軋轢:一番辛いのはまだだった

こんにちは、越です。

今回も、自社の経営に関して昨年下した大きな決断とその後について共有している【実録シリーズ】のつづきです。前回は、リストラについて触れましたが、その後はどうなったのか。

前回まではこちら


 2021年5月26日 一番辛いのはまだだった

【補足説明】

・前回記事でリストラを決めたことを書きました。
・タイでは解雇する際に勤務期間に応じて社員にお金を払う法律があり「解雇補償金」と言われます。
・僕の場合は法律通り100%払うと5人で60万バーツ(約200万円以上)になり、当時とても払える金額ではなかったので50%で許容してもらおうと5月上旬に全員と話し、合意をもらっていました。
・が、支払が迫った5月最終週にそれがひっくり返るお話が本記事の内容です。

こんにちは、越です。
タイは祝日ですね。けど、今日の投稿はちょっと重い(長い)です。

昨日、今月退職のスタッフAさんから連絡がありました。
家族が大変、いままでのがんばり、とにかく結論は「解雇補償金50%は満足ではないから話したい」と。

そのミーティングが1日の終わりの夕方になりました。
終日仕事が手につかず。キャンセルできるものは延期して。

口頭とはいえ合意したのに。
持って行きたいと言った事業も無条件に渡したのに。
退職までの猶予も仕事はしなくて良いとして、1ヵ月分払ったのに。
月内PCを使いたいというのも許可したのに。
満額は払えないけれども、全員合わせた解雇補償金相当の50%、30万バーツをなんとか工面して、ギリギリ精いっぱいの努力をして払うと伝えて、納得してくれたと思ったのに。

怒りも悲しみも整理できず、あちらの要求に対してこちらが持てる交渉カードは何か。
自分が激しく痛む分、分かち合うために相手に強いれることは何か。

何人か詳しい方に相談しました。
支払う時間で駆け引きする、とか
裁判持ち込めば会社にお金がないならある分で判決も決まるから満額無理する必要はない、とか
腹いせに彼らに渡すはずだった事業を取り上げることに対して、合理的じゃないと諫められる意見もあれば関係ないからやっちゃえと言われたり。

気持ちも交渉内容も整理できないまま時間を迎えました。

全員に召集を呼び掛けて5人中4人が集まりました。
1人不参加だったのは唯一今後残る予定のBさんで、彼女はいま会計の大学院に通っており17時から授業があるからという理由でしたが、今月退職の3人とは喧嘩別れしており、顔を合わせたくなかった面もあると思います。「私は50%で良いから」とだけ意思を伝えて。

「大事なことなので、1人1人意見を言ってくれるかな」

Cさん「家族が大変で、両親も納得しておらず、新しい仕事もまだ見つからないのでhelpしてもらえるか相談したい」
Dさん「私の場合家族は関係ないけど自分も苦しくて。もらえたら」
Eさん「2人と同じ気持ちで私も...」
(今月まだ退職ではなく3か月後くらいに退職予定のFさんは「私は50%でOKです」と)

長い沈黙(昨日は何度もありました)のあと、僕は口を開きました。

「望みは分かった。

前回言ったよね、僕は未払いも解消しないといけなくて未だ60万バーツ以上足りてないし、自分の経費精算も30万バーツ位してなくて、半額が精一杯だからこれ以上は自分の家族も巻き込むから納得してほしい、と。

それでも納得できないから法律通り払えというのなら法律に従うしかない。けれど、それなら法律以外のことは何も与えない。痛みも分かちあってもらわなきゃいけないから今すぐ払えない、最悪払えないかもしれない。タダでYesと言う答えを期待したならそうはならないと相応の覚悟をしてもらわねばならないぞ」と。

これまで痛みを分かち合って、ボーナスが無くても、給料が数日遅れても、共に耐えてきたと思ったのに。
そもそもお前本気で就活したのか?親を助けたいなら四の五の言わずにお前がまずがむしゃらに働けよ。
自分が楽するために自分じゃなくてオレが痛め、と言いたいわけだな?
オレが痛んでお前をもっと助ける。代わりにお前はオレに何を気遣ってくれている?
これまでの関係もこちらのGiveした気持ちも無視して法律を盾に迫ってくること、口頭で合意したのに最終週に手のひら返して出してくるやり方に、歯がギリギリなるのを抑えながら絞り出した言葉でした。

相手の顔も一変しました。

「あなた(それまではKoshi-sanと言ってたのをYouと)はなぜそんなに怒っているのですか。

これまで私たちはFriends&Familyだ、家族のようになんでも言ってくれ、と言われてたから自分の状況を理解してもらって助けてもらえるか、と聞きたかっただけなのに、そんな脅迫まがいな言い方をされるなんて、もう僕が知っている越さんはいないんですね。
僕らは家族じゃなかったんですね。
僕ももう今はあなたのことを前のようには思えないし、僕らの関係は変わってしまったんですね」と。

タイ人のズルい面だ、と思いました。

僕もタイ人にお世話になってきて、いまも支えてもらっているタイ人の株主・社員・友人がいるおかげで生きてるので全てを悪くいうつもりは無論ありませんが、タイが外交上手・したたかだと言われる部分を目の当たりにした気持ちでした。

自分のことは棚に上げて、論理は無視して人情に訴えながら、自分の利益を最優先しているように見える対応に益々気持ちが離れていくのを感じ。

越「僕は今怒っているんじゃない。悲しいんだ。
朝メッセージをもらった時から悲しかった。
ここまで一緒にやってきて、なぜ悲しんでいるのか分からないならもういい」と。

スタッフ「ちなみに越さんさっき『タダでは』と言ったのは僕らに譲ると言った事業に関係しているんですか?取引先からさっき5分くらい前に連絡があって、越さんから契約情報の確認があったと聞いて」

越「関係はしている」

スタッフ「裏でそんなやりとりをするなんてこっちこそ悲しい。
もう我々と越さんの間に信頼関係はないんですね。
越さんが事業を渡すことを僕らへの施しと思ってるなら、嫌々渡すのならやめればいい。僕らはいらない。そうだろ?(他2人が同意)」

1時間ほど沈黙とやりとりを経て…

越「結論は君ら3人としては満額ほしいんだね。他は何もいらない、事業もいらない、と。今ここで回答はできないが意向は分かったのでこのミーティングは終わろう」

そうして、終了しました。

本当にどうすべきか決められていませんでした。
金額は別にいい。3人の増加分で50万円程。
それを稼いですべてがクリアになるならそれくらいやる。
(とはいえ今月中に払うお金はないから工面が必要だが...)

問題は金額じゃない。
これまで本当に苦しいなか一緒にいてくれて感謝していたし、自分から手放したけれどもかけがえのない自分が人生をかけてともに育ててきた時間、関係が幻想だった、そんなものはなかったんだ...
そう思うと悲しくて、虚しくて、悔しくて、気持ちが収まらない。
彼らの行動に仕返ししたい気持ち、どうしたら要求を飲みながら自分もスッキリできるか。

ミーティング後、大学院の勉強が終わったと連絡をくれたBさんに内容を伝えたところこう言われました。

「彼らは、他人からかわいそうに見られるよう同情を引いて自分のBenefitしか考えない。何を与えても満足しない。満額払う必要なんかない。経験者から、裁判で会社にお金がないことを明かせば全額払わなくていいと聞いてるし、その書類も私が用意するの手伝うからKoshi-sanが無理して払うことない」と。

どうすべきか。
頭と心と、ねじ切れるほど正解のない問いを考えた結果、起業家仲間に言われた一言でパッと視界が開けました。

3年後、5年後、長い将来で振り返った時に”ああしてよかった”と思える選択を

もし、仮に年老いて死ぬとき、いまを振り返って彼らにどう一矢報いるかで腹いせに支払いを延ばしたり、事業を取り上げたり、争ったりしたのか。
スパッと彼らの要求通りに実行して、「そんなのやりすぎ」と思う人がいても、事業も物も欲しい物は持っていけ、と要求以上の対応をしたのか。

後者だな、と思いました。

僕が思っていた自分の組織は幻想だったのかもしれません。
そんなに美しくも、強く結ばれた関係でもなかったのかもしれません。
彼らからは恨まれて、蔑まれて、もう二度と関係は戻らないのかも。
それでも、自分は本当に家族のように思っていた。そうありたいと思っていた。
それなら最後まで相手が仮に変わろうと自分の姿勢は変えずに最後までそうあろう、と。

バカだな、とも思う。
見方次第ではゴネ得、してやられた、だから外交・交渉で負けるんだ、と良くない面もあるかもしれない。
けど、それ以上説明できないけれど、全額払って、月内に払って、欲しい事業もあげて曇り一点もない対応をしきったら、と想像したらそれが一番すっきりしました。
彼らへの腹立たしさも、悔しさも悲しさも全部受け入れられる気がしました。

「いや、最初から法律通り払うのが当たり前でしょ、何言ってんの」とも頭の片隅でもう1人の自分が呟くのですが、その通りだよ、と思いつつ、どこまでも人に翻弄されます。

人の気持ち、仲間だと思わない気持ち、社員のことを思わない気持ち。

社員のことを考えない経営者は多くいて、自分もまだまだそういうところはあるけれど、仮に一切彼らの幸せ、成長、願いを考えなくて良かったらどれだけ判断が楽だろうか。

実際そんなものはなくても、人を動かすことも、強い組織を作ることも、成長する事業を作ることもできます。事実そういう企業はあり、むしろ強い企業はそういう経営の方が多いのではと思います。

それが経営を10年やってきて自分が直面している現実です。

それでも僕は、仲間と時を分かち合いたい。
お金を稼ぐこと以上の気持ちや、感動や、喜び、幸せをともに分かち合うために経営をしたい。
そのことの意味をこれまで経験した中でも極限の形で、身に染みて教えてくれた出来事でした。

これからも全然こんなのが非じゃないくらい辛いこともたくさんあるのだろうと思います。

「人生の一番辛い日はまだ来ていない」
生きる限り、経営をする限り、その覚悟を忘れてはいけないのだろうと。

でも、同時にこうも思います。
「人生の一番幸せな日はまだ来ていない」

まだまだ人生楽しいことも悲しいことも、これからもっともっとあると思うとまだまだ先を生きて見てみたい、と思えます。

長文、読んで頂きありがとうございました。

つづきは、こちら


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