見出し画像

成績や結果と、個性。

ふっこです。

私は昭和50年生まれですが、
同世代やそれよりも上の世代の方は
学校教育の中で

「良い結果を出すことが○」

だと教わったのではないかなと。


テストの点
内申点
進学先
就職先
年収(給与)

形は変われどもそこには常に
「社会の評価」
が関わっているなーと。

自分が自分の結果を評価するのではなく、
自分以外の誰かや何かが評価を下し、
そこに順位を付けて
より上位の方が優秀、みたいな。

優秀になるほど「力(権限)」を
与えられたり、収入が増えたり。


現在の教育現場の実情は
詳しくは知りませんが、

まだそう大きくは
変わってなさそうです。

その教育方針が
正しいかどうかはさておき、
息子は早々にそこから
脱線していました(笑)


いわゆる、学校の評価で
「良い評価」をもらえることは
少なくて、「注意」が多い方。

そこには学校側の基準があり、
その基準に則って息子を評価し、

成績表であったり、
先生からのご指導として、
家庭に届けられます。


ところで私は、
息子の成績表にはあまり
興味がありません(笑)

夏休み中一度も見なかった
なんてこともよくありました(笑)

受験の際などは、
成績表に書かれている数字や
内申点によって
受けられる高校が決まる、

というルールがあるのは
もちろん知っていましたが、


「低いからダメ」と思ったこともなければ
「高いからいい」と思ったこともなくて。


あくまでも学校側の指標、
学校側の基準に則った評価が
それというだけで、

それは学校のルールなので
息子はそのルールの中では
そういう評価、結果だったね、
という事実がそこにあるだけで

それが彼の存在や個性を
否定しているワケではありません。

まずここを、混同しないことが
大事かなーと。


社会で生きていく上では
こういった世の中のルールを
知っておくことは大切ですが、

高い評価を目指すかどうかは
どちらでもよくて、
そこは本人が決めること。

なので私はあまり興味がなくて。


息子が頑張りたいのなら
その姿勢を応援するまでですし、

でもそこに評価や結果が
伴わなかったとしても、
それを特に問題とは思いません。

これは私の考えになりますが、
今の社会の評価基準は
知能(IQ)に対する評価かなと。

頭がいい、勉強ができる方が
社会でも良いポジションを
もらえる可能性が高い、

現代はまだそういうシステムかなと。


けれど、私は頭の良さの前に
生き方や在り方の方が
大切なんじゃないかなって。

成績が優秀かどうかよりも
安心の中で過ごせているかとか、
心身健やかに成長しているかとか、
自分の気持ちを出せているかとか、
夢中になれる世界で楽しんでいるかとか、

何より本人の個性がのびのびと
しているかどうか。

そこがまず
生きる土台だと
思うからです。

そしてそれを絶えず
見つめて行けるのが、
親なのかなって。


おかげさまで息子は
自分のことが大好きみたいで(笑)

現在も不登校中ですが
毎日自分の好きなことをして
ゆったりと時間を過ごしています。

心の中まではわかりませんが、
私はご飯が食べられて、
睡眠が取れていて、
排泄が出来ていれば、

とりあえず死ぬことはないと
思っています(笑)


元気でさえいてくれれば
あとは彼のタイミングで
意欲を出すかもしれませんし、

そこは私の決めることではなく
彼の人生なので、彼が決めること。


失敗も沢山ありますし
社会への適合はなかなかに
苦労の連続みたいですが、

そんな体験が彼にはきっと
必要なのだと思いますから、

「大いに体験してらっしゃい」

と思っています。


親にできることは
何があっても丸ごとを
受け入れ続けることと、

お金を出すことくらい(笑)

息子との撮影、嬉しかった母♡

評価の話に戻ると、
世の中は「相対評価」と
言えます。

相対評価とは
比較の上にあります。

ですがそもそも個性は
比較できるものでもなく、
するべきとも思いません。

一人一人がただ「違う」というだけで
いいも悪いもないからです。


だけど、個性を知るまでは
つい親も相対評価を我が子に
向けてしまいがちになりませんか?

だからこそね、
個性をまず、
知ってあげてください。

どのお子さんたちも
ただただ個性に真っ直ぐ
生きているだけなんです。

それがたとえ社会の枠から
はみ出しているとしても、

それは本当に「問題」でしょうか?


発達障害、という言葉が
あまり好きではありません。

何を基準に「障害」と
言っているかと言えば、
「普通」が基準です。

普通はこれができることが
できない場合に「障害」になる。

これも、相対評価です。


そういう判断基準しかないと
永遠に他者との比較に
振り回されます。

大体「普通」が偉いとも
私は思いませんし。


全員が「違う」のなら
「普通」ってなんでしょうね?

同じような教育を受け、
同じような大学に入り、
同じような人生を送る人を

もしも「普通」と呼んでいるのなら
私もそこには入ってないので
「障害あり」になるな(笑)

仲間と蔵王で雪遊び♡

もしもあなたの人生が
「評価や結果」に
縛られているなら、

一度「相対評価」を脇に置いて、
子どもの個性を、
そして自分の個性を、
真っ直ぐに見つめてみませんか?

そこにはありのままの姿があります。


個性を殺してまで
評価や結果を手に入れる
道理ってあるでしょうか?

自分を偽ってまで
社会に期待される生き方をする
道理ってあるでしょうか?


・・・というのは、
私自身もそうだったから
今だからこそ言えること(笑)

個性を愛して生きることは
心身共に健康になれること
でもあります。


私たちがお伝えする「個性」は
まだあまり知られていません。

だから、今まで知らなくても
それは問題ではなくて、
これから知って行きましょう♪




個性の学校へのお問い合わせは
koseinogakko@gmail.com
にて、随時受け付けております。

いいなと思ったら応援しよう!