個性は「制限」なのか?
ふっこです。
個性をお伝えしていく中で、
「枠に嵌められている気がする」
という声をいただくことがあります。
この感覚になるのも
わからなくもないんです。
たとえば、私は山羊座なんだけど
占星術などで山羊座の運勢を
読んでみても、全部は
当てはまらないんですよね。
そうかも、と思うところもあれば
全然ピンと来ないところもある。
で、それって当然で。
○○~○○生まれの人は
漏れなく「山羊座」になるけど
その一人一人の個性は
違っているので、
当てはまらない部分があっても
不思議ではないんです。
だけどそれは
「山羊座じゃない」
ということにはならなくて。
山羊座の性質を持ちながらも
他の星座の影響も受けたり、
環境の影響も受けたり、
世代の影響も受ける中で
「今」という瞬間が
生まれているワケですから
山羊座みんなが同じも怖い(笑)
だけど、不思議と
山羊座の特性みたいなものを
確かに自分の中に感じられるので、
自分の一側面として
山羊座の自分もいるね、
みたいに捉えています。
どうしても占いって、
「ぴったり言い当てられて
いるかどうか」
「当たっているかどうか」
という視点で見てしまいますが、
そもそもそこから
違う気がする、、(笑)
当てはまるかどうか、
よりも
それを読んで自分が今
何を感じるかだと思いますし、
そこに大切なメッセージが
あると思うんですよね。
私ね、こういう冬枯れの木が
好きなんですよね。
なぜって、先端まで枝が見えるから。
他の季節はきっと葉っぱが
茂っている部分まで
落葉して露わになってるのが
なんか好きなんですよね。
でね、先端にいくほど
どんどん枝分かれしてるでしょう?
たとえば幹が身体だとして、
太い枝の一本が「山羊座」だとして、
その先もまだまだ枝分かれがある。
個性を知るって、
この細かい枝の部分まで
自分を知って行ける感じです。
私たちが取り入れている
ヒューマンデザイン
というツールで
それがわかります。
つまり、これまでの
色々なツールでは
捉えきれなかった部分まで
知っていくことができます。
けれどもじゃあ、
占星術や他のツールが
使えなくなるかと言えば
全くそんなことはなくて。
逆に個性と組み合わせて
取り入れていくことで、
個性を知らなかった時以上に
活用できるんじゃないかなと。
(私も数秘術が好きで使っています♪)
個性は、これまでの情報を
より「細分化」していける感じで、
「ほら、全員違ってて唯一無二でしょ」
を可視化してくれます。
だけど知ったからといって
すぐにその通りに生きられる
ワケでもなくて(笑)
だから、私たちのような
仕事が生まれるのだと思います。
個性を「知る」ことと
個性を「生きる」ことは
全くの別物です。
だけど始まりは
「知る」ことからだと
思うんですよね。
個性は「制限」なのか?
その答えは、イエスでありノーです。
その個性を生きることは
自由選択できるレベルではなく、
遺伝子に組み込まれているので
それを制限と思えば
制限になります。
私が獅子座になりたい~!と
叫んだところでなれません(笑)
個性にしろ、星座にしろ、
性格にしろ、才能にしろ、
私たちはそのほんの一部を
持ち合わせている存在で、
全てを持ち合わせた完璧な人は
おそらく存在していない
だろうと思います。
みんなが全体の一部を
持っているからこそ、
組み合わせる面白さが生まれます。
なので私は
自分の個性という制限が
好きです。
できないことも沢山あるし、
わからないことも沢山ありますし、
その反対もあります。
この偏った、歪な自分を
今回は生きればいいのね!
と思っているので、
それを「枠に嵌められている」
と感じたことはありません。
そして、私は獅子座には
なれませんが、
獅子座の方を見て学んだり、
自分との違いを知ることができます。
そうすることで
山羊座の役割がわかれば
私はそれを生きればいいワケですから。
それを「制限」と呼ぶのか
「枠」と捉えるのかは
その人次第なんじゃないかな。
この物理世界は
枠組みがなければ
存在していけないですから、
それが自分たちの中に
あったところで
不思議ではなく。
肉体だってものすごい「制限」です。
なにせ手が2本しか
ありませんから(笑)
枠や制限も受け入れてしまえば
ありがたいものだとわかります。
そして気にしなくなると
不思議とその枠の外の自分にも
出会えたりするから、面白いです。
獅子座っぽい私とかね(笑)
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